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1.
「これで授業を終わります」
授業の終わりを知らせる鐘が鳴り、先生に挨拶をする。そうして休憩時間に入ると、膝から崩れ落ちるように椅子に腰を下ろした。
「ふわあぁ」
両手で顔を隠し、盛大に欠伸をする。さすがに大きく口を開けた顔を見られるのは恥ずかしいからね。欠伸をした流れで目を閉じると、目の端を濡らす涙を拭う。
さっきの授業からずっとふわふわしてる。昨日はふうくんと一緒にお風呂に入って、ボクのベッドで一緒に寝て。朝もふうくんが起こしてくれるまで寝ていたのに眠い。
まだ午前中なのに……。そんなことを考えながら上半身を倒すと、机の上に置いていたタオルを枕にする。石鹸のいい匂い、このまま眠りたい。
「どこか体調が悪いんですか?」
タオルの上でうとうとしていると、横から大好きな声が聞こえてくる。
「ふうくん!」
その瞬間、さっきまで全身を支配していた眠気が全部吹き飛び、自然と上半身が起き上がる。そのまま吸いこまれるように横に立つふうくんに抱きつくと、目の前にあるお腹に顔を埋めた。
もっとくっつきたい。ふうくんの両足の間に片足を入れて距離を縮めると、腰に回した腕に力を込める。すりすりと額を擦りつけて甘えると、心地よくなってきてなくなったはずの眠気がまたやってきた。
「ねむたいよぉ」
すっかり溶けてしまった口調で訴えると、ふうくんは優しく頭を撫でてくれる。
くっついているところが温かい。ボクと同じで、ボクが好きな香りに包まれていると安心する。ふうくんに撫でられるともっと眠たくなっちゃうけど、気持ちいいから止めないでほしい。
「次の体育が終わったら昼休みですから、あともう少し頑張りましょう」
心のままに甘えていると、上から子どもに言い聞かせるような穏やかな声が降り注がれる。
ふうくんの手がボクのふわふわな髪を梳き、くるくると毛先を指に巻きつけて遊ぶ。その手の動きに誘われて顔を上げてみれば、微笑むふうくんと目が合った。いつもなら素直に言うことを聞くけど、なんだか今日は反抗してみたくなって唇を突き出してみる。
「ぶうう」
「可愛い顔をしてもダメですよ」
すると、出した唇をむにっと摘ままれる。
「ふむむ、ん~~~」
「柔らかいですねえ」
眉間に皺を寄せ、閉じた口で声を上げる。その間もふうくんは楽しそうにボクの唇をむにむにと揉んだり親指のお腹で撫でたりとおもちゃのように好き勝手に触られる。
……ちゅー、したいかも。ふうくんに唇を触られていると、だんだんふうくんとちゅーしているときのことを思い出して頬が熱くなってくる。
じわじわと涙が溢れて濡れていく目でふうくんを見上げる。休憩時間中の教室は賑やかだし、きっとボクたちがちゅーしたって気にしない。そう思って顎を上げて求めてみるけど、ふうくんの手は唇から離れていってしまう。
「さあ、行きますよ」
そう言うと、ふうくんの手によってふうくんの身体に回していたボクの両腕が外されてしまう。だけどなんとかくっつこうと手を伸ばせば、ふうくんの両手とつながれる。
ふうくんの肩には二人分の体育服が入った手提げカバンがかかっている。昨日用意しているところを見ていたから知っているけど気づかないフリをすると、つながっている手をゆらゆらと揺らす。
「ちゅーしたら行くっ!」
ふうくん、ちゅーしてくれなかったもん。だったら、ボクも言うこと聞かないもん。
心の中でそう言い訳すると、また唇を突き出してみる。すると、今度はちゃんとふうくんの顔が近づいてきた。お互いの鼻先がくっつきそうなくらいの距離になったところで目を閉じると、すぐに柔らかい感触が唇に当たった。
「そろそろ行かないと遅刻しちゃいますよ」
頭の上から降り注ぐ優しい声にゆっくりと目を開けると、ふうくんが微笑みながら頭を撫でてくれる。
やっぱり、ふうくんは優しい。ちゅーしてくれたし、頭も撫でてくれた。そう思うとすっかり心は満たされてニコニコすると、つながった手を支えにして立ち上がる。
「じゃあ、行きましょうか」
ボクの顔色を確かめる視線に大丈夫だよと頷くと、片方の手はつないだまま歩いていく。
「莉央、開けますよ」
「う、うん」
ふうくんの声に合わせ、扉が開かれる。そこからおそるおそる一歩出てみると、人がたくさんいる廊下が視界いっぱいに映った。
移動しないといけないのに、怖い……。
固まりかけた身体を動かしてふうくんの背中に隠れると、離れないように後ろから抱きつく。ボクがこうなったとき、ふうくんは絶対に待っていてくれる。だから、それに甘えて速くなった心臓を治そうと深呼吸を繰り返す。
