飛永先生は己の信じた道をゆくらしい

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☆ 『はじめて滝崎さんに会ってから、もう10年が経つんですね』 今年もまた、頂いたメールを読み返しながらペンを走らせる。あの時のように言葉を交わしている気分になれるのは嬉しくもあり、懐かしくもある。 『そろそろ種明かしをしたいと思いますが、あの時、教授に逆らって移植治療を選ばなかったことが、海外に飛び立つきっかけになったんです』 年に一度、初夏に送ると決めている手紙。他愛のない最近の出来事と、先生への応援メッセージを書き連ねる。 『教授の怒りを買ってお払い箱同然でしたけど、さいわい海外の施設に研究業績を認められて声をかけられたんです』 次に赤と青のストライプで囲まれた封筒を用意する。英語に不慣れなせいもあって、送り先を書くのはいまだに緊張する。 『そのおかげで今も絶賛研究中です。滝崎さんもお仕事頑張ってくださいね』 先生は今もわたしを旧姓で呼んでいる。結婚したことを伝えていなかったし、送り主の名義も『Takizaki』のままにしていた。 入社して二年ほど経った頃、職場の先輩に告白された。飛永先生に似た、無邪気な笑顔を浮かべる人だった。病気のことはちゃんと話したし、もう完治したのだとわたし自身が吹っ切れたから、お付き合いの決心がついた。 『追伸 国際郵便でなくて、メールで十分ですよ。手間もお金もかかるでしょうから』 いつもそう書かれていたけれど、わたしは毎年、手紙を送り続けていた。書き始めてから、いつか先生を驚かそうと考えていた作戦があったからだ。 そして今回、わたしはついに作戦を実行する。 「これで準備完了、っと」 書き終わった手紙を見直していると、夫が病室に入ってきて、わたしの隣に腰を下ろした。 「手紙、俺が出してこようか」 「ううん、退院してからでいいよ。なにより自分の手で投函したいから」 「ああ、たしかにそうだよな。けれど先生、この手紙を見たら驚くだろうね」 夫はそう言うと、照れくさそうな顔をして手紙の最下段へと視線を向けた。今回は特別に一枚、撮りたての写真が貼られている。 写真に映るのは、愛する夫とこのわたし。それから――わたしの胸で眠る、先生の信念が与えてくれた最高の宝物だ。 その写真の隣には、ちいさな朱色の手形が添えられていた。
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