飛永先生は己の信じた道をゆくらしい

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★ それから五年の歳月が過ぎ、ついに抱えていた再発という不安から解き放たれる時が来た。重病人のレッテルが剥がされたのだ。 「今日の血液検査でも特段の異常は見られませんでした。ようやっと通院を終了できますね」 「今までお世話になりました」 「いえいえ、私は様子を見ていただけでしたから。それにしても紹介状に添付されていた遺伝子解析の結果、今思えば驚きですね」 担当の先生の話によると、この数年間で白血病の遺伝子研究は劇的に進歩したらしい。結果、わたしと同じ遺伝子異常の白血病は治癒率が高く、移植の必要がないとまで言われるようになった。飛永先生は未来を先取りできる人だったと、納得しかなかった。 さて、これでやっと先生に報告ができる。そう思い、かつてお世話になった病院のホームページを開く。 あの時はまだ女子高生だったわたしが、いっぱしの社会人になって仕事していますよ、と伝えたかった。人生を取り戻してくれた恩人で、心嬉しい時間をくれた片想いの人である、飛永先生に。 ――あれ? なぜかホームページ上で飛永先生の名前が見つからない。それどころか、ネット上で検索しても飛永先生に行きつくことはなかった。勇気を出して医局に電話をかけても、飛永先生は退職し、詳しい行先は不明だと知らされた。 まるで手掛かりがつかめず、頭がまっしろになって途方に暮れる。その白いキャンパスに、先生の真面目ぶった顔ばかりが浮かんでくる。 ――先生、今も研究、頑張っているのかなぁ。 その「研究」という言葉を思い浮かべた瞬間、突然の閃きが舞い降りた。 わたしの大学の卒論は、日本茶の歴史をテーマとした研究だった。その時、お茶の薬効を調べるために、医学や薬学の論文をインターネットで検索したことを思い出した。 ――もしかしたら、先生の研究成果が見つかるかもしれない。 すぐさま医学専門の検索エンジンで”Tobinaga(飛永)””leukemia(白血病)genome(遺伝子)”と入力する。するといくつか、飛永先生の論文がリストアップされた。 先生の所属機関は、かつてわたしが治療を受けていた大学病院だった。けれど、最新の一編は違っていた。米国のフロリダにある、有名な医療機関だった。 ――ああ、先生は海外で活躍しているんだ! 先生の居場所を突き止めたからには気持ちが止まらない。空振りだったらしょうがないけれど、わたしのメッセージを先生に伝えられるかもしれない。 国際郵便の書き方を調べ、手紙を準備する。わたしの近況にメールアドレスを添えて、海の向こうへと送りだす。 ――どうか、先生に届きますように! 先生からメールで返事が来たのは、それから間もなくのことだった。
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