君と過ごす最後の夏

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 余命1年――。  主治医から唐突に余命宣告をされた俺は、頭の中が真っ白になっていた。俺の隣では泣きじゃくる両親と姉の姿――。  ――余命……って、俺……あと1年で死ぬってこと!?  現実を受け止めきれない俺は、家族の方を見つめたまま微動だにしない主治医の顔をじっと見ていた。    遡ること数週間――。  俺を襲った突然の背中の痛み……。人生の歯車が狂いだしたのはこの時からだった――。      銀山家の長男としてこの世に誕生し、幼少期から活発な少年はそのまますくすく成長。先月16歳の誕生日を迎えた。  父の影響で始めた野球に没頭する日々が続き、少年野球チームに所属、高校進学時も甲子園出場を目指すために強豪校への推薦を勝ち取り進学した。性格上、誰とでも仲良くなれるタイプの俺は、常に友人に囲まれて楽しく学校生活を送っていた。  ある日の夕方――。  その日も普段と同じように部活動をしていた。チームメイトと肩慣らしのキャッチボールをしている時だった。  ズキッ――。  電気が走ったかのような痛みを背中に感じた。 「仁一郎(じんいちろう)、どうかしたか?」 「いや……、何でもない」  ――ちょっと捻りすぎたかな……。  その後も痛みは何度か感じていたが、筋肉痛だろうと深く考えずに練習を終えて帰宅した。 「仁、どっか調子悪いのか?」  家のドアを開けると、先に帰宅していた父が出迎えながら質問してきた。 「なんで?」 「監督から連絡があってな。キャッチボールの時、背中を捻りすぎたかもしれないって」  監督と父親は大学時代の友人、ということもあり、こういう内部情報の出回る速さはさすがとも言うべきだった。 「痛みはあるけど、筋肉痛だと思う」 「それならいいんだ。……後でマッサージしてやろうか?」 「別にいいよ~。父さんのマッサージ、力任せで痛いしむしろ逆効果」 「……そうか。それは残念だ。まぁ、風呂で温まってゆっくり休むことだな」 「そうするわ」  家族団欒の時間を過ごし、いつもより少し長めに湯船で身体を温め労った。部屋へと戻り、軽いストレッチをしていると、スマホに通知ランプが点滅しているのに気が付いた。手を伸ばして取ろうとすると、またしても背中に痛みが走った。   「……痛っ。なんなんだよこの痛み……。はぁ……」  気を取り直してスマホを見ると、そこには俺の心配をするチームメイトからのメッセがたくさん送られて来ていた。  ――大事な夏期大会が近いのに、早く治さないと……。  一通りメッセに返事をした俺は寝に就いた。  翌朝、俺は目覚ましが鳴る前に目が覚めた。 「……っぐ」  あろうことか、昨日感じた痛みがより強くなっていた。  ベッドから起き上がる事ができず、枕元に置いていたスマホで母親に電話を掛けた。何度か呼び出し音が鳴り、しばらくすると母親が電話に出た。 「……仁君?」 「……あ……さん……。う……ない」  ――まともに話せない……。声が上手く出せない……。 「……、……ドドドドドドッ」  耳元で騒がしい音が聞こえたかと思うと、部屋の扉を勢いよく開け、息を切らした母が入って来た。 「……っ仁!」  ――なんだよ……。そんな泣きそうな顔して……。  俺を見る母親は今にも泣きそうな表情(かお)をしていた。 「……今、救急車呼ぶからね!……ちょっとこれどうなってんのよ!画面が切り替えられない……何これ……通話中?あ、そうか。切ってなかったのね」  俺は辛うじて動く首を縦に振った。  いつも冷静な母親が、ここまで慌てふためく姿はこの先見ることないだろうな、との思いで俺は母親の行動を見ていた。  数分後、到着した救急車に乗せられ俺は近くの民間病院へと搬送された。  病院に到着後、鎮痛作用のある点滴をしてもらい、少しだけ痛みが引いた。 「痛みの症状について詳しく話せるかい」  救急科の医師による問診、画像診断のためのレントゲン検査、より詳しく診るためのCT検査、採血……。時間を掛けて検査が行われた結果――。 「紹介状をすぐに書きますので、大学病院で診てもらいましょう」  医師から言われた結果に、母親と俺は頭がついていかなかった。 「……大学病院……ですか」 「えぇ……。