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時に花菜は熱く語った。
「今の時代、田舎の生活に憧れて移住を考えているような人は日本中に沢山いるわ。そういう人達が、どんどん小鹿沢町に入って来てくれたらいいわよね!」
いや、花菜が思っているほど事は簡単ではないだろう。 田舎に幻想を抱いてやって来る人というのは、醒めるのもまた早いものなのだ。所詮どこであれ、軽い旅行感覚で定住などできない。それでも、もし本当に都会の暮らしに疲れて救いを求める人がいたのなら、温かく受け入れてあげたいと僕も思う。
「きっと『ホタル祭り』は、その良い糸口になってくれるわ。皆で小鹿沢町のいいところをどんどん発信していきましょう!」
瞳や表情をキラキラさせながら夢を熱く語る花菜。その姿は本当に魅力的だったから、いつまでも見ていたいと思った。
うん。たしかにここは良い町だ。人は皆優しいし、美しい自然も新鮮な果物もある。たとえ最寄りの駅まで二十キロ以上離れていても、コンビニやスーパーが無くて買い物とか不便でも、テレビの電波が届かなくても、 きっとそんなのは些細なことなのだろう。
いま思えば六年前の僕もまた、この町から脱出しさえすれば、外に素晴らしい楽園が待っていて、人生は無限の可能性で満ちていると夢想していた。でも実際は違って、ここにはここの、他所には他所の、それぞれの苦労や困難が必ず存在するものだったのだ。
言ってしまえば、この世界に楽園や理想郷など何処にも存在しない。僕は悟ったのだ。幼子が成長して、 いつかはサンタクロースがいない事を知るように。
だから、ありもしないものを求めて彷徨うことはもう二度としない。僕の居場所は、自分と大切な人が生まれ、これからも暮らしていけるこの小鹿沢町だけだ。
僕は思う。もし、もしも好きな人がいつも側にいてくれて、一緒に笑ったり泣いたりしながら、気が付けばいつの間にか毎日が過ぎていたとしたら・・・きっとそれが幸せというものなのだと。そういう何かを追い求めて、これからは生きていきたい。
ひとつ心に決めた事がある。この雨がやがて止み、水辺で蛍が飛び立ち始めた頃に、僕も好きな人に気持ちを伝えるんだ。彼女といれば僕はもっと頑張れるし、きっと強くもなれる。だから誰よりも一番近くに、ずっと側にいてほしい。これはお祖父さんに決められたからじゃない。百パーセント自分自身の意志だ。
彼女の方はどう思っているのだろう?もし僕と同じ気持ちだったら嬉しいな。そう思いながら、花菜の横顔をずっと見ていた。
END
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