2品目:特製お好み焼き

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2品目:特製お好み焼き

僕の名前は九郎(くろう) (つとむ)。ブラック企業で働く、いわゆる社畜さ。毎日、息つく間もなく働き続けるけど、週に一度の休みだけが僕の心の拠り所。そんな日は、衝動的に電車に飛び乗って、どこかの町で美味しいものを探し出す。これが、僕なりのささやかな反抗。仕事に追われる日常から一瞬でも逃れるための小さな冒険だ。 今週も忙しい仕事を終え、迎えた週末。僕はいつものように駅へ向かい、特に目的もなく電車に乗った。今回は箱根登山鉄道に揺られ、ふと降りたのは強羅(ごうら)駅。駅を降りると、観光地として名高い箱根とは思えないほど静かな雰囲気に包まれていた。観光客で賑わう場所から少し外れたこの場所は、どこか寂しげで、正直何もないな……と、少し肩を落としながら歩き出す。 しばらく歩いていると、細い路地の奥に、ぽつんと佇む小さなお好み焼き屋を見つけた。古びた外観が、まるで時間が止まったかのように感じさせる。好奇心に駆られて扉を開けると、懐かしい香ばしい匂いが鼻をくすぐる。店内は小さく、カウンター席が数席あるだけだが、その狭さがかえって心地よい。 店主らしき中年の男性が「いらっしゃい、1人かな?」と声をかけてくる。「あぁ、はい。僕一人です」と答えると、「今見てもらってるように店内は混み合ってるんだ。カウンターでいいかい?」と案内される。 メニューを見ると、シンプルなお好み焼きが数種類並んでいるだけだが、僕は迷わず「特製お好み焼き」を注文した。 焼き始めた鉄板の上で、キャベツがじゅうじゅうと音を立て、ふわっとした生地に包まれていく。店主は黙々と手際よく作業を続け、やがて目の前に出されたお好み焼きは、見るからに美味しそうだ。ソースの香りがたまらない。 「ここ、いいお店ですね」と僕が話しかけると、店主は少し笑って「ありがとう。ここはうちの家族が代々続けてきた店なんだ。観光地だけど、地元の人もよく来るんだよ」と答えてくれた。話を聞けば、箱根の観光名所から外れたこの場所に、長年店を構えているという。地元の野菜や、近くの農家から取り寄せた特製のソースを使っているらしい。そのこだわりが、食べる前から伝わってくる。 一口目を頬張ると、口の中に広がるキャベツの甘みと、ソースの濃厚な味わいが絶妙だ。ふわっとした生地が口の中でほどけるようで、次から次へと箸が進む。最後の一口を食べ終える頃には、心も体もすっかり満たされていた。 「ごちそうさまでした」とお礼を言い、店を出たところで、ふと目に留まったのが「温泉」の看板だった。食後の満腹感とともに、温泉の誘惑に抗うことなどできるはずもない。僕はその看板に従い、細い路地を進んでいく。 路地の奥にひっそりと佇むその温泉施設は、木造の古びた建物で、どこか温かみが感じられる。受付で迎えてくれたのは、柔らかな笑顔を浮かべたおばあさん。「どうぞ、ごゆっくり」と声をかけられ、少し緊張が解けた。 温泉に浸かると、その柔らかさに驚いた。湯は少し白濁しており、肌触りが滑らかで、まるでシルクに包まれているようだ。温度も適度で、長く浸かっていても心地よい。この温泉は地元の人々に愛され、美肌効果が高いと評判らしい。肩の力が抜け、疲れがじわじわと溶けていくのが分かる。 露天風呂からは、箱根の美しい山々が一望できた。静寂の中、風に揺れる木々の音と、遠くで聞こえる鳥のさえずりが耳に心地よい。こんな場所に身を置いていると、まるで現実から切り離されたような気分になる。 湯に浸かりながら、しばらくの間、何も考えずただぼんやりと過ごす。仕事の疲れも、心の疲れも、この温泉がすべて洗い流してくれるようだ。もう少し、ここにいられたら……そう思わずにはいられない。 しかし、現実は甘くない。湯から上がり、現実に引き戻された僕は、明日からの仕事のことを考えざるを得ない。気が重くなるが、それでも時間は待ってくれない。 「……帰りたくねぇ……」と、思わず口に出してしまう。けれど、このままここに居続けることもできない。再び電車に乗り込み、箱根の美しい景色を背にしながら、僕は自分の現実へと戻る。 でも、また次の週末が来れば、きっと僕は新たな場所を探し出し、同じように美味しいものを求めて旅に出るだろう。そうして小さな自由を手に入れながら、なんとかこの過酷な日常を乗り越えていくのだ。
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