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体が恐怖に震え、冷汗が頬を伝っていく……。
初の戦闘の相手がこんな狂暴そうなのだとは思っていなかった。城にいた屈強な兵士でも1人で倒せる相手ではないだろう。
「……どうしような」
大型の熊魔獣から目を離さないようにしながら思考を巡らせる。熊魔獣は相変わらずグルルルと涎を出して俺たちを品定めするかの様に見つめる。
下手に動けば今にでも襲いかかってきそうだ。
今際の際でありながら自分の口角が僅かに上がっていることに気づく。
これは別に愉しんでいるとか武者震いとかではない。ただもう馬鹿になるしかないと、そう脳が判断したのだろう。
「君は、この先のシレクス村の人かな?」
「はい、そうですけど……。」
「じゃあ、今すぐ来た道を走って逃げるんだ!」
「え!?」
少女は驚きの表情を見せる。
それもそうだ、俺があの強そうな熊魔獣を相手にできるとは誰が見ても思えないからな。
勝てる算段なんてない。そういう次元の相手じゃない。
怖い。
でも勇者とか関係ない、人として、男として。
少女を見捨てて1人逃げる訳にはいかない。
そんなことしたら先に天国に向かった両親に合わせる顔がない。
「時間は頑張って稼ぐから」
「でも、」
「いいから早く逃げろ! 走れっ!!」
怒鳴るように大きな声を出す。
「は、はい!」
大声で鞭を打たれたように、少女は駆け出し逃げてくれた。
どうか足が速くあってくれ、思うよりも時間を稼げないかもしれない。
精一杯熊魔獣から目を離さないようにして鍬を構える。
タッタッタッタッタッ......。
少女の足音が、やっと消える。
実際はどのくらいかかったのかわからないが今まで生きてきた中で一番、異常なほど長く感じた。
「逃がすまで待っててくれるなんて、魔獣も意外と優しいんだな」
煽る様に言う。実際は相手を煽っているというよりも、俺の震えや恐怖心を和らげるためだ。
しかし、【勇者】っていうのは呪いか何かなのだろうか?
ここまで自分が身を粉にできるとは思ってもみなかった。ただ農民だった頃の俺だったら、少女を逃がそうとはするかもしれないが、立ち向かおうとなんてしなかっただろう。
勝てるとは思ってないが、当たり前にまだ生きたいと思っている。
最初から死ぬことが決まっているような旅だが、こんな序盤で死んだら死にきれない。
「目指すは討伐じゃなくて行動不能、もしくは雑木林の脱出。おし、やるぞ」
そうだ、生きてここを抜けれれば俺の勝ちだ。
木々をざわめつかせる程の咆哮を境に、熊魔獣は戦闘態勢に入った。やはりデカい。
「グオオオ!!!」
(まず、最初の攻撃を何としてでも避ける。話はそれか…)
「らぁっ!?」
まさに間一髪。横に身を投げるようにして転がり突進を躱すことができた。身の危険を肌で感じる。
「速すぎる」
しっかりと行動を目で追ってはいたが、熊魔獣は予想以上に速かった。
これは、俺が攻撃するなんて隙は無いかもしれない。
「くそ、また来る!」
今度は俺が立ち上がった瞬間を狙っての突進。再び飛び、転がるようにして避けられたのはいいが、これを何回も繰り返されると埒が明かない。体力だって持たない。
今度はできるだけすぐに立ち上がる。熊魔獣はまた突進の構えに入った。
「狙うなら避けた瞬間しかないか」
ギリギリで横に避けて、脚を攻撃できれば行動力は少しでも落ちるかもしれない。
熊魔獣の脚が地面を蹴ると同時に横へ飛ぶ。それくらい早くないと間に合わないと思う。
「うおっ! 危ないっ」
目の前ギリギリを熊魔獣が横切る。
「おりゃあぁ!」
あまりの迫力に少し怯むが、タイミングを逃さない様に鍬を脚に向かって振ることができた。
ガッ。
「!?」
熊魔獣の脚に鍬が上手く刺さった。までは良かったが、それだけじゃ熊魔獣の動きは止まらなかった。それだけではなく、鍬を思わず手放してしまい、中途半端に刺さったまま鍬を持っていかれてしまった。俺は慌てて距離をとる。
熊魔獣は特に刺さった鍬を意識する素振りもない。俺の攻撃を攻撃と受け取られなかったみたいだ。
「畜生、どんだけ歯が立たないんだよ……」
先ほど、衝撃に耐えきれずに放してしまった両手を見る。皮膚がところどころ捲れており、痛みがジンジンと、だんだん強くなっていく。
くそっ、鍬だけじゃない、握力も持っていかれた!!
