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プロローグ「春を待つ坂を上って」
十八歳になった私には夢があります、それは保育士になるという夢です。
夢を持つためには希望が必要で、それを持つことは私にとって簡単なことではありませんでした。
日本で十四年間を過ごし、父とハイスクール時代を丸々オーストラリアで過ごした私はそこで色んな人々と出会いました。
人種も違えば文化や価値観も違う。そんな土地で言語から覚え始めた私に人々は親しみを持って接してくれた。
そこで生きる力を得た私は慣れない環境にも対応できるようになっていきました。
初対面の人相手でも何とかコミュニケーションを取って会話を続けようとすること。私が苦手にしていたそのことも、オーストラリアの子ども達と接しながら次第に覚えていくことが出来ました。
そうして私は成長を実感することが出来て、希望を持てるようになったのです。
ハイスクール卒業後、私は日本の大学を目指すことにしました。
そして、いずれ保育士となって社会の役に立てるよう。
多くの人から受けた支援の恩を返せるように……。
それが、生まれながらにして目の見えない私の生きる目標となったのです。
*
―――1月13日。冷たい寒気が街を包む、白い雪の舞う季節。
大学入学共通テスト、通称センター試験当日。ハイスクール時代の制服に身を包み、マフラーを巻いた私は玄関先まで頬擦りをしてくる盲導犬のフェロッソに別れを告げるためその場にしゃがんだ。
「ありがとう、今日は頑張って来るから、帰ってくるまでお留守番よろしくね」
心乱さず、優しく声を掛けて、私は名残惜しくフェロッソを撫でた。
頼り甲斐のある大きな身体は実に肌触りが良く、温厚な姿は包み込むような安心感を与えてくれる。
彼も応援してくれている、私は勇気をもらいリュックサックを背負うと紺色のローファーを履いて立ち上がった。
後ろで束ねた長い黒髪が勢いで大きく揺れる。
勢い余って頭をぶつけないよう、慎重に私は玄関扉を開き、家の外に出た。
冷たい寒風が頬を撫でる。特に敏感な耳に冷気がやって来ると突き刺すような痛みを覚えてならない。
大学入試のため、以前住んでいた家に帰って来たばかりの私にはこの寒さは堪える。
オーストラリアでは今は夏の季節で1月の平均気温は28℃ほどあって朝でも20℃を超えてくる。
急速な気候変動を一人実感している私はダッフルコートを着て重装備で寒さを凌いでいくしかなかった。
玄関先の道路から馴染みのあるエンジン音が響いて来る。
試験会場まで送り届けてくれる父の運転する自動車がすぐ近くで私を待ってくれていた。
私は音を頼りに軽快に駆け寄って片手にホッカイロを握りながらスライドドアを開くとスズキのワゴンRに乗り込んだ。
シートヒーターの温かさとクーラーの温風が心地いい温もりを与えてくれる。
私が乗車したのを見て父が車を発進させると、私はホッとした気持ちでシートベルトを締めてシートにもたれかかった。
「郁恵、忘れ物はないか?」
私の父親、前田吾郎はいつもの落ち着いた声色で言った。
「うん、後は試験を頑張るだけだよ、お父さん」
「そうか、最初に日本の大学に行きたいと言い出した時は耳を疑ったが、今の時代、不可能なことじゃない。郁恵のやりたいようにやってみなさい」
視覚障がいを持っていても、大学教授になれるような時代だ。
この三十年程で障がい者福祉を巡る環境は劇的に変化を続けてきた。
先進国である日本だから各国に追従できたところもあるが、高齢者人口が増え、高齢者に対する理解と配慮も重視される日本ならではのスピード感とも言えるのかもしれない。
とはいえ健常者と障がい者、弱者と強者、そういった物差しがすぐに変わるものではない。
経済的な格差の広がりもある中で、高福祉高負担とも言われる今現在も、誰しもが平等に生きられる社会に向けて環境が移り変わっている段階なのだ。
私は先人に感謝を抱きながら前を向いて行く。私に寄り添ってくれるたった一人の家族である、父もこうして応援してくれているから。
「今日の空の色は……天色と言いたいところだが、空色かそれよりも薄い色をしているな」
車を運転する父がそう言葉を漏らす。道路を見ながら冬の空を眺めているのだろう。私は天色の空を100点の空と評していたのを覚えているから、それよりも少し点数が低い。だが、それでも晴れていることには変わらないだろう。
空の色が変わるのは、大気中を通る時に太陽の光が散乱するからだと教えられたが、私には仕組みを教えられれば理解できるが、色彩の事は知識として頭に入れているに過ぎないからよく分からない。
父が詩人のように言うところによれば、空の色や海の色は太陽や月の光によって変わりやすく、その見え方は人によっても違い、見え方の違いは人の心を映し出しているようだと話していた。全くもって神秘的で不思議な話だ。
ちなみに天色は晴天の澄んだ空のような鮮やかな青色のことを言う。空色はそれよりも薄く、昼間の晴れた空を思わせる紫みの薄い明るい青色のことを言うのだそうだ。
私はこうした話をする度に懐かしい歌を思い出す。
でも、それは今思い出すようなことではなかった。
視界が閉ざされた中で生きていても、世界を知らないということではない。感じることが出来ないということでも生きることが難しいということでもない。
それを私は、夏の海まで一人で歩き、砂浜で波の音を聞きながら実感したのだから。
「お父さん、大学に受かったら本当のお母さんのこと、教えてくれる?」
私はこういうお願いを出来るチャンスは滅多に来ないと思って聞いた。
「それは難しいな……郁恵に大切な人が出来たら教えてやることにしよう」
思い切って聞いてみたのに、あっさりと父は逃げてしまう。余程お母さんのことを話したくない理由があるらしい。お母さんの記憶がない私には予想のしようがないけれど。
「ずるいなぁ……前は大人になったら教えてくれるって言ったくせに。
恋人が出来るのなんて、就職するより難しいよ」
「はははっ! 郁恵も立派なことを言うようになったな」
「もう、すぐ誤魔化すんだから」
つい頬を膨らませて不満を露わにする私。
異性と親しくなった経験もまともにない私に大切な人なんて出来るのだろうか。目の見えない私を安心させてくれるような相手が。
受験前に余計なことを考えてしまった私は、何とか気持ちを切り替えようとイヤホンを付け、お気に入りのクラシック音楽に耳を澄まして一旦お母さんのことは忘れることにした。
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