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102Thank you for loving me all the time(疫病神と救いの手)
◇◇◇
バイト2日目もミノルと一緒に難なく仕事をこなし、テツには水野とカオリの事を伝え、3日目、4日目とすぎていき、間に休みを入れてあっという間に1週間が過ぎていた。
マリアは時折俺に絡んでくるが、他のメンバーが茶化すから、そのお陰で助かった。
他のメンバーとは、アキナとマリアを除くと……。
ボブスタイルのルイ、巻き髪のカルメン、口元にホクロのある貞子。
それから、背が低い百恵にアジア系ハーフのマヒルだ。
ショータイムは音楽に合わせて踊りを披露し、その時のノリで客もステージに上がって踊る。
エロい要素は若干あるが、たいしたものじゃないから、まだ平気でいられた。
三上はあれ以来出て来なくなってしまったが、10日目の今日、やっと表に現れた。
前にも言っていたが、ミノルの意思が強くなると、出られなくなるそうだ。
俺とミノルは嬢達の着替えを手伝ったあとで、店に出て手伝いをしていた。
嬢に頼まれた酒をトレイに乗せて運び、テーブルへ置いて定位置に戻ったら、三上も同じように酒を頼まれたのか、カウンターの中に入っている。
テーブルは全て満席、満員御礼ってとこだ。
トレイを脇に抱えていつもの場所に立っていると、左奥のテーブル席にいる客が立ち上がり、俺の方へ歩いて来た。
「ん……?」
暗いからよく分からないが、スーツを着た男だ。
酔っ払った客が絡んできたら嫌だな~と思ったが、逃げるわけにもいかず、そのまま突っ立っていた。
男は真っ直ぐに歩いて来たが、近くに来て姿がぼんやりと見えてきた。
緩いパーマのかかったセミロングの髪型をしているが、ニヤつく顔を見て誰だかわかり、咄嗟に逃げ出そうとした。
いつかは現れるんじゃないか? と思っていたが、疫病神の堀江だ。
「やっぱり友也だ、ちょっと~待ちなよ~」
即座にバックヤードに逃げようとしたが、腕を掴まれてしまった。
「ちょっ……、離せよ」
スーツを着ているからまさか堀江だとは思わず、油断して逃げ遅れた。
「友也、こ~んな所で働いてたんだ~」
「うるせーな、別にいいだろ……」
「ちょっと~俺は客だよ、接客してよ~」
「俺は雑用だ、接客なら嬢に頼め」
「じゃあさ~、あのお兄さんはどうなった~? 友也さ、角刈りのお兄さんと浮気してたんだろ~」
こいつが余計な事を言ったせいで竜治との事がバレたのに、よく図々しく言えるものだ。
「お前にゃ関係ねー」
大体、俺がなにをしようが堀江には関係ない。
「そう言うなよ~、なあ俺、あの時についペラペラ言っちゃったけど、謝るからさ~、ね、あの後どうなった? やっぱ別れちゃった~?」
「知るか……、つか離せ」
無視して腕を振り払おうとしたが、がっつり絡みついている。
「別れたなら俺に紹介してよ、俺さ~、あのお兄さんタイプなんだ~、な、いいだろ~」
堀江は馬鹿な事を言ってくる。
「やなこった……、別れてねーから」
「そうなんだ~、へえ、案外優しいんだね、俺さ、店長と知り合いになってこの店が霧島組の物だって聞いたんだ~、で、ショットバーで友也と会った後にお兄さんの事も聞いちゃった~、やっぱりヤクザじゃん、なのに~浮気を許したの?」
やっぱり店長と知り合いだった。
テツの事はバレてしまったようだが、こいつに知られたからといってなんて事はない。
「だから、関係ねーだろ……、つか、離せっつーの、このっ」
兎に角、こいつと関わるとろくな事がないので、力任せに腕を引き離した。
「キャハハッ! 抱きついちゃお~、えいっ!」
けど引き剥がした拍子に、背中側に回り込んで抱きついてきた。
「やめろって……、俺は仕事中なんだ」
「ふふっ、後ろをとられちゃマズいよね~、キャハハッ!」
「ふざけるな、離せって!」
「あら、こんな所で抱き合って……、何してるの? 知り合い?」
揉み合っていると、上手い具合に貞子がやって来た。
「あっ、貞子さん、このお客さんが退屈してるらしく、俺に絡んでくるんですが、俺は雑用係なんでお願いします」
堀江を貞子に丸投げした。
「あ~ちょっと~、もう、酷いな~」
「あらら、あたし達じゃ不満? やだ、よく見たらまだ若いじゃない、ほら、こっちに来なさいよ~、あたしが相手をしてあ げ る」
「んもう、仕方ないな~、友也~、んじゃ、またね~」
堀江は貞子に力強く掴まれ、テーブル席へ連れて行かれた。
「はあー、参った……」
やっぱりウザイ事になった。