「大丈夫、私がいますよ」
ふうくんは邪魔にならないように壁に寄ると、お腹に回ったボクの手を撫でる。まだ慣れている学校だからすぐに良くなってきた。
「……ふうくん、だいじょうぶ」
まだ息苦しさが残っているけど、移動できるくらいには回復してきた。それをふうくんに伝えると、ふうくんの大きな背中に頬をくっつける。
「行けそうですか?」
「……うん、がんばる」
「それでは離れないようにちゃんと腕を回してくださいね」
ふうくんの言葉に応えるようにお腹の前にある手をぎゅっと握りしめると、ボクの歩幅に合わせて前へと進んでいった。
ボクは生まれつき極度の人見知りで緊張しいだった。その上、有名ブランドの社長のパパとデザイナーのママの子どもとあって何回も誘拐未遂にあったり嫌がらせにあったりしていた。
そのせいで一時期、家族と使用人さん以外の人の姿を見ると石のように固まってしまうほどだった。だからボクはさらに内に籠もるようになったし、元々末っ子で可愛がられていた自覚はあったが以前にも増してパパとお兄ちゃん二人は守ってくれるようになった。
それとは反対にママはちょっと強引で、ボクを色んな社交場に引っ張り出した。そのおかげであやくんやしのくんと仲良くなれたし、頑張れば初対面の人とも短い間だけどお話できるようになった。……とはいえ、まだまだ苦手のままだけど。
この学園には小等部から通っているから家の次くらいには慣れているけど、やっぱり人が多い場所は怖い。ふうくんは中等部からの編入組で始めは怖がっていたけど、ふうくんが優しく話しかけてくれたり助けてくれたりとしている内に仲良くなった。
それから中等部を卒業するときにふうくんから告白されて恋人になり、高等部に上がるときに結成されたボクの親衛隊の隊長になってもらった。
ふうくん大好き、ずっと一緒にいたい。
「ふふっ」
「何か面白いものでも見つけましたか?」
「ふうくんのこと、大好きだなって思ったの」
「私も愛してますよ」
くっついていると少しずつ怖いよりも好きが募ってきて、ふうくんの背中に隠れながら笑う。すると、ふうくんのお腹に回したボクの腕を撫でられ引き寄せられる。
「相園さま、早乙女隊長、こんにちは」
だいぶ緊張が解れてふわふわと楽しい気分で廊下を進んでいると、突然正面から元気よく挨拶された。
び、びっくりした……。いきなりの声かけに身体が跳ね、全身が硬直する。とっさにふうくんに強く抱きついて背中に顔を埋めると、ふうくんはすぐに足を止めてボクの手の上に手のひらを重ねる。
ボクに挨拶してくれたんだよね? だったらきちんと挨拶し返さないと。
驚いて一瞬頭が真っ白になっちゃったけど、ふうくんがそばにいてくれたから元に戻れた。だからおそるおそるふうくんの身体から顔を覗かせてみると、挨拶してきてくれた子たちの顔を確かめる。
くるくると柔らかい髪をした子犬みたいな子と眼鏡をかけた猫みたいな子。二人ともボクの親衛隊に所属してくれている二年生の子で、たしか七瀬くんと桜庭くん。
「……こ、こんにちは」
ボク、頑張れる。自分を鼓舞して声を捻り出すと、小さく頭を下げる。挨拶を返せたことに満足すると、二人の反応を見ずにふうくんの後ろに隠れた。
親衛隊の子だから何度も一緒にお茶会や勉強会に参加しているけど、まだ気合を入れないと挨拶すらできない。学園の中では慣れているほうだけど、本当はもっと楽しく話したい。
「それでは私たちは行きますね」
ふうくんの背中にほっぺたをくっつけると、ボクの代わりにふうくんが二人に声をかける。
「はい、相園さまとお会いできて嬉しかったです」
「次回のお茶会も楽しみにしています」
すると、二人が明るい声で言ってくれる。
ボクもお茶会楽しみにしてるよ。親衛隊のみんなと一緒にお茶会したり勉強会したりするの好きだよ。
本当はボクも伝えたい。だけど、いざ言葉にしようとすると喉の辺りでつっかえてしまって声が出てくれない。卒業するまでにみんなに伝えるのが今の密かな目標だったりする。
「貴方たちも授業に遅れないように」
ふうくんはそう言うと、静かに歩いていく。後ろから抱きついているボクは、ふうくんに引っ張られていく形で前へと進んでいった。
……バイバイなら言えるかも。数歩歩いたところで思いつくと、ちょっと振り返ってみる。すると、ボクたちを見送ってくれているのか、じっとこちらを見つめている二人と目が合った。
ふうくんがいるし、……大丈夫。心の中で鼓舞して頑張ろうと思うと、自然と足が止まる。声を振り絞ろうと思うけど出てくれないから代わりに小さく手を振ると、二人とも笑顔で振り返してくれる。
「どうかしましたか?」
