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浩太の想い
一年前の茹だるような暑い日に浩太は死んだ。
私より一足早く会社に出勤する浩太は、
「今日は必ず早く帰ってくるから。誕生日のプレゼントを楽しみにしていてね」
そう言って出かけまま帰らぬ人になった。
横断歩道を渡っていた浩太は、信号無視の車に轢かれてしまった。即死だった。
あと十分も歩けばアパートに着くというのに──。
あの日、ケーキ屋の前の横断歩道で浩太は車にはねられた。
私の誕生日のケーキを買おうとして浩太は二十七歳で人生を終えてしまった。
「休みの日に改めてまた食事に行こうね。でも志穂の誕生日の日は早く帰ってくるからケーキでお祝いしよう」と何日も前から繰り返し言っていた。
早く帰ってくるどころか永遠に帰って来ない。
友人たちは、「浩太くんとの想い出があるアパートから引越した方がいいんじゃない」とか「浩太くんだって志穂が幸せになることを望んでいるはずだよ」とか「新しい恋をしたら浩太くんのこときっと忘れられるよ」とか、気遣って言ってくれるのだろうけど、忘れられるものじゃない。
忘れていいのかも分からない。
ただ浩太に逢いたい。
浩太と暮らして僅か半年だったけれど、楽しかった想い出や浩太の匂いまでもが消えてしまいそうで、浩太の服も靴も何もかもあの日のままにしてある。
そう言えば浩太はプレゼントを楽しみにしていてね、と言っていた。
私は浩太の持ち物を目で追った。
リビングにある黒いオープンラック。ここに浩太は自分の持ち物を置いていた。
棚が五段あり雑誌や収納ケースや収納ボックスが整然と置かれている。
自分の眼の高さより上の、一番上の棚にある茶色の収納ボックスを、今まで開けてなかったことに気がついた。
つま先立ち、両手で取り出して収納ボックスをテーブルの上に置いた。
蓋を開けてみると、中には薄茶の大きめの封筒とその上には白い小さな箱が入っている。
箱を手に取って蓋を開けてみた。
はっと息を呑む。
眩いばかりの指輪だ。
シルバーのリングの中央には細かいカットが施されたダイヤモンドが煌めいている。
私は指輪を箱から取り出した。
指輪の内側にはK to Sという刻印が記されている。
K は浩太、Sは志穂……。
これは……婚約指輪だ。
震える手で左手の薬指にはめる。
ぴったりとしたつけ心地だ。
いつの間に浩太は私の指のサイズが分かったのだろうか。
よく気がつく浩太のことだ。きっと私のアクセサリーの中の一つを持って同じサイズを選んで購入したのかもしれない。
浩太……。
ふーーっと息を吐き、封筒を取り出して中を見る。
一枚の用紙が入っている。用紙を取り出してテーブルの上に置いた。
婚姻届だ──。
夫になる人の欄には浩太の氏名が書いてある。
胸がきゅっと締めつけられるように痛い。
浩太、私の誕生日にプロポーズをしようと考えてたんだね。だからあんなに何回もプレゼントがあるからって言ってたんだね。
私は、婚姻届に記された、浩太の少し右上がりの文字を優しく指でなぞると、妻になる人の欄に自分の氏名を書いていった。
浩太と私の名前が並んだ婚姻届を見つめると、そっと胸に抱いた。
涙がとめどなく溢れて頬を伝っていく。
どれだけの時間が経ったのだろう。
窓の外を見るといつの間にか陽は西の山々の稜線の下へと沈もうとしている。
空が朱色から淡い赤紫色へと染まっていく。
浩太が私の肩を抱いて二人で眺めた日々。
そんな日々がずっと続いていくと当たり前のように思っていた。
浩太……逢いたい。
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