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六年ぶりの故郷に帰ってきた僕と、他の数人の乗客が一人ずつ夕闇のバス停に降り立った。プシュー!とドアが閉まる。バスは車体を震わせながらスピードを上げ、やがてトンネルの中へと走り去っていった。
僕の前を行く人達は家族連れらしい、楽しげなお喋りとそぞろ歩き。やがてポツポツと光を灯し始めた市街地には背を向けて、すり鉢底のような仄暗い小鹿沢を目指して、急坂を下りていった。きっと蛍を見に来たのだろう。 この町はちょっとした蛍の名所で、毎年この時期には多くの見物客が訪れるのだ。
せっかくだから見ていくか――吸い寄せられるようにして、僕の足も自然にそちらへ向かった。道のあちこちに『毎年恒例!ホタル祭り』というポスターが貼ってある。今週の土、日に開催らしかった。
明るい車道からだんだん離れ、水辺に近付くほどに、辺りは闇に包まれ何も見えなくなってくる。街灯は全て消され、看板やガードレールのような白い物体にも暗幕が掛けられているからだ。そんな中、所々に光る小さなライトとボソボソ言う話し声だけが、他の見物客の存在を知らしめていた。
蛍は・・・結構いるな。葦の茂みや水上に張り出した木の枝で、赤ちゃんの鼓動みたいなゆっくりの速さで、イルミネーションみたくチカチカ光っている。今から飛び立つタイミングを見計らっているんだ。
蛍に気を取られて人にぶつからないように注意しよう。僕もスマホのライトを点灯しようとした時だった。近くでキャッ、という女性の小さな悲鳴が聞こえたのは。
「どうかしましたか?」
僕は声のした方に呼びかける。
「そこの段差で足がカクッ!てなって・・・はずみでスマートフォンを草の中に落としちゃったみたい」
若い女性の困った声が答えた。
「危ないから動かないでください、僕が探しますから。何色ですか?」
「白です!」
ほどなくして探し物は草叢の中から発見することができた。
「ありましたよ。はい、どうぞ」
ライトで照らしながら、拾ったスマホを持ち主に差し出す。その時の僕に、もしかして可愛い女の子かも知れない、お近づきになれたらいいな、という多少の下心が全くなかったとは断言できない。
「よかった。どうもありがとう!」
光の中にすっと伸びてきた手にスマホが無事におさまり、同時に照らし出されたのは・・・ガッカリ。いや別に、可愛くないわけじゃないのだけれど。それは期待に反して、僕がよく知り尽くした人物だったから。
「なんだ、花菜じゃないか」
中澤花菜。ご近所に住む同い年の幼馴染。僕と同じ中澤だけれど特に親戚というわけではない。ここは田舎だから同じ苗字が多く、僕の家の両隣も向いも自治会長も、電話帳の半分くらいがみんな中澤さんだから。
花菜の方は一瞬目を見開いて、驚いた表情を見せてから1秒後に、ようやく僕だと判ったみたいだった。
「拓巳、帰ってきてたのね・・・」
そしてすぐに付け加えた。
「なんだとはなによ、ご挨拶ね!」
「花菜、一人で蛍を見に来たの?」
「毎日蛍が何匹いるか、数えて役場に報告しなくっちゃならないのよ。それで十九時が私の担当ってわけ」
彼女は家業の農園を手伝いながら、町役場の会計年度任用職員として働いているのだ。
「拓巳、あんたこういうの得意でしょ?ほら数えて!いま十平方メートル当たりに何匹いる?」
「わかるかそんなの!・・・もう200匹でいいんじゃない?」
僕が適当に答えると、
「え〜?それはちょっと少なくない?」
「それじゃ、201匹!」
と、二人で冗談を言い合って笑った。
久しぶりの彼女との会話は熟年漫才コンビのようによく弾んだ。花菜、ぜんぜん変わっていないな。物心ついた時には側にいて、子供の頃はいつも一緒にいた二人だけど、中学生くらいから急に疎遠になったのだ。それにはある理由があって。
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