この病院よりも大学病院の方がより高度な治療を受けられます。彼の将来の事を考えると、大きな病院の方が良いと思います。何より、私の知り合いの優秀な医師もたくさんいますからね」  民間病院から大学病院への紹介、高度な治療を必要とする病気……。俺の脳内では、思い浮かべたくないワードが出てきていた。  ――嘘だ……。きっと医療ドラマの観過ぎで影響されているだけだ……。すぐに治る……。……治る……のか?  あれよあれよと準備は進み、俺は半日で病院のはしごをする羽目となった。  病院を移る前、父親に連絡を入れたり、高校に連絡を入れたりと忙しなく動いている母親の姿を見て、申し訳ないという気持ちでいっぱいになっていた。  ――平静を装っているようだけど、きっと母さんも不安な気持ちでいっぱいになんだろうな……。ごめんな、母さん……。  民間病院が所有する救急車へと乗せられ、俺は大学病院へと連れられた。  大学病院と言うだけあって、患者さんの数も段違いに多かった。そんな中でも、優先的に診察を受けられたのは俺の病気のせいなのだろうか……。 「初めまして」  診察室で出迎えてくれたのは、父親と同年代くらいでおっとりとした雰囲気を纏った、後に俺の主治医となる梅原先生だ。 「小児科の梅原と言います。持ってきていただいた画像データを診させて貰ったのですが……、今はまだはっきりとした事は言えません。できれば入院して、詳しい検査をさせていただきたいのですが……大丈夫ですか」  ――痛みの原因がわかるなら……。 「……はい」 「わかりました。それでは入院の準備を進めていきますね」  俺の入院生活が始まった――。  入院先は小児科病棟……。年齢的なことを考えると妥当らしいが、あまり納得はしていなかった。  車椅子に座れるまで痛みがひいたタイミングを見計らい、俺は病棟へと向かうことになった。  案内されたのは個室。ちょうど空いていたらしく、病棟師長らしき人が挨拶に来た後、担当看護師が2人入って来た。 「入院期間中担当します、松岡で……す。って……やっぱり仁君じゃん」  いきなりフレンドリーな言い回しに驚き、ふと顔を向けた――。 「……えっ!?……けいちゃん?……あぁ……えぇ……っと」 「何々?知り合いなの?」 「はい!幼馴染み、みたいな感じです」 「……そうっすね」    松岡佳子(まつおかけいこ)――。近所に住む姉と同い年の幼馴染。幼い頃からよく一緒に遊んでいたが、俺が中学に進学して以降はほとんど会う機会がなかった。    ――けいちゃん……会うのは何年振りだ?しばらく会わない間にすっかり大人……。しかも看護師って……。 「積もる話もあるだろうけど、切り替えてね!」 「はい!」  よく遊んでいたけいちゃんが検温している間、先輩らしき人がパソコンで入力しながら次々に質問を投げかけてくる様はなんとも不思議な感じだった。だが、俺は心のどこかで安心していた。 「もし痛みが強くなるようならすぐにナースコールで呼んでくださいね」  そう言い、けいちゃんと先輩看護師は出て行った。  ベッドで横になり、俺は母親が来るまでの間眠ることにした。 『けいちゃん、うちの弟の仁一郎!仲ようしたってな!』 『じんくんかぁ!小さくてかわいいな~よろしく!』  懐かしい夢を見た――。  初めてけちゃんと会った日の思い出――。  目を覚ましてしばらくすると、母親と姉が一緒に入って来た。姉は就活中だったのか、見慣れないスーツを着ていた。俺の顔を見るなり泣きそうになっている姿は母親と同じだな、と思いながら俺は入院してからの事を話した。姉はけいちゃんに会いたがっていたが、残念ながらタイミングが合わず叶わなかった。  入院生活も早1週間が経とうとしていた。  痛みが続いていることに変わりはなかったが、点滴で鎮痛剤を使いなんとかコントロールできる状態を維持していた。  そして、ようやく痛みの原因となっていた病名がわかった。  線維形成性小円形細胞腫瘍(せんいけいせいせいしょうえんけいさいぼうしゅよう)――。  梅原先生から言われた病名……。腫瘍という響きだけで癌だとわかったが、イマイチどんな癌なのかわからなかった。これまでに撮ってきた画像を見せながら先生は淡々と説明を始めた。この病気は希少がんに分類され、俺の背中の痛みは腫瘍が背中全体にできており神経を圧迫しているからだと……。