「おい、どうした……、今揉み合ってたろ、あいつは誰だ」
三上が酒を運び終えて戻ってきた。
「あの、ちょっと裏で……」
ここじゃ話しにくい。
「おう、わかった」
控え室には入らず、廊下の隅で話をした。
ざっくりと事情を話したら、三上は堀江がどういう奴なのか、理解してくれた。
「あいつが河神とな……、しかし、お前にとっちゃ厄災を招くような相手だな」
「はい、俺がここにいる事がバレてしまったので、あいつ、これからも来ると思います」
「まあ、河神の事を突っ込んで聞いてこねぇから、唯一そこは救いだな」
「そう言われたら……、確かにそこは救いです、あいつはチャラいから、河神とも適当に付き合ってただけなんじゃないかと」
「ふんっ、あんなヒョロくせぇ奴、俺が蹴散らしてやる、友也、俺に任せな」
三上は頼もしい事を言ってくれるが、体はミノルだから、正直……堀江に勝てるとは思えない。
「あ、はい、でも……無理しないでください、あくまでもミノルなので」
「あらあ~、また2人きりで内緒話?」
話し込んでいると、マリアが控え室から出てきたが、サンバの衣装を身につけて俺達に近づいて来る。
着替えは必ず手伝わなきゃならないってわけじゃなく、俺達はあくまでも補助だ。
頼まれた時に出陣する。
「ちょっとあんた、下はみ出てる、そんなもん見せちゃマズいわよ~、ここはストリップじゃないんだから~、キャハハッ」
ルイとカルメンも同じ衣装を着て控え室から出てきたが、ルイはカルメンの股間を見てゲラゲラ笑った。
3人共胸は派手に露出していて、下のモッコリも危ない状態になっている。
「ちょっとマリア~なにしてるの、行くわよ」
「わかった、ふふっ、じゃ、また後で」
マリアはクレオパトラみたいな顔で微笑み、金ピカ衣装をケツに食い込ませて歩いて行く。
歩く度にケツが左右に揺れ、頭の羽飾りも大きく揺れ動いた。
ここのニューハーフ達はオカマにしては上質な方だと思うが、毒気があるのは否めない。
「しかしよー、矢吹もよくやるよな、俺はお前みてぇな奴を女装させるのは好きだが、端から女になりきられちゃ……萎える、やっぱりよ、戸惑ったり、羞恥に塗れるのが堪らねぇ、ああなっちまったら終わりだ」
三上は3人の後ろ姿を見てぶつくさ言った。
「あのー、どのみち変態だと思いますが……」
「へへっ、だな……、はははっ」
3人はステージの裏側へ回り込んだから、これからショーが始まるんだろう。
「っと、どうします? ショーだったら手伝わなくてもいいかな……」
「そうだな、今のうちに控え室を掃除しようぜ」
「あ、はい」
ショータイムが終わる迄、三上と一緒に控え室を掃除する事にした。
ハルさんに言われたように割烹着と三角巾を身につけ、俺はモップ、三上は台拭きをやっていった。
2人で手分けしてやれば、あっという間に終わる。
廊下に出てモップをかけていると、従業員専用扉の近くで賑やかな音楽が聞こえてきた。
ショータイムは客もハイになるから、店内は覗かない方がよさそうだ。
「おお、やってるね」
扉とは反対に向いてモップを滑らせていたら、ハルさんが店長室から出てきて傍にやって来た。
満面の笑みを上回る、超にっこにこな顔をしている。
「あ、どうも」
手をとめて頭を下げたら、三上が側にやってきた。
「おお、マネージャーか、真面目にやってるぞ」
「はははっ、ああ、わかってるよ」
三上は偉そうな言い方をしたが、ハルさんは目尻を下げて三上を見ている。
「あの、俺、今のうちにバックヤードの掃除をやっときます」
俺はハルさんに会釈して掃除を再開した。
「うん、うん、いいよ~、実にいい」
ハルさんは廊下の端に立ち、腕組みをして俺達を眺めているが、どことなく変な雰囲気だ。
「可愛いな~、堪らないよ」
明らかに、俺達が掃除する姿を見て楽しんでいる。
やがて従業員専用扉が開き、ショーが終わったのか、サンバの3人が戻ってきた。
「ふう、終わった終わった~、最近腰にくるわ」
「あんた、少しは鍛えなさいよ」
「ん、ハルさんじゃないの」
「あ~、また始まった」
「ちょっとハルさん、なに鑑賞してんのよ」
「何って、彼らの働きぶりを確かめていただけだ」
「嘘おっしゃい、割烹着フェチも困ったものね、あ~ほら、やっぱり動画なんか撮って」
「これは、記録をつけていただけだよ」
「なにが記録よ、たかが廊下をモップで拭くだけで、記録に残す意味ないじゃないの」
3人の嬢はハルさんの周りに集まり、マネージャーという立場をもろともせずに、ハルさんを責めたてているが、割烹着フェチ……。
そんなのは初めて聞いたが、ハルさんには特殊な趣味があるらしい。
