伝わる気持ち、届かない想い

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 僕には苦手な人がいる。  ピンポーン。 「はーい」  部屋の扉を開けるとお隣さんが包丁とお玉を持って立っていた。 「石原さん……ども」  僕は驚かない。  最近はいつもこうだからだ。 「こんばんは~。優君今日もお夕食作りに来ましたよ~。あがってもいいですか? まあ私彼女ですからね! あがりますね!」  石原さんはにこやかにそう言うと勝手知ったる我が家のように部屋に上がり台所に立った。 「優君今日は何が食べたいですか~?」 「えっと……カレーですかね」 「わっかりました! 腕によりをかけますね! 彼女なので!!」  彼女をことさら強調する石原さん。 「なんか、すみません……」  僕は頭をぺこりと下げる。  ちなみに僕は石原さんに恋愛感情を持っているわけでもないし、恋人でもない。  でも社会人の石原さんは何故か僕の彼女を名乗り、自炊が苦手な貧乏大学生である僕に夕食を作ってご馳走してくれるのだ。  最初こそ力づくでも追い返さないとと思っていたのだけど、いつのまにか流されて夕食を一緒する関係に。  ……この関係がよろしくないことに気付いたのは最近の事。 「石原さん」  僕はカレーを食べる手を止めて石原さんに向き直った。 「なんでしょうか優君?」  幸せそうな笑みを浮かべる石原さんに、僕は罪悪感を覚える。  だけど、このまま甘え続けるのは良くない。  なにより、僕は彼女と恋人になりたいとは思っていないのだ。  石原さんがどこまで本気かはわからないけど、こういうのはハッキリ伝えないと……。 「えっと、今度の土曜日石原さんお仕事お休みですよね? 大事なお話があるのですが……」 「もしかしてデート!? デートの約束ですね!! 優君から誘ってくれるなんて感激です!」 「いや、あのデートじゃなくて……」 「どこに行きましょうか? 海? 山? あ、お買い物がいいかもですね! 私優君に色々買ってあげたいです!!」 「あの、ちょ……話を」 「そうと決まればさっそくデートの準備をしなくては! 土曜日なんてあっというまですからね! それじゃ戻ります! カレー残りは冷蔵庫に入れておきましたから!!」  石原さんは嵐のようにルンルンで部屋を出ていく。 「……はぁ」  彼女のそういうところも僕は苦手だった。  最初の出会いだってそうだ。  朝のゴミ出しに出ていた僕は偶然石原さんとゴミ出しの時間が重なった。 『おはようございます。……あら、優さん毎日カップ麺? そんなの駄目ですよ~! そうだ! 今日から私が毎日ご飯作りに行ってあげます! 仕事の都合で夕ご飯だけ、ね?』  よく考えたら何故最初から僕を下の名前で呼んでいるのか意味がわからない。  けど、それから毎日石原さんは半ば強引に僕の部屋に夕飯を作りに来るようになった。  やがて僕の彼女を名乗り始め……。  土曜日がやって来た。 「このままじゃいけない……僕の気持ちをどうにか届けなくちゃ」 「何を届けてくれるんですか?」 「石原さんいつから後ろに……」  背後から、音もなく、石原さんが現れた。 「ふふ、優君のことはいつでも見てますよ?」  石原さんの笑みは意味深だった。  どういう意味だろう……。 「それじゃ、お買い物にゴーです!」 「あ、あの僕は別に近くの喫茶店で話をしたいだけで……ちょ、話を聞いて?」  石原さんは僕を引きずるように駅前広場から服屋だの雑貨屋だの色々なお店が軒を構える商業地区へ向かった。 「この上着優君に似合いそ~! あ、これもいい!」 「あの、僕そんなにお金もってないんですけど……」  貧乏学生を見くびってもらっては困る。 「大丈夫ですよ! 私が出しますから!」  ひょいと服の値札を見てみると五千円とか六千円とか……。  僕は慌てて石原さんがレジに向かおうとするのを止める。 「そんなに高いの買わないでください!」  五千円はぎりぎり二週間届かないくらいの食費と同じだ。  めまいがしそう。 「いいんですって! 私が優君に着てもらいたいんですから!」  これが社会人と貧乏大学生の差か……。  石原さんは小柄な体のどこにそんな力があるのか、引き留める僕を引きずってレジに向かった。 「はい、優君!」  プレゼント用に丁寧に包まれた衣服を差し出される。 「……あ、ありがとうございます」  有無を言わせぬ彼女の笑顔に受け取るしかなかった。  これの代金はバイト代が入ったら返そう。 それよりも今は話をするのにちょうどいい喫茶店に石原さんを連れて行かないといけない。今日はデートをしに来たわけじゃないのだから。 「あの、ちょっとあそこの喫茶店で休憩していきませんか?」  こじんまりとした喫茶店を指さす僕に、石原さんは首を横に振る。 「まだまだお買い物デートは始まったばかりですよ優君? 