治療としては抗がん剤、放射線照射、手術……状態をみながら治療を進めていく、と言った上で最後に神妙な面持ちで梅原先生は付け加えた。 「銀山君の命は、もって1年です」  突然の余命宣告。  両親と姉はタオルで顔を押さえながら泣き、一緒に聞いていた看護師が母親の背中を擦っていた。一方、俺は涙すら出ずにただただ唖然としていた。  落ち着きを取り戻すまで待つのかと思いきや、梅原先生はいくつもの書類を出し始めた。治療を進めていく上で必要となる同意書の数々の説明を淡々と行い、気づけば終わっていた……。  限られた時間をどう過ごすかは俺が決める事になったが、この状況で考えられるわけもなく、後日返事をすることにした。  その日の夜――。  俺は何も考えずぼんやりと過ごしていた。  高校と部活メンバーには余命の事は伏せつつ、治療を要するため休学する旨を両親から伝えてもらうことに。 「……仁君」  部屋に入ってきたのはけいちゃんだった。 「…………俺さ……死ぬんだって……。まだ……16……なのに゛っ……ぐっ…………ゔぅ……」  こんな格好見られたくない……。  泣くつもりなんてなかった……。  なのに……止めどなく溢れ零れる涙……。  家族の前では堪えていたのに、けいちゃんの顔を見た途端に俺の涙腺は崩壊した。 「仁君、……悲しい時は泣いていいんだよ。何にも恥ずかしいことじゃない!格好悪くもない!……だがら゛……泣いでいいんだよっ……」  俺と一緒にけいちゃんもわんわん泣いた。  落ち着きを取り戻すまでどのくらい時間が経っただろうか……。ふと俺はけいちゃんに疑問を投げ掛けた。 「けいちゃん……仕事あるんじゃ……」 「ゔん……。今日は準夜だから24時30分までなんだけど、仁君以外の担当してる子たちは寝てるから大丈夫」 「……そんな目ぇパンパンで行ったらびっくりされるもんな」 「ほんまやな」  泣いて気分がすっきりした俺は、ある決断をした。 「けいちゃん。俺、治療受けるわ。明日、梅原先生にも言う」 「そっか……。なら私は全力で仁君の看護をするな!」 「ははは、……全力の看護って何さ」 「それは……言葉では言い表せないかな」  俺自身が決めたことを、全力でサポートしてくれる心強い看護師(けいちゃん)がいる限りきっと乗り越えられる。  曇りきっていた心は晴れやかだった。  俺の闘病生活の始まりの日は、雲ひとつない快晴だった。  まずは抗がん剤治療で腫瘍のサイズを小さくする、小さくなった腫瘍を手術で摘出する。再発のリスクも考え、術後には放射線を当てる、これが俺の治療メニューとして立案された。    抗がん剤治療が始まる前に、太い血管に管を入れる処置が行われた。身体に馴染むまでの間、少し引っ張られるような痛みを感じたが、背中の痛みに比べるとマシだった。この管を入れたままの一時外泊も可能、ということもあり両親へのテープ交換方法やお風呂に入る際、管の部分が濡れないようにするための防水テープの貼り方指導も開始された。俺が前向きに治療を受ける、という選択をしたこともあってか、家族みんな俺の前では笑顔だった。 「仁、その恰好も似合っててええな~」  姉が俺の姿をべた褒めした。  抗がん剤の影響でありとあらゆる毛が抜け、スキンヘッドとなった姿――。 「カッコいい?」 「めちゃくちゃカッコいいよ!けいちゃんもそう思うやろ?」 「うん!ちょっと厳つくも見えるけど、かっこええよ!」  ――厳ついは余計や……。けど……かっこええんか、俺。  休みの日には野球のチームメイトがお見舞いに来たり、検査結果の値で問題なければ一時的に外泊し、自宅で過ごす生活をしていた。  入院生活が長くなることで看護師とも距離が縮まり、俺はそれなりに充実した生活を送れていた。  治療は順調に進んでいる、そう思いながら日々過ごしていた。 「来年の大会、観に行きたいな」  父が面会に来ているときに思わず呟いた一言だった。 「ほな行くか!」 「このまま行けば、春までには抗がん剤治療が終わるやろ。春季大会、観に行けるんとちゃう?」 「そうやな。計画しよか!」 「おぅ!俺、頑張るわ!だから、俺の身体~めげずに頑張れよ~」  これまでだって何度も辛い治療を乗り切ってきた。  抗がん剤がきっと効いて、腫瘍も小さくなって、完全に取り除けばこっちのもん。  俺の勝ちや!    