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「ちょっとアンタ、あんた!」
永遠に続くかと思われた酷暑の夏も終わり、心地よい秋風を頬に感じ始める10月初旬のこと。
都内某所にある単身者向けマンション、『セントラル・ミューズ』のエントランスを入ったところで、大学生の進藤大志は立ち止まった。
「アンタだよ、えーと102号室の」
再び、特徴的なしわがれ声が呼びとめてくる。その声の主を目に捉え、すぐに進藤は足を止めてしまったことを後悔した。しかし時すでに遅し。エントランスの正面に位置する管理人室の小さなガラス窓から、派手な化粧をした老女がしぼんだ小さな顔を覗かせ、こちらを見ている。
このマンションの大家兼管理人である、大山千鶴子、御年77歳。
「ちょっとそこで待ってな、アンタに聞きたいことがあるんだよ」
千鶴子が顔を引っ込め窓ガラスが閉まると、しばらくして管理人室のドアが開く。
トレードマークの派手なショッキングピンクのエプロン。千鶴子は身長こそ進藤の胸のあたりまでしかないが、派手なメイクにエプロンと、存在感は抜群だ。そして話しかけられたが最後、毎度やたらと話が長い。気弱な進藤はこれまでにも、何かとこの老女の興味もない長話に付き合わされてきたのだ。
今日こそ何か理由を探して逃げ出さなければ、と進藤は頭を巡らせる。しかしすぐにはうまい言い訳を思いつかず、心の中でため息をつきながらも仕方なく腹をくくった。
そんな進藤の胸中も知らず、千鶴子は手に何やら大判の封筒のようなものを抱え、こちらへ歩いてくる。
「ちょっと聞きたいんだけどさ、アンタんとこのお隣、最近変わったことなかったかい?」
「変わったこと、ですか?」
そう言われて進藤は、廊下の奥に見える101号室のドアに目をやった。進藤が住む部屋の隣、101号室には、近くの女子大に通う学生が一人暮らしをしている。
「いえ、特に気がつきませんでしたけど」
「やっぱりおかしいねぇ」
「何かあったんですか?」
「あの子、しばらく帰って来てないみたいなんだよ。しばらくって言ってもここ2日くらいだけど」
「帰省してるとかじゃないんですか?」
2日程度留守にするなんて、別に不自然でもないだろう。
「うーん、あの子の両親はもう他界してるし、ひとりっ子だから帰省は考えづらいね」
まったくこの大家は個人情報をべらべらと……。進藤は内心呆れる。
「それじゃ、友達の家に泊まりがけで遊びに行ってるとか?」
「まぁ、あたしもそれは考えたんだよ。でも、これを見ておくれ」
千鶴子は抱えていたA4サイズほどの厚紙でできた封筒を、進藤の顔の前に掲げてみせた。
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