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1one day
◇◇◇
学校が休みの日、姉ちゃんの使いでコンビニに行った帰りに、いつも通る見慣れた道を歩いていたら、車が溝にハマってる。
気になって10数メートル先をチラ見しながら歩道を歩いたが、黒い高級車のタイヤが側溝にはまり込み、男が2人、車の周りで困ったようにウロウロしている。
スーツ姿を見てリーマンだと思い、手伝ってやろうと思って車の方へ足を向けたが、男達の風貌を見て直ぐに目を逸らし、何食わぬ顔で車から離れるように歩いた。
明らかにその筋の人達だ。
関わらない方がいい。
「っの、間抜けが!」
「す、すいやせん!」
危険地帯を通り過ぎようとした時、ダークスーツを着た背の高い男が怒鳴り、体がビクっとしたが、怒鳴られたのは俺じゃなく、そいつと一緒にいるもう一人の男だ。
冷や汗をかきながら走り出したいのを我慢して、早歩きで車を通り過ぎて行った。
よしよし……なんとか無事にいけた。
と、思ったが……。
「おい!そこの奴!」
(──ひぃぃー!)心の中で悲鳴を上げた。
俺はビビりながら立ち止まり、恐る恐る振り返った。
「ちょっとこっちへ来い」
「はい……」
「手伝ってくれ」
「え、と……」
「一緒に押すんだよ!」
「は、はい!」
嫌だったが、怒鳴るし、手伝うしかない。
背の低いポッチャリした奴が運転席に座ってアクセルを踏み、ダークスーツの男と俺が車のケツを押した。
だが、2トン近い物体が容易く動く筈はなく、牽引業者に頼んだ方がいいのでは? と思ったり、仲間に頼めないのか? と疑問を抱きながら手伝ったが、当たり前に無理だった。
ダークスーツの男が息を乱して押すのをやめると、運転席のポッチャリデブがこっちにやって来た。
「兄貴、無理みたいっすね」
「うるせー、お前がハメたんだろうが、ったくよー」
「あ、あのー」
「なんだ」
「板をかませたらどうかと……」
「板か、おおー、いい考えだな、おい寺島ぁ!板を探せ」
「わかりやした」
「あ、じゃあ、俺も探してきます」
「おう、わりぃな」
つい提案をしてしまい、板を探す羽目になった。
しかし、空き地でもあればいいが、そう都合よく板が落ちてるわけがない。
ふと見れば……側溝には水が流れてない。
溝の中を探す事にした。
車から近い場所から歩いて……歩いて、少し離れた場所に板があった。
それを拾って車の所へ戻ったら、俺に声を掛けてきた男は俺とは反対側の溝を探っていた。
男の傍に走り寄ると、男はすぐに気づいて振り返った。
「あのこれ、ありました」
板を差し出したら、男は辺りを見回してチビデブを呼んだ。
「おい寺島ぁ……! もういいぞ、こっちに来い」
「へい、わかりやした」
チビデブは道路の端を探していたが、振り返って返事を返し、俺達の方に走って来た。
それからタイヤに板をかませ、チビデブがアクセルを吹かし、何度目かに上手い事脱出に成功した。
俺は良かったとひと安心して男に言った。
「じゃあ、これで」
話をしたら、思った程怖い人達じゃなかったが、やはり、あまり関わらない方がいいだろう。
頭を下げて踵を返したら、男が声を掛けてきた。
「ちょい待て」
まだ何かあるのかと…内心困惑していたら、男は頭を掻きながら言った。
「お前のお陰で恥をかかずに済んだ、何か礼をしたい、ひとまずこれを……」
男は礼をすると言って内ポケットに手を突っ込み、黒い長財布をだした。
「いえ、いいです……、礼はいりません、そこら辺で拾った板ですから」
まだ金と決まったわけではないが、金じゃなくても礼なんか貰いたくない。
「なんだと? 礼を受け取れねーだと」
だが、男は上から睨みつけてくる。
「いや、そんなんじゃ……、あの……俺はただ、その……」
「馬鹿、冗談だよ、びびったか? アハハ、ほら、いいから受け取れ、心配するな、後腐れなんかねー、俺らも感謝の気持ちくらい持ってるんだ」
男は財布から数万出して俺の手に握らせると、肩を叩いて笑い飛ばした。
受け取るしかなく、握らされた現金を掴んで呆然としていたが、男は焦るように言った。
「はやくポケットにでもしまえ、こんなの見られたら不審に思われる」
「あ、はい」
「そんじゃ、兄貴行きましょうか」
「おう、じゃあな、助かったぜ」
「お前は後ろだ、俺が運転する……!」
「いいんっすか……?」
「また落とされちゃたまらねぇからな、さっさと乗れ」
「へい」
2人は車に乗り込んで、そのまま何処かに走り去った……。
