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「ふんふんふ~ん」 鼻歌を歌いながらお気に入りの花瓶に花を挿すと、慎重に机の中央に置いてみる。 今日はトルコキキョウにしていたけどどうだろう? 雰囲気を見たくて大きく三歩下がると、両手を腰に当てて確認してみる。 ……周りの様子も気にしたほうがいいよね。そう思って辺りを見渡してみると、視界いっぱいに色鮮やかな草花が広がって心が明るい気持ちになる。 いつもは生徒の憩いの場になっている温室庭園を貸し切り、庭園の中央にある広場でお茶会の準備の真っ最中だ。花瓶の下に敷かれたテーブルクロスは白の布に光沢のある糸でジャスミンの花が刺繍されていて思わず口角を上げてしまう。 ジャスミンはボクの名前の由来になっている花だ。それを知った親衛隊の子たちが誕生日プレゼントとして贈ってくれたもので、ボクの親衛隊主催でお茶会をするときはこれを使うようにしている。 「お菓子の準備はどうなっていますか?」 「製作班が今、調理実習室から取りに行っています。今日はフルーツタルトが手作りだそうです」 「そうですか、ありがとうございます」 ちらりと声のしたほうへ目をやれば、すぐそばでふうくんが親衛隊の子たちに指示している。 「莉央」 ふうくんもみんなも忙しそうだし、ボクも何か手伝いたいなあ。何かできることはないかと探すと、ふうくんが手招きしてくれる。だから喜んでふうくんに飛びついた。 「ふうくんどうしたの?」 「あまり私から離れないでくださいね」 「でもボク、みんなのお手伝いしたくて……」 勢いに任せて抱きついたのに、ふうくんは当然のように抱きしめ返してくれる。 「それでは今日の席順を決めてください」 「はーい」 元気よく返事をすると、ふうくんが近くにあった椅子を引いてくれる。だからそこに腰かけると、ふうくんから渡された表を見ながら親衛隊の子たちの顔を頭の中に浮かべていった。 ボクの親衛隊は定期的にお茶会や勉強会を開いている。これを提案してくれたのはふうくんで、ボクの人見知りや緊張しいを和らげるためなのと、親衛隊同士の交流を深めて結束力を深めるため、らしい。 中等部から高等部に上がるとき、ふうくんに言われて親衛隊をつくった。そのときは正直怖いと思っていたけど、こうしてお茶会や勉強会で親衛隊の子たちと顔を合わせている内にだんだんと話せるようになってきたから嬉しい。 とはいえ、まだ二言三言が精いっぱいだけど……。いつか、ふうくんと話すときと同じくらい仲良く話せたらいいなあ。なんて思いながら席を決めていった。 「それでは始めましょうか」 全ての準備が整い、親衛隊のみんなが席につく。今回は思い切ってボクの近い席に一年生の子たちが座る配置にしてみた。一年生の子たちとはあまり話したことがないから隣にふうくんがいるけど緊張で心臓がドキドキする。 「莉央、挨拶をお願いします」 心臓を落ち着かせようと深呼吸を繰り返していると、ふうくんに声をかけられて立ち上がる。その瞬間、みんなの視線がボクに集まった。 大丈夫、みんなはボクの言葉を聞こうとしてくれているだけ。ここにいる子はみんな、ボクの味方なのはわかっているけど心が勝手に怖がってしまう。それでもなんとか踏ん張ると、俯いてしまいそうになる顔を前に向けた。 お茶会の始まりは、ボクが挨拶する決まりになっている。これは他の人と話す練習のためにふうくんと約束した。だけど何回やっても慣れなくて、握ってくれるふうくんの手をぎゅっと握りしめる。 「えっと……、あの……」 話す言葉は決まっている。でも、いざ話そうとすると口から言葉が出てくれなくて、その代わりに意味のない言葉ばかり言ってしまう。 みんなが待ってくれている。早く言わないと。静かな時間がつづくほどに喉が締まっていき、焦りばかりが募って声すら出せなくなっていく。 「莉央、大丈夫ですよ」 完全に唇がくっついてしまって固まっていると、ふうくんがボクの手を両手で包みこんでくれる。 何かあったらふうくんが助けてくれる。親衛隊の子たちだっていつもボクを見守ってくれている。深く息を吸いこんで落ち着いてくると少しずつ怖がっていた気持ちが消えていき、ちょっとずつ唇が開けられるようになってきた。 「その……」 「おいっ!」 やっと声が出た。そう思ったとき、突然飛んできた乱暴な声にかき消される。 「えっ、」 とっさに声が聞こえてきたほうへと身体ごと向くと、温室の入り口に見たことがない子が立っていた。