老嬢の夢

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 ハルはおそるおそる目を開ける。背後には気配があって、誰かがいる。そして、その誰かは、自分の知っている声で、自分の知っている台詞を吐いた。不安と恐怖と希望が彼女のなかで入り混じる。ごくりと唾を飲んで決心する。ゆっくりと上体を起こした。もう寝ている振りはかなわない。深呼吸して振り向いた。 「やあ」  そこには、キヨシが座っていた。 「うそ……でしょ?」  その瞬間、彼女はまだ若かったころに戻った。実際の見た目や年齢が変わったわけではない。だが、確実に彼女の心は十四歳の少女のころに戻っていた。 「ごめん。ずっと待たせて」  そう言ってキヨシは、穏やかな笑みを彼女に見せた。彼女の目には、そんなキヨシの顔も十九歳のときのものに見えていた。 「どうして帰ってこなかったの」  自然と声が震えてしまう。 「ごめん。道に迷ってしまって」  キヨシが目をふせ、頭をかく。 「道に迷ったって、どこにいたの?」 「すごく遠くに」 「だって、後方支援だって言っていた」 「うん。そうだったんだけどね。あのときは毎日が激動の連続で、よゆうがなかった。国の仕事をしていたときに聞いていた情報と、現地の状況はまるで違った。毎日、飛行機が飛び、毎日知りあいの誰かの死があった。これがまぎれもない戦争なんだって思ったよ。きみたちが住んでいる場所の平和は、こんなふうにして守られているんだなって思うと、ぼくも頑張らなくちゃっていう気持ちになった。そしたら、後方支援からどんどん遠くに行くことになっていた」  キヨシが自分のために無茶をしていたんだと思うと、ハルは胸が苦しくなった。 「バカ。どうして、いつも私のことを無視するの。私はあなたに無事に帰ってきてほしかった。一日でも早く。だから、毎日、死亡者の欄にあなたの名前がないか確認した。郵便が届いていないか毎日確認した。ずっとこの家に住み続けた。立ち退きにも応じなかった。取り壊しにも応じなかった。あなたが帰ってくる場所を守りたかったから」 「うん。だから、帰ってきた」  その言葉で、ハルのダムが決壊した。目からは涙がボロボロ流れる。薄氷のフィルターがジュウジュウと煙をあげて溶けていく。もう、そんなかりそめの希望はいらない。だって、今、ここに大好きなキヨシがいるのだ。すがれる人が現実に目のまえにいる。もう、強がったり、うそぶいたりする必要はない。ハルはわんわんと声をあげて泣いた。
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