「はあー、びびった……」
車が角を曲がって見えなくなったら、一気に力が抜けていた。
◇◇◇
それから数日経ったある日、学校が終わった帰りに翔吾の家に立ち寄る事になった。
翔吾とは3年になって初めて同じクラスになった。
仲良くなったのも最近で、当然家に行くのも初めてだ。
新しい友達が出来ると、未知の領域に踏み入るようで、なんだかワクワクする。
互いに自転車を押して、話しながら翔吾の家に向かっていると、翔吾は不意に真面目な顔をして言った。
「うち、普通じゃないかもしれないけど……、ビックリしないでね」
「ん……? 普通じゃないって……どういう事?」
「まあ、来ればわかる」
「あ、ああ、そうか」
なんだか分からないが、やけに沈んだ表情をする。
それから20分後に家に着いた。
門の外に自転車をとめたが、今時珍しい造りをした家に見とれていた。
「へえ、和風? すげーな、お屋敷じゃん」
「あ、ああ……、こっち」
翔吾は浮かない顔をしていたが、立派な純和風建築の家だ。
瓦葺の屋根がついた門をくぐり抜けたら、綺麗に手入れされた和風な庭が左右に広がり、玄関は細かな細工が施された引き戸になっている。
ついキョロキョロと見回していると、玄関の軒、塀の数箇所、あちらこちらに防犯カメラが設置してあったが、これだけの屋敷なら防犯カメラを置くのは当たり前だろう。
納得しながら玄関へ入ったら、男が待ち構えるように立っている。
「若、おかえりなさいやし」
男は翔吾に向かって深々と頭を下げたが、俺はなんとなく違和感を感じた。
「若……?」
一瞬殿様か? と思ったが、すぐに打ち消して翔吾を見たら、眉をひそめて俯いている。
一体なんなんだ?
「そちらはお友達ですか」
俺は翔吾の方へ向いて、何か答えるのを待っていたが、さっき頭を下げた男が俺を見て言った後に、驚いたように声を張り上げた。
「あーっ!」
「えっ! な、なんだ」
ビックリして男を見たら、先日の脱輪ヤクザだった……。
「あ……、え? どういう……」
頭が混乱した。
ここは翔吾の家だ。
翔吾の家は立派な家だった。
だけど、翔吾は若と呼ばれてる。
そして、ダークスーツの男。
さっき感じた違和感は、俺は以前この男と会っていたからだ。
「友也、僕んち……ヤクザなんだ、親父が組長で……」
「ええっ……! そ、そうだったのか?」
「でも、言っとくけど、僕は違う! 関係ない! だから友達でいてくれ……」
「あっ……、そっか、うん、分かった」
「ホントに……? 今だけじゃないよね?」
「ああ」
「そうか、お前、若のツレだったのか、俺は矢吹テツだ、宜しくな、お前はなんて名だ?」
「あ、はい……俺は石井友也です」
「そうか、ま、上がれや、さ、若も早く上がってください、直ぐに茶でも用意します」
「いいよ、自分でやる」
「何を仰って、俺は親父から若の補佐を頼まれてるんです、ボディーガードみてぇなもんだ、本来なら送迎つけなきゃならねぇのに、若がどうしてもお嫌だと仰るから、仕方なく」
「分かったから、じゃあ、お茶いれてきて」
「はい、わかりました、只今、おい友也、若と末永ーく仲良くしろ、いいな?」
「はい……」
「テツ脅すな……! いいから行け!」
「へい、わかりやした」
そのあと、翔吾の部屋に行ってソファーに座った。
部屋は洋室で広いが、ごく普通の部屋といった感じで、ソファーにテーブル、本棚に勉強机、一番奥にはベッドとサイドテーブルが置いてある。
俺はテーブルを挟んで翔吾と向かいあって座ったが、翔吾は家の事を気にしてるのか、膝に手を置いて深く俯いてる。
どう声をかけたらいいか分からない。
翔吾はヤクザだとか、そんな事を感じさせるようなタイプじゃないし、俺は気にしてないんだが……。
ひとまず……励まそう。
「家の事、気にしなくていいから、というか、俺は気にしてないし」
「うん……」
さらっと何気なく言ったつもりだが、元気は戻らない。
だったら、そこには触れずに話題をガラッと変えようと思った。
「あ、そうそう、翔吾は……兄弟はいるの?」
「ひとり」
しかし……話題は広がりそうにない。
「そっか……」
「友也は?」
すると逆に聞き返され、慌てて答えた。
「俺は姉ちゃんがいる」
「へえ、いいな、お姉さんか、憧れる」
「そりゃあ実態を知らないからそう思うんだ、姉ちゃんはろくな事ないぞ、弟の事を下僕、召使いだと思ってる、俺なんかパシリだよ、パシリ」
