3 金浦の話

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「もしもし」 「……」  軽く相手が息を飲む気配がした。俺にかけてきたというのに、俺が出ることを想定していなかったのかもしれない。 「君か」 「あなたは……」 「……金浦です。今、一人ですか」  名乗る前、金浦は何かを言いかけてやめた。それが妙に気になった。 「はい。今、何か言いかけましたか」 「いや、何も」 「先生は、一体何のご用で?」 「君に次のカウンセリングを受けてもらいたいのですが、日程を決めていなかったのでご連絡しました」 「カウンセリング……」  脳裏にあの奇妙な空間が蘇る。あれは明らかに現実ではなかったが、夢だと言うにはあまりにも。 「迷うようでしたら、とりあえず来てもらってから決めていただいても構いません。お話しておきたいこともございますので」 「話、ですか」  俺は数秒間迷ったが、引き返して蒼真のところに戻るのも今はやめておきたいところだったのが決め手になった。 「分かりました。ちょうど近くに来ているので、今から向かいます」  金浦との通話を切ると、再び電車が走り去る音が聞こえた。  電車が怖いのに、なぜ電車の音が近いこんなところに住んでしまったのだろう。  今さらながらにしてふっと疑問が湧いた。  いやそもそも、俺はいつから電車が怖いのだろう。以前は電車が怖くなかったのだろうか。  思い出そうとすると地面が歪む感覚を覚え、俺はやむなく諦めた。  蒼真が跡をつけてきているかもしれないことを考え、少し早足でクリニックへ向かう。クリニックが目と鼻の先まで来たところへ、着信音が鳴った。  ぎくりとして相手を確かめる。  蒼真。  その名前を目にした瞬間、相反する感情が生まれた。  電話に出て、蒼真と話した方がいい。  今は電話に出ない方がいい。  鳴り続けるスマートフォンを眺めながら、かなり長い間考えていたのかもしれない。肩を叩かれ、驚いて振り返る。  そこに立っていた人物は、初めは誰だか分からなかった。  まるで蜃気楼のように頼りなげに揺らめいているだけではなく、顔全体が覆いつくされるほどの包帯が巻かれていて、曝け出されてる腕や足からぽたぽたと血が滴り、足元には影の代わりに血の海ができていた。  俺は発狂することもできないまま、その人物を凝視する。 「夕晴さん、大丈夫ですか」  声をかけられた瞬間、霧が晴れるようにその異様な見た目は薄れゆき、一瞬ちらりと彼の目が現れる。  その目はよく見慣れた蒼真のものと同じに見えた。 「そう、ま……?」  恐怖のためかは分からない。全身から力が抜け、その場に座り込みそうになる。 「夕晴さん」  瞬く間に砂嵐で隠れてしまったその人物の声は、酷く耳に心地いいと同時に、妙な不安を掻き立てられた。 「夕晴さん」  手が伸ばされ、俺の両肩を掴み、優しく揺さぶる。  普段の蒼真と同じく俺を気遣う手つきが、まるで夢の中にいるように曖昧で、振り解けば砂塵となって消え去ってしまう。そんな錯覚を覚えさせる。 「平気です」  声を絞り出し、緩く振り解けば、金浦は細く息を吐き出す。  少しでも大げさなリアクションをすれば俺が逃げ出すとでも思っているのかもしれない。 「さあ、中へ」  頷き、金浦の後に続いてクリニックに入りかけた時、出入り口のガラスに自分の姿が映る。唯一はっきり見える自分の姿は、病床に就いている病人と見まがうほどに酷いありさまだった。
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