Backseat Lovers

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Backseat Lovers

 薄暗い空は朝焼けの前。  紺色と白色とオレンジの雲。  車の後部座席には、私と高史(たかし)くんの二人だけ。  運転をしているのは、彼の幼馴染の井島(いじま)さんだ。  井島さんは私たちを後部座席に置いて、「二人で今後のことを話せよ」と言ってくれた。  しばらく沈黙していた高史くんは話しづらそうに躊躇いながら私に語りかけてきた。 「さっきはごめんな。て言うか、いつもごめん。ようやく麻菜美(まなみ)に愛想が尽きたよ。もう修復なんてできやしない。麻菜美と俺は、根本的な価値観が違っていた」  私はずっとあの女⋯麻菜美を恨んでいた。  高史くんの優しさを当たり前のようにもらいながら、彼が少しばかりの主張をすると、さも自分がいじめられているかのように泣き出す。  あの女は分かっているのだ。自分が泣けば、高史くんの底なしの優しさを刺激し、弱い立場でいられることを。  でもその中身はというと、心の中で舌を出している。それを高史くんに見透かされて咎められると、「私が死ねばいいんだ」などと言い出す。だから高史くんは何も言えなくなり、怒りや悲しみを飲み込むしかなくなる。そんな日々だった。  高史くんはいつでも麻菜美を支えようと頑張っていた。  逆に麻菜美は保身しか考えない自分を責められたくはなくて、常に自身の心配ばかり。言い訳の言い訳に言い訳する思考回路の持ち主だった。  その顕著な例が、高史くんに一つでも指摘された時に出る言葉。 「あーあ」  と 「もー(やだ)」  だ。  自分の思うようにならないから、その二つの言葉で高史くんの指摘を責める。  そして 「どうしてこうなるの? 私がいけないのは分かるんだけどさ。でもさ。だってさ。だからさ⋯⋯」  自分のことばかり考える毒女の典型だ。  麻菜美はいつも自分がいじめられているかのように振る舞いながら口先だけの謝罪をする。でも本心は自分のことを正当化したいから、高史くんの怒りの本質が寂しさだとは気づかない。  数え切れない我慢と忍耐が繰り返されてきた。  いい加減に分かって、と高史くんが言えば、麻菜美はいつも高圧的に謝罪してみせる。  つまり暗に「私にはあんたが理解できないの。だって理解されたいのは私。でも謝らないと私が悪者に見えちゃうじゃない? だからごめんなさい。本意じゃないけど謝るよ」と言葉の端々にも態度にも滲ませるのだ。  私は高史くんの苦悩を知っていた。  だからあんな女のために苦しむ日々がとても悪いものだと知っていた。  今夜、麻菜美が呑気に寝ている顔に、高史くんは偽りない嫌気がさしたらしい。  自分を正当化するためだけの謝罪は、高史くんの心を病ませた。  逃げる。  それ以外に高史くんが身を守る方法はなかった。  私は彼を想う女として、彼の勇気を最大限に褒めたい。  高史くんの手が私に触れる。 「おまえもつらい日々だったな。だけどもう、おまえに悲しい思いはさせない。俺と麻菜美が食い違うたび、おまえはトイレや洗面所で隠れてた。俺の怒りも麻菜美のエゴも怖かったよな。これからはずっと大切にするよ。今までごめんな」 私は猫だから。 猫は魔に敏感だから。 麻菜美のエゴが魔だと知っていた。  あの女は自分のエゴが生み出した魔に食い潰されていく。  私にはその未来が見える。  高史くんの優しさを食べ続けた魔は虚像。  虚像に侵食されて本物の魔になった麻菜美。  ずっと手を伸ばしてた高史くんは、いつもその手を振り払われ続けた。  麻菜美が守りたいのは自分。  高史くんはその麻菜美を庇い続け、一生消えない傷をつけられてしまった。  私は猫だけど、彼を想う女として、いつでも愛を捧げるんだ。  麻菜美から逃れた私たちは、バックシート・ラヴァーズ。  来世にも麻菜美につけられた傷を持ち越す高史くんを、私は来世でも愛したい。  麻菜美が放棄した愛は、私がすべて持っている。   end.
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