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何故、風を追いかけようとしているのかは私自身もわからない。風と、先程助けてくれた声の主とは無関係なのかもしれない。
でも、この異世界に来て、何の手がかりもない私にとって、この風との出会いは運命なのだと確信できちゃう程、不思議な魅力が存在していたのを感じた。
それから私は、背丈と同じくらいの草を無心に掻き分け、道無き道を一心不乱に突き進むと少し拓けた場所に到着した。
「ふぅ……やっと視界が拓け……た?!」
いた。
「プルプルプル」
私の前方に震える物体が一匹。
「プルプルプル」
「ス、スライムだぁあ!!」
そう。私の目の前には、プルプルと小刻みに揺れている黄緑色のゼリー状の生き物が一匹いた。円らな瞳が2つ此方を向いており、口や耳等のパーツは存在していないようだった。
可愛い見た目に魅惑の動作が私の視線を奪った。
その時、私は良からぬ事を考えてしまった。
『スライムってどんな匂いがするのだろう』と。
モンスターを仲間にするだとか、スライムを食べちゃうだとか、ゲームやアニメ等でみたような記憶はある。
だが、スライムの『匂い』を嗅いだ人って果たして今まで何人いたのだろうか。
匂いは嗅いだ本人にしかわからない。もし、目の前にいるこのスライムちゃんを『くんかくんか』出来たとしたら、私はどれだけ幸せ者なのだろう。
幸いな事に、目の前にはスライムが一匹。先程の獣さんとは違い、私の肉を噛みきりそうな鋭い牙があるようには見えません。
だったら……
いつスライムの匂いを嗅ぐ?
今で……
くんかくんかくんかくんかくんかくんかくんかくんかくんかくんかくんかくんかくんかくんかくんかくんかくんかくんかくんかくんかくんかくんかくんかくんか!!
「こ、この匂いは……」
生まれて初めてスライムを、いや、モンスターの匂いを嗅ぐ事に成功した私。遭遇したスライムさんの背丈は15cm程。だから私は四つん這いになり、身を粉にして無我夢中でくんかくんかしている。
爽やかで清々しさもあり、そしてどこか懐かしい不思議な匂いだった。
堪能っ。圧倒的堪能ぅ!
未知なる香りが私の心を刺激し、私の脳内へ伝達する、『初めまして』と。
スライムさんだって、立派なモンスター。ここで返り討ちにあい、無防備な私がタダで済む筈は万が一にも有り得ない。
たとえここで殺されたとしても匂いを嗅げた事実はもう曲げようのない真実だ。
既成事実さえ作ればこちらの勝ちだっ!
私はきっとスライムをくんかくんかするためにこの世界に降臨したのだろう。もし、私がこの世界で初めてスライムの匂いを確認した第一人者なのだとしたら、今の私の姿を銅像にして後世に伝えてほしい。
タイトルは【くん活動はいつも命懸け】あたりでどうでしょうか。
もう悔いなんて無いです。ここで終わりでも全く問題ありません。異議なしです。
私は無防備。もう殺されてもいい頃合い。
だが……
目の前のスライムは、やや困惑した表情を見せてはいるものの、敵意や殺意の類いは感じとれなかった。
「えっ……もしかして」
スライムって非暴力派の超温厚型モンスター様ですか? こちらに闘う意志が無ければ、攻撃をなさらないタイプの正当防衛推奨派ですかね。
向こうから襲って来ないのであれば仕方ありません。おかわりをいただこうではありませんか。
くんかくんかくんかくんかくんかくんかくんかくんかくんかくんかぁ!!
【レベルアップ】【レベルアップ】【レベルアップ】【レベルアップ】
効果音と共に私の視界には奇妙な文字が何度も現れたが、私は無視を決め込んだ。
目の前にいるスライムさんに対し、がむしゃらにくんかくんかをした。
これが、私が異世界に来て初日に起きてしまった出来事でした。
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