次のお店に行きましょう!」 「えっと、だからデートじゃないんですってば……」  という僕の言葉を完全スルーして、石原さんは僕の手を引っ張る。  その後も様々なお店を回ることになる。 「このスリッパ可愛い~! どうですか優君?」「優君、クレープ食べませんか?」「洗濯用洗剤なかったですよね優君?」「そうだ、新しいお玉と包丁買わないとです! 包丁どれが似合うか選んでくれませんか優君?」  僕は終始石原さんに振り回されっぱなしだった。 「うふふ、楽しかったですね優君!」 「あ、は、はい、そうですね……」  満面の笑みで喫茶店のアイスコーヒーに口をつける石原さん。  座席には商品の入ったショッピング袋が沢山。  その半分くらいが石原さんが僕のためにと選んで買ってくれた物で、僕は心が痛いのと来月のバイト代から返さないとという焦りにさいなまれる。 「アイスコーヒー飲まないんですか優君?」 「えっと、今ちょっと……」 「うふふ、なにか考え込んでいる優君も素敵ですね~! 流石私の彼氏様! 西日に横顔がクールです!」  石原さんはなんか勝手に盛り上がっている。  正直もう名目共に石原さんの恋人になってしまえばいいのかもしれない、とは思う。 でも恋人になりたいと思ってもいないのに嘘でつき合うのは違う。 そんな最低なこと、僕はしたくなかった。 「石原さん!」  思わず声が大きくなっていた。 「な、なんでしょうか?」  が、そのおかげか、石原さんは僕の言葉に耳を傾けてくれた。  このチャンスを逃したら多分またしばらくは彼女のペースだ。 「あの、僕、その……」  僕が何か重要なことを言わんとしていることに気付いたのか、石原さんは両手を膝の上に乗せ、改まる。 「なんですか? ま、まさかプロポーズ!? 私のこと大好き過ぎて我慢できなくなっちゃったんですか!?」  なにを言ってるのかこの人は。  おかげで冷静になれた僕は慎重に言葉を紡いだ。 「えっと、違います。ごめんなさい。僕石原さんには感謝しているんですが。恋人になりたいとか、好き、ではないんです」 「……え?」  石原さんは凍ってしまったかのように固まった。 「あ、ご、ごめんなさい! その、好きではない、というか、あの、勿論夕飯美味しいですし、すごくありがたいんですが、申し訳なさがすごくて……今日だってなんかお金いっぱい使わせちゃってますし……その」  駄目だ、言葉を紡ぐごとに要領を得なくなっていく。  石原さんを傷つけないように、かつハッキリ僕の気持ちを届けないと……。 「だからつまり、僕は石原さんの事が苦手なんです! ごめんなさい!」  言葉にして頭を下げてから僕は気づいた。  ダメだ。ストレートに傷つけるようなこと言ってる。 というか、事態を重くとらえずに流され続けてきた僕が悪い! でもこれ以上この関係を引き延ばせば余計に傷つけることになっていたはず……明日からどうしようかな、引っ越そうかな……。 「……あれ?」  刺されてもしかたないと思いながらも、何も言ってこない石原さんが不思議でゆっくり頭を上げる。 怒りか、悲しみか、その両方を思い浮かべていた僕だが、以外にも彼女は余裕の笑みを浮かべていた。 「ふふ、素直で気遣い屋さんですね優君は」 「あ、あの、怒らないんですか?」 「怒る? そんなわけないじゃないですか。優君が私の事を苦手って思っているのは知ってましたからね」 「知ってたんですか!?」  ならなんで毎日夕飯を作りに来ていたのか。 嫌がらせか? いや、そんな悪意は見えなかったけど……。  石原さんは意味深な笑みを浮かべて、僕の手の甲を優しく握った。  何故か背筋がぞわっとする。 「でも、それでも優君は私を拒否しなかったじゃないですか。私が勝手に彼女を名乗っても優君は許してくれた。私を苦手と思っているのに気を遣ってくれた。そんな優君が私はとっっっっっっても、好きなんです……」  いつもの石原さんの笑みの筈なのに、その視線や指先のしぐさから蛇が絡みつくような嫌な感覚を覚える。 「そ、そうなんですか……でも僕苦手って言いましたけど……」  何かがおかしい。  彼女の手のひらに包まれている自分の手を引き抜こうとしつつ言うと、彼女は首を横に振る。 「気にしません。だって優君に私の愛を届ければいいだけですから。簡単なことでしょ?」  この人は何を言ってるんだ?  背筋を言い知れぬ何かがぞわぞわと這い上がる。  いつの間にか石原さんは僕の隣の席に腰を下ろしていた。 「愛しています優君」  耳元で脳髄をしびれさせるように甘くささやかれる。  限界だった。 「ごめんなさい!!」  僕は立ち上がって逃げ出そうとするが、がくんと腕を引かれる。 「うふふ、どこに行くんですか優君?」  彼女は僕の手をしっかりと両手で握りしめ笑っていた。
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