かろうじて、ネクタイの色から二年生の子だとわかる。 「お前か!」 想像していなかった乱入者にみんな困惑していると、彼がいきなりボクを指差す。 なんでボク、指差されているの? 理由も全くわからないまま知らない子に怒鳴られ、頭が真っ白になってしまう。すると、つながっている手を引き寄せられてふうくんの腕の中へと収められる。 ……ふうくんがいる。みんなもいる。大丈夫、だいじょうぶ。 いつもと違い、ふうくんの身体に押しつけるような手つきで抱きしめられる。すかさず親衛隊のみんなもボクの周りに集まってきてくれていて、ボクたちを守るように囲んでくれる。 「お前が親衛隊に命令して色んな奴をいじめてるんだろ!」 彼は大声でそう言うと、ボクに向かってドカドカと歩いてくるのが聞こえてくる。 ボクがみんなに命令してる? 親衛隊の子たちがいじめてる? そんなことしたことないし、しようと思ったことすらない。それに親衛隊の子たちはみんな優しいし、いじめなんて絶対にしない。 ボクは上手く関われない分、みんなをよく見たり、ふうくんから話を聞いたりしている。だからこそ断言できるし、何よりみんなを信じている。 「それ以上近づくな」 右耳をふうくんの身体に押し当てられ、左耳を大きな手で塞がれたと思えば、ふうくんが低く怖い声を出す。 こんなに怒っているふうくん、初めて見た。自分が怒られているわけじゃないのに思わず身体を縮めると、背中に回した手でふうくんのシャツを握りしめる。 ふうくんの手で顔を背けられているから姿は見えないが、彼がふうくんの言葉を無視して近づいてくるのがわかる。その足音にビクビクしながらも親衛隊の子たちの背中を見つめると、しっかりしなくちゃいけないと自分を鼓舞する。 「なんでお前ら、こいつを守ってるんだよ!」 彼は近づけるだけ近づいてくると、またトゲトゲしい声を飛ばす。その大声に反射的に目を閉じちゃったけど、すぐに頭を動かして親衛隊の子たちの背中越しに彼を見る。 櫛で梳くのが難しそうなモサモサの髪に、サイズが合っていない大きな丸眼鏡。伸びた前髪でほとんど隠されているが、たまにちらりと見える目がすごく尖って見えて怖い。 「俺は毎日怒られているんだぞ!」 彼は距離を縮めてもなお、相変わらず大きな声で吠えている。一音発するたびにあちらこちらに跳ねた毛先が揺れて、それに気づくとちょっとずつ彼をまっすぐ見られるようになってきた。 「僕たちには身に覚えがない」 「ていうか、そんなことしてる暇ないし」 「君はさっきからいじめられたとか怒られているとか言っているけど、具体的に何をされたんですか?」 ボクの近くにいる三年生の子たちが口々にそう言うと、一人の子が彼に尋ねる。 「敬語を使えって何度も直されたり身だしなみを気をつけろって言われて無視したら追いかけられたり……、とにかく色々だよ!」 彼は我慢していたのか、一段と声を大きくさせながら両手で拳をつくる。今までに増して彼は怒りを露わにしているが、そんな彼とは裏腹にボクたちは呆気に取られて何も言えなくなってしまった。 「そんなの、当たり前じゃん」 しばらく沈黙がつづいたと思えば、親衛隊の子の一人が呟く。声には出さなかったけど、きっとみんな同じことを思っていたのだろう。みんな、近くにいる子たちと顔を見合わせると、うんうんと無言のまま頷き合う。 ここ月見里学園は、名家の子息や大企業の御曹司が集まっているから礼儀や身だしなみは特に厳しく教えられる。それは学生の内に直して社会に出たときに恥をかかないようにと考えられたもので、入学前に説明されているから納得した上でみんなここに来ている。 「それに、お前が親衛隊の奴らを召使いみたいにこき使ってるって聞いたぞ!」 この学園では当たり前のことを言われて混乱していると、唐突に指を差される。その瞬間、驚いて目を真ん丸に開いてしまった。 確かにボクはふうくんに甘えっぱなしだし、親衛隊の子たちにも頼ってばかりいる。だからといって召使いとなんて思ったことないけど、他の人から見たらそう思われていたのかなあ……。もしそうだったら悲しい。 自分では全く思っていたからこそ、色々と考えてしまって頭の中がぐるぐると回る。 「相園さまは指差すの、止めてください」 「でたらめ言うなら、さっさと出て行ってくれない?」 「相園さまはそんな人ではありません」 いつだって穏やかで優しい親衛隊のみんなが怒り、身体でも言葉でもボクを守ってくれる。 