しかもスマホで俺達を動画撮影していたらしく、何食わぬ顔でスマホをポケットにしまい込んだ。
「おかずにするんでしょ」
「おかずとは、一体どういう意味だね?」
「ちょっと~、なにすっとぼけてんの」
「あの子達が可愛いから~、雑用としては勿体ないもんね~、ふふっ」
マリアは俺をチラ見して言った。
「馬鹿な事を言わないでくれたまえ、それよりも、ショーが終わったらラストだよ、最後まで居てくれたお客様に、最大限の敬意と感謝を込めてお見送りするんだ、さあ、行った行った」
ハルさんは認めるつもりはないらしく、3人にはっぱをかけて促した。
「は~い」
3人は頭の羽を揺らしながら控え室に入って行った。
「それじゃ、君達も頑張ってね」
ハルさんは俺達を見てニッコリと微笑み、上着を翻して颯爽と店長室に歩いて行く。
「なあ友也、あいつ、変わってるな……、割烹着に興奮するのか?」
三上は真横にくっついてきて腕を絡めて言う。
「そうですね、ちょっと聞いた事ないし、珍しいんじゃないかな~」
確かに変わっている。
「ま、こんな店で働く奴は、所詮みんな変態だ」
三上は変態だと言ったが、他人事では済まされない。
「じゃあ、俺達も……って事になりまよね?」
「おう、さっき言っただろ、俺もお前も変態だ」
開き直って言われたら、どうでもよくなってきた。
「ああ、まあ~」
「へへー、今はお前の方が背が高ぇからな、俺はミノルだからよ、こんな真似をしても違和感ねーな」
三上は俺の腕に頬を擦り寄せてきたが、中身が厳ついおっさんだという事実は……極力考えないようにした。
「あらら~、またいちゃついて~、矢吹さんにチクッちゃおっかな~」
控え室のドアが開き、マリアが出てきた。
「ちっ、またお前か、うっせー、邪魔するな!」
着替えが済んだらしく、普通のドレスを着ているが、三上は身を乗り出してマリアに噛み付いた。
「やだぁ~、こわ~い、うふふっ」
マリアはニヤニヤしながら三上目掛けて歩いてきた。
「ちょい待て……来るな!」
三上は血相を変えて俺から離れた。
「なに逃げてんの~、生意気言うなら来なさいよ~」
「冗談言うな、またチュウするつもりだろ、生気を吸い取られてたまるか!」
「キャハハッ、待て~」
「来んな!」
また追いかけごっこが始まった……。
三上は店長室の前に逃げて行ったが、マリアは面白がって追いかけて行く。
下手に止めて、マリアが俺に意識を向けてきたら困る。
この際、三上には犠牲になって貰うしかなかったが、また控え室のドアが開いてルイとカルメンが出てきた。
「ちょっと~、遊んでる暇ないわよ、マリア」
「あ、わかった~、ふふっ、またあとでね、ミノルく~ん」
「もう来るな!」
マリアは他の2人と一緒にステージの裏側の方へ歩いて行き、三上は俺の側に戻ってきた。
「大丈夫ですか?」
「ああ、ったくよー、味をしめやがって……」
◇◇◇
10日目も嵐のように過ぎていった。
疲れ果てて帰宅したら、テツが先に帰っていた。
「帰ってたんだ」
「おう……」
ソファーに座っているが、やけに浮かない顔をしている。
「ん、なにかあった? なんか元気ないな……」
心配になってテツの隣に座ったら、ソファーの下からヌウッと何かが現れた。
「うわっ!」
何かが足の間を通り抜け、びびって反射的に足をソファーの上にあげた。
「ニャ~」
「えっ?」
ふわふわの白い毛に、か細い鳴き声……龍王丸だ。
「あ、あれ? なんで龍王丸が?」
「火野がよ、ちょいと忙しくて……預かってくれと」
火野さんは最近帰れない事がちょくちょくあるようだ。
「そうなんだ、姉貴大丈夫かな?」
姉貴の具合が気になる。
「姉ちゃんは無事だ、忙しいのはシノギだ、で、病院も行かなきゃならねぇからマンションに帰れねー、だからだ……」
「そっか、姉貴が無事で良かった」
何事もなくて安心した。
「ニャ~ン」
足をおろしたら、龍王丸が膝に飛び乗ってきた。
「あっ、あははっ」
「けっ、おめぇには懐く癖に……」
スリスリして甘えてきたが、テツは不満げだ。
「ん? ひょっとして、嫌われた?」
「俺が手ぇ出すだろ……」
テツは龍王丸の方へ手を伸ばした。
「シャァァァアーッ!」
すると、龍王丸は牙を剥いて威嚇する。
「これだよ、ったく~、餌と水はキッチンへ置いたが、それはちゃっかり食う癖に、触ろうとしたら引っ掻くんだ、見ろよ、これを」
テツは手の甲を見せたが、引っ掻き傷があった。
「あ、引っ掻かれたんだ」
「おうよ、頭を撫でてやろうとしたのに、ひでぇ真似しやがる」
「あれだよ、ずっと前に、いきなり玉を確認しただろ?