だが、俺の気持ちを無視するかのように腫瘍は大きくなっていた。   「できる限りの治療をしてきましたが、そのスピードを上回る勢いで銀山君の腫瘍は大きくなっています。おそらく今後、急変するリスクもあり、命の危険と隣り合わせです……。ご家族の間でゆっくり話し合って、今後どう過ごしたいか考えてください」  梅原先生からそう言われたものの、俺はもう決めていた。 「先生……俺、もう決めてるねん」  俺のしたいようにする。  幸いなことに、痛みのコントロールは薬でなんとかできていた。あとは身体が悲鳴さえ上げなければ……。  高校野球春季大会――決勝。  俺が通っていた高校はなんと決勝まで残っていた。  これは応援に行くしかない、その一心で俺は身体の調子を整えていた。だが、いつどうなるかわからない状態ということもあり、梅原先生とけいちゃんが同行することになった。  元チームメイトも、俺が万全の状態ではない中、応援に来ていることを知ってか、いつも以上に張りきっていると監督から聞いた。同級生が守って打って走る姿はすごく輝いて見えた。俺はその姿を目に焼き付けるように見ていた。  試合が進むにつれ、俺はだんだんと息が上がり始めた。 「仁君、ちょっとしんどいんじゃない?」 「……大丈夫。あと一回……、この攻撃が終わるまで観たい」 「わかった」  6回、7回、8回……試合が進んでいく。  あと一回、あと一回、あと一回……もう少しで試合が終わる。  見届けたい――最後まで。  だが、最後の一回を見届けることは叶わなかった。  急いで病院へと戻り点滴投与が始まった。  容体が落ち着いた時に聞いた話だと、最後の9回で相手方に逆転を許し、春季大会は準優勝。夏の甲子園への切符を逃すかたちで終わった。 『試合、最後まで観られなくてごめん。けど、みんなが頑張ってる姿は最高にカッコよかった!』  俺がチームメイトにメッセを送れたのは、試合が終わって1週間後だった。  その後も、俺は良くなっては悪くなる、この波を繰り返していた。  季節は初夏――。  俺は母親に頼んであるものを準備してもらっていた。  ――きっと今しかできない……。  俺は薄々感じ取っていた。  俺の命がもう間もなく終わろうとしていることを……。  全国高等学校野球選手権大会、開会式当日――。  開会式が行われている中継を見ながら、家族と梅原先生、深夜勤務明けにも関わらず駆け付けたけいちゃんに見守られ、俺は静かに息を引き取った。  ◇*◇*◇ 「けいちゃん、本当にありがとうね。けいちゃんが居てくれて本当に良かった」 「仁、けいちゃんが来るの楽しみにしてたからな」 「ほんとそれ。けいちゃんの話ばっかりしてたもんね」 「これ、仁から預かってたの」  そう言い、差し出されたのは一通の手紙だった。 「読みにくいかもしれないけど、仁が書いた手紙、受け取って」  空と雲のイラストが描かれた可愛い便箋に書かれた私の名前――。  それを見ただけでまた涙が出てきた。 「……読ませていただきます」  手紙を受け取り、私はその場で封を開け読み始めた。 『けいちゃんへ  この病院で過ごした日々の中でけいちゃんがいてくれて良かった。  いつも笑顔で部屋に来てくれるけいちゃんの存在は、俺にとってかけがえのない、大きな存在になってたよ。  ありがとう。  春季大会も無理言ったけど、それでも一緒に来てくれて嬉しかった。  ありがとう。  けいちゃんがまだ小さい頃に言ってた、看護師になる夢が叶って、こうして働いている姿を見ることができて良かった。  まだ誰にも言ってないけど、俺の夢も叶ったんだよ。  それはね、けいちゃんと野球観戦に行くこと。  本当はもう一つ、叶えたい夢があったんだけど、それは無理そうだからここに書いておくね。  けいちゃんと2人っきりで水族館デートがしたい。  けいちゃんは俺にとって、初恋の人だって気づいてた?  本当はきちんと話せたら良かったんだけど、体力的に難しいかな……。  だからこうして手紙で伝えます。  松岡佳子さん、大好きです!  銀山仁一朗』  溢れ出てくる涙をしばらく止めることができなかった。 「……仁君っ……ゔぅ……ありがとう、ありがとう」  目の前で眠る彼は、どこか微笑んでいるように見えた。
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