記憶を辿って

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「誰よ?こんな道で行こうって言ったのは」  前途には白いガードレールが延々と、山の腹を縫って蛇のように身をくねらせながら、見えつ隠れつ続いている。それを見て悟った。僕が選択した帰り道は直線がない分だけ、思った以上の遠回りになるのだと。  山の暗い北側は先刻までいた場所とはまるで別世界のようだ。葉の大きな苔むした木々は僅かな光を求め、ひょろひょろ上に伸びようとしている。木下闇に生える草は、たまに花が咲いていても小さく地味なものばかり。地面から立ち昇る湿った空気からは、あまねく命あるものを、いつかは土に還そうとする菌の匂いが感じられた。 「なんか、お化けが出そうで怖いわ」 「花菜、お化けが怖いなんて子供だなあ。それよりもっと怖いものを忘れてないか?・・・熊だよ」 「熊ってこの辺にもいるのかしら?」 「いるさ。だって熊の主食はドングリなんだから。ブナやナラの木ならあちこちに沢山あったじゃない。 きっとここは熊にとって、ドングリ食べ放題の天国に違いないよ」 「いいわ。今もしも熊が出たら、あそこの建物に逃げこむから!」  おそらくは廃屋だろう。百メートルほど先の木々の隙間に、建物の白い外壁が見えていた。 「あそこまで逃げられっこないさ。なんせ熊は時速五十キロで走れるんだからね」 「ここで拓巳が食い止めて。その隙に私は全力で逃げるから」 「え~、やだよ!」 「男の子でしょ?戦いなさいよ!」 「・・・花菜がやっと逃げ込んだその建物は、なんとお化けの巣窟でした。『我々の存在を知ったからには、もはや生きて帰すわけにはいかないぞおおおお・・・』そしてめでたく花菜も、お化けの仲間入りを果たしましたとさ、おしまい!」  僕が良い感じに話を締めくくった時、ちょうどその建物の前を通りかかった。 「あれ?ここは廃屋じゃないみたいだ。ほら、門が開いて、構内にトラックが止まっているよ」 「本当だ。工場か何かかしら」  建物の屋根付近の壁には空調ダクトの開口部みたいなのが並んでたくさん付いていて、 確かに工場のようにも見えた。  ほんの何気ない好奇心から、僕たちはその建物に近付いて行ったのだった。近くで見れば見るほど、日の当たらない北側だったせいもあってか、陰気な外見だ。元は白かったと思しき壁は湿気で黒ずみ、窓は埃でにごり、手すりや雨水の排水管には赤い錆が浮いていて。  トラックのように見えたのは家畜を運ぶ運搬車だった。その荷台から、同じ高さの発着台、金網で外界と仕切られた通路を通って、二頭の牛が建物の中へ連れていかれている。  一頭ずつ手綱を持って牛を引いていく人達は飼育員なのだろうか。枯草色の上下を着て、同色の帽子をかぶっている。無機質なその瞳は、苦しみや悲しみなどとっくに超越した色をしていた。  引かれていく二頭の茶色い牛たちは、子供のような眼差しのままで、何の疑いも持たずに牽引されていく。今日まで自分を育て、食べ物を与えてくれた人間を信じ切っているのだ。  二頭が中に入った。すると大きな鉄の扉がガシャン!と閉まり、ドルルルル・・・とコンプレッサーの始動音が鳴り響いた。  ここは、きっと施設だ。いつか噂では聞いたことがある。県内には三か所があって、その中の一つはすぐ近くにあるのだと。 「花菜、もう行こう」  僕が声をかけても、花菜は固まったように反応しない。 「花菜!」  腕を掴んでもう一度呼んだらハッと気が付いて、ようやくこちらを見た。  走り出した僕達の後ろで、ガーン!と工事現場の杭打ち機みたいな音が響き、たちまち牛たちの恐怖と悲しみの叫びが沸き起こった。その時、草か何かに足をとられたのだろうか。花菜が地面にベシャ、と倒れた。 「大丈夫?」  手を引いて体を起こしてあげた時、彼女の片目からは涙がツーと流れていた。 「足、くじいた?どこか痛いの?」 「ううん、ちがうの」  花菜はぶんぶん、とかぶりを振った。右手は固く繋いだままで、僕達はまた走り出した。  生臭い風が追ってくる。鳥たちが糾弾するようにギャーギャー騒ぎ、せまい空が恐怖でぐるぐる回る。だれか助けて。僕達は何度も何度も転びながら懸命に走って逃げた。どんなに必死に走ろうと、突きつけられた残酷な現実から逃れる事などできないのに・・・  ・・・・・・見つけた!やっと到達できた。僕のトラウマの発信源はきっとここだ。
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