「あはは、でもいいじゃん、楽しそう、僕は小さい時に母さんが死んじゃって、親父は忙しいし、ずっと親父の下についてる誰かに面倒をみて貰ってた、今はテツ、テツは僕が10歳の時から僕の世話を焼いてくれてる、あの時、確かテツはまだハタチだった、今はあんな顔をしてるけど、もっと若い感じだったな」
「へえ、子分に面倒みて貰ってたんだ、心強くていいな」
「うん、そうだね、確かに……、強面な男が周りにいたらイジメにあう事はないかな、その代わり……誰も親しく付き合おうとはしない、だから高校に入った後、テツには周りをうろつくなって言った、高校だと家の事を知らない奴ばっかしだろ? なのに2年までは迎えに来たりしてた、それで皆に避けられちゃって、3年に上がった時にテツを叱りつけたんだ、だって、友達を作る最後のチャンスじゃん、そこでまたテツに邪魔されたら大迷惑だ」
「そっか……、こんな事言ったらあれだけど、ヤクザって聞いたらビビるもんな」
「大抵はそう、中学からはたまーに擦り寄ってくる奴もいたが、間違いなくヤンキーとか不良系、僕と親しくしてたら威張れるからだ、僕の立場を笠に着てるだけ、大体、僕はヤンキーとか、話があうわけないし、家がそうだからって……そっち側に行くとは限らない、親父は僕を若と呼ばせてるけど、僕は嫌だ、絶対組なんか継がないから」
たわいもない話で何とか元気にはなったが、結局話がそこへ戻ってしまった。
翔吾は跡継ぎとして期待されてるようだが、本人は激しく嫌そうにしてる。
顔を見れば一目瞭然だ。
また静寂が訪れた。
何となく気まずい……。
その時、ドアをノックする音がした。
「若、茶を持って参りました、入りやすぜ」
「ああ、どーぞ」
テツがお盆を持って入ってきた。
お盆には急須と陶器のコップが乗っていた。
テツはテーブルの上にそれらを置くと、急須からコップにお茶を注ぎ、俺と翔吾の前にコップを置いたが、お盆を持って翔吾の斜め後ろに立っている。
髪型はソフトモヒカンで黒髪だが、ワイルドな感じだ。
無精髭のような髭を生やし、だらしなく開いたシャツの襟元から、金のネックレスが覗き見える。
顔立ちは言うまでもなく強面で、目付きが鋭い。
「テツ、お前がいたらビビるだろ」
テツをチラ見して目を逸らしたら、翔吾がそれに気づいたらしく、振り返ってテツに向かって言った。
「俺はずっと若の傍にいたんだ、若がまだ可愛らしいガキだった時から、若の面倒をみてきた、風邪をひいて熱を出した時も、雷を怖がって泣いてた時も、風呂にも毎日一緒に入ったじゃないですか、だから同席させて貰います」
翔吾から話を聞いた事もあって、俺はそんなにびびってはいなかったが、テツの話を聞いて思わず顔がニヤケた。
強面なテツが、乳母のように翔吾の面倒をみたのかと思うと……笑える。
「テツ……!」
翔吾は顔を赤らめてテツを怒鳴ったが、なんだか面白そうだ。
「翔吾、いいよ、大丈夫だから、俺ビビってねーし」
「だよなー、へへっ、俺らは顔見知りだしな」
だが、俺の言葉に気をよくしたのか、テツがやって来てしれっと隣に座り、さも親しげに肩に手を回してきた。
「あっ、ま、まあー……」
「顔見知り?」
「おうよ、そうだろ友也?」
「は、はい……」
顔を覗き込んで聞いてきたが、近い、馴れ馴れしい。
離れて欲しいが……言えない。
「そういえば、さっきテツが驚いてたね、何かあったの?」
翔吾がさっき玄関でテツが『あーっ!』と言った事に触れ、そしたらテツは俺から離れた。
「いやまあ……あれだ、寺島の馬鹿が、車を落としやがったんだよ、溝に……、で、こいつが手伝ってくれたってわけだ」
「そうなんだ、寺島は運転下手だからね」
寺島というのは、あの時いたチビデブの事だろう。
そう言えばあの時もそう呼んでいた。
テツは名前で呼ばれているようだが、恐らく、乳母的な立場だから、上下関係無しで名前で呼ばれてる。
普通とは違う特殊な家で育つって、一体どんな感じなんだろう。
そう思った時に、また誰かがドアをノックした。
「開けていいっすか……?」
「ああ、いいよ」
「若、失礼します、兄貴、ちょっと来てください」
翔吾が返事をしたら、見知らぬ男がドアを開けて顔を覗かせたが、男は中に入ろうとはせず、遠慮がちにテツに言った。
「おう、わかった、じゃあな友也、また遊びに来いよ、絶対だからな」
テツは男に返し、俺の肩を掴んで念を押した。
「はい」
もうびびってはいなかったが、いちいち睨みつけて脅さなくても、また遊びに来るつもりだ。
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