ボクが黙って止まっているからか、ふうくんが心配してくれる。
「バイバイって手、振れたよ」
「それはよかったです」
「次はお話したいなあ」
「いつかできますよ」
離していた手で再びふうくんに抱きつくと、ふうくんの手をにぎにぎと握りしめながら報告する。そうしてまた歩き始めると、やっと更衣室の扉が見えてきた。
「今日の体育、何するのかなあ」
「先生が前の授業のときにバトミントンするって言ってましたよ」
「ふうくん、一緒にやろ!」
「はい、もちろんです」
更衣室に入っていくと、すでにクラスメイトたちは着替えていた。どうやらボクたちが最後みたい。ボクたちも空いているロッカーの前に立つと、名残惜しく思いながらもふうくんから両腕を外した。
「莉央、ばんざーい」
早く着替えようとシャツのボタンに手をかけると、ふうくんがニコニコ笑いながらボクの手を握る。
ふうくんはボクを小さい子のようにお世話したいのか、体育のときはいつもボクの着替えを手伝ってくれようとしてくれる。これでも外では抑えているみたいで、寮にいるときはボクに何もさせないくらいの勢いでボクの身の回りのことをしてくれる。
たしかにみんなに比べて行動が遅いから助けてもらうことが多いし、甘やかされるとついつい頼っちゃう。でもボクだって高校三年生だし、ちゃんと自分のことは自分でできる。
「ボク、自分で着替えられるもん」
頬を大きく膨らませると、ぷいっとそっぽを向く。着替えは自分でするっていつも言ってるのに。
「私がお世話したいんです」
「でも、ボク……」
「どうしてもダメですか?」
今日こそ言うんだと肩に力を入れて口を開けたとき、ふうくんがしょんぼりとした顔でボクを見つめてくる。
「ボ、ボク、……えっと、あっ、うう……」
ボク、ふうくんにそんな顔をさせたいわけじゃなくて……。ただちょっと、みんなの前だと恥ずかしいから嫌だなって思うだけで……。
ふうくんの顔をちらりと見ては他の場所へと目を逸らし、またふうくんを見てを繰り返し。もじもじしながら頑張って解決策を考えてみるけど、どうすればいいのか全然わからない。
「……い、いいよ」
迷った末に心を決めると、ふうくんに握られていないほうの手を握りしめる。
みんなの前でするのは恥ずかしいけど、ふうくんに悲しい顔をさせたくない。それに体操服に着替えるだけだからすぐに終わる。そう自分に言い聞かせると、ふうくんの大きな手で頭を撫でられる。
「嬉しいです、ありがとうございます。では、さっそく」
ふうくんはさっきまでの表情が嘘のように満面の笑みを浮かべると、ボクのシャツのボタンを外していく。いいよと言ったとはいえ恥ずかしいのに変わりはなく、下がっていくふうくんの手を見つめて誤魔化す。
「はい、頭を通してください」
シャツを脱ぐと、体操服を被せられる。それに素直に頭を通すと、片腕ずつ袖に腕を入れていく。
「莉央は着替えも早乙女にしてもらっているんですね」
「莉央は甘えん坊ですから」
目にかかる前髪を避けようと頭を左右に振れば、後ろに通りかかったせいくんがちょっと意地悪に言い、あやくんが乱れた髪を手で梳かしてくれる。
二人に見られちゃった。反射的に振り返ると体操服に着替え終えた二人が微笑んでいて、みるみるうちに顔が熱くなっていく。
「恥ずかしいから見ちゃダメ」
二人のほうを見られずに顔を伏せながら訴えると、小さな笑い声が聞こえてくる。
「莉央は本当に可愛いですね」
そばに来たあやくんがそう言ってボクの頭を撫でると、せいくんがボクの頬を摘まんだり突っついたりしてくる。二人とも可愛がってくれているけど、ボクは恥ずかしさでいっぱいで体操服の裾を掴んだ。
「あまり莉央で遊ばないであげてください。莉央は私のお願いを聞いてくれたんです」
じっと自分の手を見つめると、横から伸びてきたふうくんの腕に抱き寄せられる。それに合わせてくるりと身体の方向を変えると、ふうくんの腕の中で向き合う形になったところでふうくんに身体を預けた。
恥ずかしい、隠れたい。ぐいぐいとふうくんの身体に顔を押しつけ、力いっぱい抱きつく。
「仲が良いのはいいことですが、そろそろ着替えないと遅刻しますよ」
あやくんがそう言って後ろからポンとボクの頭に手を置くと、二人分の足音が去っていく。おそるおそる顔を上げてみると、熱くなった頬にふうくんの大きな手のひらが重ねられる。
「それでは香月の言う通り、早く着替えちゃいましょう」
その言葉に頷いてふうくんから離れると、ふうくんの手に従って着替えていった。
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