雨がやんだら

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 自販機で買った冷たい飲物を両手に、かつての学び舎だった建物内をうろうろ歩き回っていたら、向こうから来た人が「花菜ならあっちにいたよ」 と、玄関ホールの方を指差して教えてくれた。  行ってみると、入口のガラス窓に右手を押しあて、心もち項垂れた姿勢で外を見つめる、しょんぼりした後ろ姿がひとつ。その視線の先には『小鹿沢町にようこそ』の横断幕が、飾り付けられた特設ステージが、降りしきる雨に打たれて虚しく濡れていた。 「花菜、」  声をかけるとハッと気が付いて、こちらを振り向いた。 「元気出せ。まだ明日がある!きっと明日の夜は晴れて、蛍が一斉に飛ぶぞ」  今夜のホタル祭り第一日目は、結局お流れになったのだった。今降っているこの雨は夕方にはあがる見込みだけれど、事前のプログラムと違う内容で強行するよりは、このまま雨のせいにして中止にした方がいいという運営者の判断だった。 「・・・お天気ばかりはどうしようもないわよね。うん、それは私もわかってるんだけど」  雨粒がガラスをたたく。花菜の目にも薄っすらと涙が滲んでいるように見えた。 「今日のためにわざわざ宿の予約までして、楽しみにしてくれてた遠方のお客さんだって 沢山いたのよ?そういう人達に、なんか申し訳ないなって思って・・・」  前もって予約していた旅館やホテルを当日にキャンセルする事になれば、客自身がキャンセル料を負担しなくてはならないのだ。いや、ここで花菜が言ってるのは多分、お金の問題だけではないのだろうけれど。 「蛍って基本、夜のものだから、遠くに住んでいる人達が気軽に見に来るのが難しいのよね。どうしても泊まりになっちゃう。そこが最大のネックなんだわ」 「でもさ、」  僕は飲物を一つ花菜に手渡して、近くの長椅子に腰を落ち着けた。 「そのハードルをクリアさえすれば、劇的な効果が期待できるってことじゃない?欠点とかピンチって、それに気付ければ逆にチャンスにもなり得るんだからね」 「お?ちょっと良いこと言うじゃないの。それならどうすればいいと思う?拓巳的には」  ほんの少しだけれど、花菜の瞳に光がやどった。 「町が格安の宿泊場所を用意して、来場者に提供すればいいんだ。演歌ショーに使うような予算があるんだからさ」  ずっと思っていた。蛍に癒しや安らぎを求めて都会からやって来るようなお客さんは、そもそも演歌なんて求めていないのではないだろうか。 「とはいえ、この町内には宿泊施設なんてないよなあ。まあ改装して使えそうな空き家だったら、いくらでもあるけど・・・」 「あ、それならさ!この多目的センターを宿として提供するのはどうかしら?どうせ上の階の元教室とかは、今は何も使ってないんだから」  そこに、誰かの足音が近付いてきた。 「なんか面白そうな話をしてるじゃないか」  声のした方を見ると、実行委員リーダーの望月さんだ。彼は長椅子の、僕の斜め向かいに腰を下ろした。 「たしかに今、こういう行事は、たった四、五人の年寄りがろくに考えもせず勝手に仕切っている状態だよ。悪しき慣習ってやつだ。それを変えていくには、若者の意見をどんどん出していかないとな」  僕は望月さんに聞いた。 「実際、こういう古い校舎って、宿泊業の許可が取れるものなんですか?」 「可能性はゼロじゃない。たしか他所の県では前例があったはずだ」 「じゃあやってみましょうよ!給食室の設備は使えるのかな?使えるなら山菜やジビエで地元の郷土料理とかをふるまって・・・」 「料理ですとー!?」  遠くからウサギのように話を聞きつけて、ズサー!と走り込んできたのは、僕達より一つ年下で花菜と仲がいいサナエちゃんという女の子だ。彼女はズイ、と前に出て言った。 「その役目、ぜひ私にやらせてください!」  サナエちゃんは料理の専門学校を出ていて、いつかは地元でレストラン経営を夢見ているのだった。  望月さんは一瞬あっけに取られてから、 「 いや、なんでもいいけどさ、お前ら料理とかより以前に、もっと大事な物を忘れてはいないか?・・・風呂だよ」 「ああ〜!?お風呂かあ!」  忘れてた。校舎だから元から入浴設備などないのだ。お風呂がなければ、とてもじゃないけど女性は泊まりたがらないし、女性が来ないのなら男性も来ないだろう。さてどうするか。 「『こじかの湯』を使ってもらうのはどうだ?」  どこかから声がしたと思うと、先刻まで別の場所で屯していた若者達がどやどやと入ってきた。 「ズルいぞ拓巳。こんな重要な話し合いには俺達も呼べ」  ちなみに『こじかの湯』とは、ここから1キロ程の場所にある町営温泉施設のことだ。 「宿泊者にはもれなく温泉のタダ券をプレゼントして、足のないお客さんはマイクロバスで送迎!これで完璧、だろ?」 「なるほど。どうせ夜に遊びに行けるような場所なんて近くにないんだし、逆に不便さを楽しんでもらえばいいんだよね」  また別の誰かが言った。 「ここで過ごしてもらうのなら、建物の内装や外装にも工夫をしたいよね。何かインスタ映えする展示物を置くとかして」 「そもそも『多目的センター』なんて名前はダサくない?もっとお洒落な名前に変えましょうよ」 「公募すればいいのさ」  集まった皆からは次々と意見が出てきて、とどまる事を知らなかった。もちろん僕と花菜も時々それに加わる。よかった、花菜はもうすっかり元気になったみたいだ。    
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