よかった、嬉しい、ありがとう。みんなの言葉を聞いていると胸の辺りが温かくなってくるけど、それと同時にこんな状況でも何も言えないでいる自分が嫌になってくる。 ここでボクが頑張らないと彼の誤解も解けない。そう思うのに、唇は接着剤でくっつけられたみたいに固まってしまっているし、口の中もすっかり緊張で乾いてしまっている。 「お前、何やってるんだ!」 お互いに睨み合って硬直状態になっていると、バンッと大きな音とともに温室に怒声が響く。ただでさえ怖い雰囲気なのに聞き慣れない大きな音がつづいて勝手に身体が震えると、ふうくんが背中を撫でて落ち着かせてくれる。 また、知らない子だ。ドアの前に立つ金髪の子にそう思うと、すぐにふうくんの身体に顔を埋める。 もしかして、また責められちゃうのかな? もう嫌だ、怖いよ。新しい子の登場にじわじわと恐怖が甦ってくると、いきなり自分の中で何かが弾けた。 「うぅ~~~」 我慢できなくて声を上げると、ボロボロと大粒の涙が両目から溢れ出す。 こんなときに泣いちゃダメなのに。泣いたらもっと話せなくなっちゃうのに。急いで涙を拭うけど、一度流れ出した涙は全然止まってくれない。 「ボ、ボク……」 それでもなんとか話そうとするけど、言葉が詰まって次の言葉が出てくれない。 「莉央」 口を開けると言葉の代わりに空気を吸っちゃって苦しくなっていると、耳元で名前を呼ばれる。その声に気づいて顔を上げると、優しく笑ったふうくんと目が合った。 「ゆっくりで大丈夫ですよ」 ふうくんはポケットから取り出したハンカチでびしょびしょに濡れたボクの顔を拭くと、チュッと音を立てて目尻にキスをしてくれる。 「莉央が優しくていい子なのは、みんな知ってます」 そう言って頭を撫でてくれるから胸の前で両手を握りしめながら呼吸を繰り返すと、呼吸が楽になってきたところで頑張って知らない子と向き合った。 「ボク、いじわる、してない。命令も、ない。みんなと仲良くしたいの」 もっとたくさん言いたいことはあるけど、上手く言葉がつづいてくれない。声を絞り出した反動で大きく息を吸いこむと、じわじわと涙が瞳の表面を覆っていく。 まだ泣いちゃダメ。ちゃんと言わないと。頑張らないと。 「親衛隊の子は、ボクのおともだちだもん。まだ、ぜんぜんお話できないけど、おともだちだと思ってるもん!」 今まで伝えたくても伝えられなかった言葉を言い切ると、勢いよく涙が溢れ出してきた。 「うわぁ~~~~~~ん」 言い終えると途端に我慢できなくなり、小さい子どもみたいに声を上げて泣きながらふうくんに抱きつく。 こんなにたくさん人がいるけど、頑張って話せた。怖かったけど、一番言いたかったことはちゃんと言えた。だけど本当は、もっと違う形で言いたかった。 心臓が痛いくらい激しく動いている。息を吸うたびにしゃくりを上げてしまい、そのたびにふうくんが背中や頭を撫でてくれる。その手に甘えて顔をすり寄せると、ボクの涙でふうくんのシャツが濡れていく。 「莉央はえらい。たくさん頑張りましたね」 ふうくんが何度も褒めてくれる。それが嬉しいのと緊張の糸が切れたのが重なって涙が止まらなくなり、ふうくんのシャツに頬を擦りつける。 「でも」 そのとき、小さな呟きとともにボクの頭を撫でていたふうくんの手が止まる。 「浅見翔大」 するといきなり、ふうくんが冷たい声で名前を呼ぶ。低く硬い声色はふうくんの声なのにふうくんの声じゃないみたいで、ぴったりと身体をくっつけると両手を使ってしがみついた。 「お前を絶対に許さない」 その言葉一つひとつに怒りが乗っているのがひしひしと伝わってくる。ふうくんが怒っている声なんて滅多に聞かないからか、さっきまでとはまた違った意味で胸がドキドキしているのを感じる。 「横雲那智」 「は、はいっ!」 「お前はこいつのなんだ」 「と、友達です」 「なら、こいつを見張っておけ。二度と莉央の前に姿を現すな」 ふうくんはボクのために怒ってくれている。ふうくんの声を聞いていると胸がきゅっと締めつけられて涙が止まってきたのもあり、おそるおそる顔を二人のほうへと向ける。 「こいつが本当にすみません」 「ご、ごめんなさい」 視界に二人が映ると、二人同時に頭を下げる。といっても、浅見翔大くんのほうは横雲那智くんに無理やり頭を下げられ、訳もわからないまま謝っている。 でもなんだか、ボクだけに謝っているみたい。それに、横雲那智くんは悪くないのもあってモヤモヤする。 「那智くん、悪くない。