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「チャンスはあと一回だぜ、坊や。お前に与えられた弾はあと一発だけだ」
ハゲ頭の太った男は歯を見せて俺にニヤリと笑いかけた。俺の一挙手一投足をじっと観察するように見つめている。
「わかっている」
俺はうなずくとライフルの銃口をターゲットの頭に合わせる。相手は自分が狙われているというのに、呑気に笑顔をギャラリーに振りまいている。自分の命が危険にさらされていることなど知るよしもないのだろう。
「もしはずしたら、どうなるかわかっているだろうな。お前の妹の泣き顔は見たくないだろう?」
男のダミ声に俺は一瞬ターゲットから視線を外し、妹のサキを見た。サキはさっきから男の傍らで「お兄ちゃん……」と不安そうに声を震わせている。
俺はサキにうなずいた。弾は最後の一発。これでターゲットを仕留められなければサキがーー。
俺はもう一度ライフルを構えた。銃口をターゲットの頭に向ける。いつの間にか周りの喧騒もサキの声も聞こえなくなった。聞こえるのは自分の心臓の音だけ。
俺は引き金を引いた。
まるでスローモーションのように、銃口から飛び出した弾が見えた気がした。まっすぐにターゲットの頭に向かいーー、しかし急に勢いを失ったかのように相手の手前で緩く弧を描いて地面に落ちてしまう。
俺は膝から崩れ落ちた。ーー失敗した。
「はい、残念だったねー! もうおしまいだよー」
男は、ーーいや、おじさんは歯を見せて笑うと、俺の手からプラスチックのライフルを取り上げる。
俺たちの周りには浴衣姿の女の子や男の子、家族連れがおしゃべりしながら行き交っていた。数え切れないほど並んでいる屋台からはたこ焼きや焼きそばのいい匂いが漂ってきて、お腹が鳴る。辺りには笛や太鼓の音が甲高く響いていた。神社の縁日は今年も人でいっぱいで、どこもかしこもにぎやかだ。
サキが浴衣の袖を振りながら駆け寄ってきて、小さな拳でポコポコ俺の背中を叩いた。頬をぷぅっとふくらませたサキは、
「お兄ちゃん、くまさんのぬいぐるみ取ってくれるって言ったのに!」
「ご、ごめん、サキ……」
射的の屋台の前で俺は妹に平謝りする。俺は妹のサキに本当に弱い。サキはとんでもなくかわいい。目はぱっちりしているし、髪はサラサラだし、いつも明るく笑っている。今日の朝顔柄の浴衣もとてもよく似合っている。
「お兄ちゃんと妹ちゃん、毎年来てくれるよなあ。小学校何年生だい?」
射的屋のおじさんは俺が狙っていたくまのぬいぐるみの位置を直しながら尋ねてくる。
「俺は四年生、妹は一年生です」と答えたときだった。
「あれ、サキちゃん?」
そのいけ好かない声に俺は振り返った。案の定そこには近所に住んでいるナオトがいた。ナオトはサキと同い年の男の子で、あろうことか幼稚園のときからサキにプロポーズしている。そのときから俺はナオトを『サキに近づけてはいけない男』ランキングのトップに据えている。
「あ、ナオトくん」
途端にサキは声のトーンを一段上げ、頬をぽっと赤く染める。サキ、何だその反応は。
ナオトは俺に振り向くと、笑顔で頭を下げる。
「お兄さん、こんばんは」
「こんばんは! でも俺はお前のお兄さんじゃないから!」
張り付けたような笑みを浮かべて返事をすると、ナオトはもう俺には用がないと言わんばかりにサキに振り向いた。
「サキちゃん、あのくまさんが欲しいの?」
射的の屋台の棚をちらりと見たナオトに、サキは「そうだけど……」とつぶやく。するとナオトはさっさと五百円玉を屋台のおじさんに渡してライフルを手にすると、流れるような手つきで銃を構え引き金を引いた。そして、一発でくまを仕留める。
「わあ、すごい! ナオトくん!」
サキは大はしゃぎで手を叩いている。
「これ、サキちゃんに」
はにかんだような顔で、ナオトはくまのぬいぐるみをサキに渡す。サキは目を丸くして、
「いいの? ありがとう! すっごくかわいい!」
するとナオトはちょっと顔を赤らめて、「浴衣姿のサキちゃんの方がかわいいよ」なんて言った。言いやがった。そして俺を一瞬ちらりと見た。その目はあからさまに俺を嘲笑っていて、「お兄さんはこんなのも取れないんですか」とでも言っているようだった。
「サキちゃん、向こうの屋台のわたあめがすごく美味しいんだって。一緒に行ってみない?」
ナオトがサキに笑顔を向ける。
「うん、行く」
くまをぎゅっと抱きしめて駆け出そうとしたサキの肩を俺は慌てて掴んだ。
「サキ、ダメだって。お兄ちゃんと回るって、ママと約束しただろ?」
サキは目を丸くすると、
「でも、ママはナオトくんとでも良いって言っていたよ。ナオトくんのママともお話しているからって」
俺はその瞬間ナオトが勝ち誇ったように唇を歪めたのを見逃さなかった。あいつ、事前にママ同士を言いくるめたのか! 一年生のくせになんて知恵の回るやつ!
このままだとサキがナオトに連れて行かれてしまう。ナオトは『サキに近づけてはいけない男』ランキングのトップなのに!
どうする? どうすればいい?
そのとき、俺は射的の棚の一番上にあるピンク色の箱に気づいた。あれは、サキの好きなアニメ『魔法使いガール・フリッフリン』の魔法のステッキのおもちゃだ。CMで見るたび、サキはあれを欲しがっている。あれを取ればサキを引き留められるはずだ!
がま口を開けると、残っていたのは五百円玉あと一枚だけだった。
「オヤジ、もうひと勝負させてくれ」
俺の静かな闘志を感じ取ったのか、おじさんは神妙にうなずき、ライフルを渡してくれた。
あと一回、俺は負けられない戦いに挑む。
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