流れる桃

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「どうしたどうした拓巳〜!? ペースが落ちてきてるよ?」  気が付けば眼下に桃の大渋滞が発生中。考え事をしていて、 肝心の手元が疎かになっていたせいだ。 「だいぶ気温が上がってきたね。でもあともう少しよ、頑張って!」  反対側からすっと花菜の手が伸びてきて、パッパッ、と手際よくキャップ掛けされていく桃たち。その援護のおかげで、順番待ちの列はすぐにいなくなった。  ああ、やっぱり可愛いな。どうして今まで気付かなかったのだろう?癖のない真っ直ぐな黒髪、愛嬌のある真ん丸の目、メイクしているか分からない健康的な肌、繊細でしなやかな手。それになんといっても、 「は〜、暑いね!」  片手でポロシャツの襟元を引っ張って、もう片方の手でパタパタしながら。そのほんの一瞬、くっきりした谷間がのぞいて、僕は慌ててパッと目を逸らした。  花菜・・・よく育ったな。さすがは健康の神に愛された娘よ。いやいや感心してる場合ではなかった。うっかり引力に吸い寄せられた視線が本人に気付かれたりしたら、気まずくなってしまう。目のやり場に重々注意しなくては。 「扇風機、スイッチオーン!」  高い棚の上のサーキュレーターを始動するために、花菜は大きく前方に伸び上がって軽くジャンプした。僕のすぐ目と鼻の先で、見事な果実がふたつ、大きくブルン、と揺れる。 「う・・・・・・」 「拓巳、どうしたの?いきなり眼鏡を外したりなんかして」 「ここからは眼鏡なしでやる・・・なんか暑いから」 「えっ?眼鏡って暑いものなの?まあ、それで出来るのならいいけどさ。でも柔らかい桃が流れて来たら、ちゃんとハネるのよ?」  桃が到着すればカシャ、とストッパーの音で分かるし、キャップの置き場所は作業台の右端と決まっている。だから多少見えなくとも問題はないだろう。  カシャ、と音がしたら桃を取って、予め左手に持ったキャップの上に載せ、それをスポン!と裏返すように被せる。そしたら花菜の取りやすい向きに置く。桃を取ってキャップを被せて、前に置く。取って、被せて、前に置く・・・その繰り返しだ。  かくして僕はこの単純作業を規則的に行うだけの冷徹なマシーンとなった。これで残りの十数分間、もはや煩悩に悩まされる心配もないだろう。 ひたすら取って、被せて、置くだけだ。  静かな時間だけが粛々と流れていった。件の『田島さんとこの桃』は、間もなく出荷準備を終えられそうだ。よかった、僕は無事にやり遂げたよ、田島さん!その安心感と心地よい疲労で、いつしかまた睡魔に飲み込まれていたことに、僕はまだ気付いていない。  さすがの花菜も単調な数時間の作業に疲れを感じ、眠気が来ていたみたいだ。生あくびを噛み殺し、ハッ!? と慌ててメンソールの飴を一つ口に入れた。 「いけない、包み紙を落としちゃったわ」  落ちたのは作業台とその横に積まれた段ボールの隙間で、奥のちょっと手が届きにくい場所だ。だからといって、花菜はゴミを放置して知らんぷりするような性格ではなかった。なんとかそれを拾おうと、作業台に被さるように、体を斜めにして、左腕を肩から隙間に突っ込んでいた・・・らしい。  実は僕も記憶がないのだ。なんせ眠気で頭がぼうっといていたから。  カシャ、と桃が流れてきて、僕はキャップを被せ、正面に置く。そのまま機械的に次のキャップを取ろうと、作業台の右端に向かって手を伸ばした時だ――  意志なき作業マシーンと化していた僕の指先が何か甘美なものにツン、と触れ、「はうっ!?」と花菜から喘ぎ声がもれた。 「むむ!?柔らかい!しかもなんか温かい!?」 「どこ触ってんのよバカー!!」  ばちーん!と左頬に衝撃が走り、眠気が吹き飛ばされた。それと同時にジリリリリ・・・!と終了のベルが構内に鳴り響いたのだった。  
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