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今日の試験会場となっている大学に到着すると、車からゆっくりと私は降りる。
冷たい空気を浴びながら私は折り畳まれた白杖を開き、伸ばして地面を突いた。
無事に試験会場に到着した私は受験者の人波に沿って恐る恐る入っていく。
一階の校舎を慎重な足取りで歩いていると程なくして私は話しかけられた。
「受験票はありますか?」
「あぁ……はい」
二十代くらいの女性の澄んだ声に私は慌てそうになるが、気持ちを落ち着かせてリュックサックから受験票を取り出した。
「ありがとうございます。前田郁恵さんでお間違いないですね。教室まで案内しますので、どうぞ付いてきてください」
私は一瞬、肘を掴んでいいものか迷うが、人が多いのもあって遠慮せず掴んで案内してもらうことにした。
「よろしくお願いします……」
つい緊張して声が小さくなってしまう。それでも私は歩幅を合わせてくれる相手を信頼して、軽く肘を掴んだまま教室まで案内してもらった。
「私は大学のサポートスタッフです。これでも現役大学生なんですよ、まだ試験開始まで時間はありますから気持ちを楽にして頂いて大丈夫ですよ」
少し年齢を気にしているのだろうか? そんな話しぶりにも聞こえた。
親身になって私のことを心配してくれている。私は四月から通うことになるかもしれない校舎の中で、席に着くと気持ちを切り替えようとマフラーを外してリュックサックに入れ、水筒を取り出して温かいお茶を飲んだ。
「別室……なんですね」
それほど大きくない教室に五人ほどの息遣いがする。そう私は感じ取った。
「この教室の近くにお手洗いもあります。集中しやすいようにと取り組んでいる配慮ですね。特に受験者から要望がない場合はこちらの教室になります」
私はそうなんですねと言いながらダッフルコートを脱いで頷く。座った椅子は懐かしい木製の小さめの椅子だった。女性はさらに言葉を続けた。
「分からないことがあったら手を挙げてくださいね。教室では静粛にですから。問題のヒントは与えられないけど、試験が無事に受けられるようにサポートさせて頂きます」
親しみやすさを感じる優しい声色で女性は話した。
実際のところお手洗いも一人で探すのは簡単ではない。
大学内を地図アプリのように詳細なデータに基づいて歩くことが出来れば、案内に頼らずとも自力で不安なく歩けるだろうが簡単に作れるものではない。壁づたいに歩く余裕もない以上、今日は彼女を頼ることになるだろう。
私よりもずっと大人びた落ち着きと優しさを感じる。私のような人にも理解があって、親切な対応にも慣れているのだろう。
ざわつく空気が遮られ、静かな教室の中でいよいよ試験が始まる。
ここにいる受験者の数は教室の広さに比べれば明らかに少ない。
サポートのしやすさから考えれば当然のことなのかもしれない。
点訳された試験問題と点字用紙が配られる。
いよいよ始まるのだ、用紙に触れて一段と大きく緊張を感じた。
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