……それに、ボクだけじゃなくてみんなにも謝って、ほしい」 二つのつむじを見ながら喉から絞り出すと、またすぐにふうくんのシャツに顔を戻す。 親衛隊のみんなは今日のお茶会のために茶葉を取り寄せたりお菓子をつくってくれたりとたくさんの時間をかけてくれたのに壊されてしまった。その上、事実無根なことを言われたのにボクを慰め、守ってくれている。だからせめて、ちゃんとみんなにも謝ってほしい。 「ごめんなさい」 「すみませんでした」 二人はすぐに謝ってくれた。でも、声の様子からして浅見翔大くんはボクが言ったから謝っているだけなんだろう。 「もういい。お前らはさっさと出て行け」 それはふうくんもわかっているのか、これ以上みんなを傷つかせないためにここから出て行くように促す。 「本当にすみませんでした」 横雲那智くんが今までで一番大きな声で謝ると、二つの足音が離れていって静かにドアが閉まる。そのあとにつづく静寂を聞いてやっと、心が落ち着いて平常心に近づいていく。すると、自然とふうくんを見上げていた。 「ふうくん、大丈夫?」 そう尋ねれば、ふうくんはいつもの優しい微笑みを浮かべて目を合わせてくれる。 「私は大丈夫ですよ。それより、すっかり目が赤くなってしまいましたね」 ふうくんはそう言いながら親指のお腹でボクの目の下をなぞる。いっぱい泣いたせいで目の周りが熱を持っている。 「ちょっとヒリヒリするかも」 「早く冷やさないといけませんね」 そんな会話をしている内、抱きついているふうくんの身体から力が抜けていくのを感じて内心安堵する。 「今回はもう落ち着いてお茶会ができる雰囲気ではないですし、今回は延期にしましょう。日時や場所については後日話し合います」 ふうくんは温かくて大きな手のひらをボクの頬に重ねながら親衛隊のみんなに指示していく。ボクも何かしたいとふうくんを見つめれば、頬に触れていた手が離れて手をつながれる。 「莉央は目を冷やすのでお先に失礼します」 「えっ、」 ボクも片付けるのに……。思わず声を上げると、じっとふうくんを見つめる。 「ボクも片付けするよ!」 「目が腫れたら大変ですからダメです」 顔を大きく左右に振ってみるけど、ふうくんは頑として頷いてくれない。それでもここにいたくてぐっと足に力を入れると、ボクの横に立っていた親衛隊の子がボクの肩を叩いた。 「相園さま、ここは僕たちに任せてください!」 肩を叩いた子のほうへと顔を向けると、その子が力強く言う。 「目が本当に真っ赤ですから冷やしてください」 「片付けならすぐに終わるから大丈夫ですよ」 すると、次々と親衛隊の子たちから言葉をかけられる。その声に誘われるように辺りを見渡してみると、みんな心配そうにボクを見ていたり、言葉に賛同するように頷いたりしている。 「そう……」 そんなに言われるなら、言う通りにしたほうがいいのかもしれない。 「わかった」 「それじゃあ、行きましょうか」 「ま、待って」 ボクが首を縦に振ると、ふうくんが手を引くからとっさに止める。そして覚悟を決めてふうと息を吐き出すと、改めて親衛隊のみんなの顔をまっすぐ見る。 「あのね、みんな、ありがとう。いつも、いっぱいいっぱい、ありがとう」 みんなの顔を一人ひとり見ていくと、拙くなっても自分の言葉で気持ちを伝える。本当はもっとたくさん言いたいことはあるけど、いつもよりずっとお話ができたからまた一歩進めたと焦りそうになる心に言い聞かせる。 「こちらこそ、いつもありがとうございます」 「相園さまの親衛隊でいられて大変光栄です」 「僕たちのこと、友達って言ってくださったのがすごく嬉しかったです」 そうすると、みんながたくさん嬉しい言葉をかけてくれる。その言葉を大事に胸に刻んでいくと勝手に顔が緩んでいき、高揚していく気持ちに従ってどんどん満面の笑みを浮かべていく。 「えへへ、みんな大好き」 「僕たちも大好きです」 両端が上がった口から笑い声とともに好きが溢れる。 この「好き」をもっといっぱい言いたい。今日は知らない子への感情に助けられる形になっちゃったけど、これからは自分の力だけで「好き」や「ありがとう」を伝えられるように頑張ろう。 「それでは皆さん、お願いします」 「はい、隊長」 「みんな、またね」 ふうくんに手を引かれながらみんなに手を振ると、ゆっくりと温室を後にした。
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