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「ちゃんと戸締りするんだよー」
彼女が慌てて戻ってくるのを確認すると、おれはドアを閉めてメットをかぶりシマノのロードバイクにまたがった。ミラーグラスで目線を隠す。別にまぶしいからじゃない。視線を隠し本心を悟られないようにするためだ。さっき少女に伝えた台詞を思い出す。
「パパは元気だったよ」
おれは嘘つきだ。前傾姿勢でペダルを踏みこみロードバイクを四キロ先の総合病院にすべりこませる。営業所に帰るまえに、おれにはやることがあった。荷物の配達完了の報告。入口にロードバイクを停めると、ガラス扉をくぐり八階の入院患者用の病室に向かう。ここは先ほど荷物を直接受け取った場所。病室のネームプレートはすでに撤去されていた。
「これを、娘にお願いします」
最後の力を振り絞り、おれに絵美ちゃんへの誕生日プレゼントを託した男性。身体中の毛はなくなり、肌の色は消え入りそうなほど白く枯れ枝のように痩せ細っていた。彼はおれに荷物を預けると同時に息を引き取った。そして、その数十分後にはもうその身体は病室にはない。おれは空っぽになったベッドのうえに配達伝票を置くと、病室をあとにした。
「まいどあり」
こんなものはただの儀式だ。だが、この作業はおれにとって重要だった。メッセンジャーであるおれが運んでいるのは、ただの荷物じゃない。おれが運んでいるのは人の心なのだ。
「さて、帰るか」
ひと仕事終えたおれは病室を抜け、エレベーターホールに向かう。数メートル歩いたところで、盛大な喘ぎ声が聞こえた。もっともそれはセクシーものじゃない。「あうあうあー」というような言葉にならない意思表示の声だった。
なんの気なしにそちらに目をやる。痩せこけた二十代後半くらいの男性がベッドに横たわっている。身体中には無数の管がつけられていて、そのすべてがベッドサイドにある電子機器に繋がっていた。おれは目線を外しエレベーターホールに向かおうとする。
「ちょ……っど、待っ……で」
それをベッドのうえの男性が不自由な言葉で引き止める。
「あなだ……運送業者のひど……?」
どうやら視力はいいらしい。おまけに意識もはっきりしている。おれの着用している蛍光イエローのメッセンジャーの上着を見て彼が言った。
「あ、はい。そうですけど」
「よがっだ。それなら……だのみだい、荷物が、あるんだげど」
不自由な言葉だが、はっきりとした意思表示。こういった病棟では絵美ちゃんのパパ同様、集荷の直接依頼が舞いこむことが少なくない。誰もが最愛の相手に、最後の荷物を送ろうとしているのだ。
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