(一)無

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(一)無

 はじめに、無が在った。  はじめもなく、終わりもない。  限界もなく、意味もなく、意識もない。  色もなく、形もなく、音もなく、生命もない。  時間もなく、空間もなく、生もなく、死もない。  個もなく、全体もなかった。  世界も社会もなく、自も他もなかった。  そんな何もない『無』が、在った(つまり、なんにも、無かった)。  それが、すべての始まり、この宇宙の始まり、でした。  静寂もなく、喧騒もなく、沈黙もなく、饒舌もなかった。  暑さ寒さもなく、熱、温もりも冷たさもなかった。  光もなく、闇もなく、未知も既知もなかった。  夢もなく、現実もなく、希望もなく、絶望もなかった。  憧れも郷愁もなく、記憶も予感も忘却もなかった。  愛もなく、憎しみもなく、善も悪もなく、戦争も平和もなかった。  兎に角在るのは、無だけ。  そして、けれどその中に、来るべき日々のすべてが既に、内包されていた。  ***  ぼくたちは、ひとつだった。  正確には違うかもしれない。けれどぼくたちには、ぼくたちも、わたしたちも、あなたも、わたしも、きみも、ぼくも、そういう感情や言葉すらもなかったのだから、うまく言い表せない。  ぼくたちには感情がなかった。幸福も不幸も、なかった。  ぼくたちには会話がなかった。だから言葉も必要なかった。仮に有ったとしても、上手く使いこなせなかっただろう。  例えば、こんなふうに……。 「ねぇ、きみ」 「きみ?へんなの」 「そうかな」 「そうよ。だってわたしたちはひとつなんだから、わたしもきみも必要ないでしょ」  ぼくたちは、ひとつだった。  来るべき日々のすべてを内包しながら、ぼくたちはひとつだった。  ぼくたちは、ひとつだった。  それが永久に続くと、信じて疑わなかった。
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