「いってぇ……こんな手じゃ、もうまともに握れないぞ」
熊魔獣は距離をとった俺の方向を向く。
もはや行動不能にする案もなければ実行できる力もない。
まさに絶対絶命ってやつだ。
「何か方法は……くっ!」
またしても猛スピード突進。
一瞬よろけそうになったが、間一髪で避ける事に成功。
新しい攻撃がくる前に、今のうちに次の手を考えないと……。
(今の握力で使えそうなもの、何かないか?)
地面に転がった鞄まで走る。
「中に、何かあってくれ!」
そう思って口に出してはいるが、先ほど出発前に中身をチェックしたばかりだ。こんな化け物を相手どれるような物は入れていないと、心の奥底では理解していた。
「痛っ!」
鞄を持ち上げるだけで、手に痛みが走る。ここまで重症かよ!
中を確認する前に、熊魔獣が次の突進を開始する。
「考える隙くらいくれよっ!」
同じように横に回避する。
熊魔獣が横切った瞬間、次の突進までの間に急いで思考をフル回転させ、鞄の中身を確認する。それがいけなかった。
「グオァ!」
「嘘だろ!?」
熊魔獣は、学習していた。
俺の横で急ブレーキをかけ突進を止め、俺が気づいた時には鋭い爪をもった右腕を振りかぶっていた。こんなタイミングで成長しやがった!
まともに食らわなくても当たれば確実に、死ぬ。
「うあああっ!」
この瞬間、俺が咄嗟にとっていた行動は回避でも、硬直でも、防御でもない。攻撃だった。人間元来の生存本能なのかもしれない。
そこそこの重さである鞄の掛け紐部分を残る握力で全力で握り、熊魔獣の攻撃が当たるよりも先にぶん回した。
「グガァ!?」
ぶん回しの勢いに握力がついていかず、鞄は手をすっぽ抜け飛んでいったのだが、運がいいことに鞄の角が熊魔獣の左目に直撃した。
急に視界が歪んだことにより、敵の攻撃威力は弱まる。
が、途中まで振り下ろしていた右腕が止まったというわけでもないので、俺に直撃し、体は軽く空を飛び、数メートル先の木に当たって止まる。
「がはっ……!」
背中から木に当たった衝撃で数秒呼吸がまともにできず、過呼吸気味になる。
熊魔獣は目の痛みに悶え、咆えているみたいなので攻撃するなら絶好のチャンスなのだが、生憎それどころじゃない。
強く握った両手が痛い。腕の装備の上から受けたのに骨が軋むように痛い。呼吸一つで背中が痛い。痛い痛い痛い痛い痛い。
……ダメだ、立ち上がれない。
人間というのはここまで立て続けにに負傷すると、希望の持ち方すら忘れるのか。
脚に力が入らない、力の入れ方が分からない。例え立てたとして、それで何になる?
(少女一人助けられたと思えば、まだ救われるかな? でもこの後、この熊魔獣がシレクス村に行ったらきっと全滅だ。どうか、強い人がいてくれ。俺みたいな偽物じゃない、本物の勇者の様な人が!)
「仕方ないんだ」「できるだけは頑張った」そう自分に言い聞かせ続けながら、俺の意識は暗闇の中へと引きずり込まれ始める。
「グオオオオオオオォォォォォ!!!」
熊魔獣が怒りの咆哮をあげる。どうやら復活したみたいだ。咆哮が終わると同時にこちらに視線を移した。
「終わりか……」
視界を閉じ、ただ終わる時を待つ。
叶うなら、せめて痛みすらわからない程一瞬で。
なんて我儘を熊魔獣は聞いてくれないだろう。
俺は受け入れた。命の終わり、「死」を。
実に短い旅路だった、人生だった。
距離で言っても長めの散歩だ。
ここまで何もできないなんて、さすがは平凡の極みだ。悔いと呼べるものすら残せないような旅の記録、次の勇者はせめて……。
「兵士とかから選んでくれ、国王」
格好もつかない捨て台詞を吐き、痛みを堪えながらも笑って見せる。側から見たら痛みに顔を顰めているのだろうが気持ちの問題だ。
こうしてあっけなく、誰の記憶にも、なんの記録にも残ることが無い一人の勇者の戦いに幕が降りた。
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