だから嫌われたんだ」
そう言えば、テツはあの時も引っ掻かれた。
「あのな……、猫にそんな感情あるかよ」
「ニャ~ン」
龍王丸は膝の上でゴロンと寝転がり、喉を鳴らして甘えている。
「ようし、今なら……」
テツはそっと手を伸ばした。
「シャァァァーッ! ふうぅ~……」
龍王丸は嘘みたいに凶暴化し、パッと身を翻して身構え、テツを睨みつけて唸り声をあげる。
「なんだよ、こいつ~、くう~腹立つ」
テツは悔しがっているが、相手は猫だし、こればかりは仕方がない。
「焦ってもだめだよ、逆に知らんふりしてたら? まず慣らさなきゃ」
時間はかかるけど、龍王丸が自分から心を開くまで、当たらず触らずでじっと待つのが一番だ。
「はあ~、ったくよー」
テツはソファーに寄りかかり、龍王丸はリラックスして甘えだした。
部屋の隅を見たら、ちゃんとトイレも置いてある。
「おい、猫ばっか可愛がってんじゃねー」
「あっ」
「来い」
背中に腕が回り、グイッと引き寄せられた。
龍王丸はぴょんと膝から飛び降りたが、テツに向かって威嚇している。
「ふう~うっ、シャァァァーッ!」
「龍王丸、怒ってる」
「ほっときゃいい」
頭の後ろを掴まれて唇が重なった。
「ん……」
艶かしい感触に鼓動が高鳴り、背中を抱いてシャツを弄っていると、間近に気配を感じた。
目を開けて見たら、龍王丸がソファーの背もたれに上がって、真上から俺達を覗き込んでいる。
「ちょっ……」
堪らなくなって顔を離した。
「なんだよ」
「龍王丸が……」
「ほっとけって……」
テツはほっとけと言うが、龍王丸は唸り声を漏らしている。
「ふう~う……」
「コノヤロウ、猫の癖して……、お前は居候だ、隅っこで大人しくしてろ」
「シャァァァーッ!」
どういうわけか、テツに敵対心を抱いてるようだ。
「龍王丸、火野さんは留守なんだ、だからさ、いい子にしてなきゃ、な? あとでおやつやるから」
一応言い聞かせてみた。
「ニャ~」
龍王丸は小さく鳴いてぴょんと下に飛び降りた。
「お前の言う事は聞いた、で、俺には『シャーッ!』か?
どういう事だ、俺はよ、人間にはビビられても、動物にこんな風に嫌われた覚えはねぇぞ、意味分からねー」
テツは諦めムードで愚痴ったが、確かにテツは……猟犬には慕われていた。
「うーん、わかんねぇけど、テツは犬には好かれてたし……、犬なんだよ、だから龍王丸は警戒する」
「俺が犬だと……、なんだよそりゃ」
「いや、変な意味じゃなく、ほら、犬派と猫派っているだろ? テツは犬派なんじゃねーの?」
何となくそんな気がした。
「おお、まあ~、そういや、犬は俺の言う事をきく」
「オーラが犬なんだ、ぷっ……、多分さ、背後霊に猟犬でもついてんじゃね? 虫やトカゲとか、なんでも食うし」
事実、蜂の幼虫をガツガツ食ってたし、山椒魚も美味そうに食べていた。
「こいつ~、好きな事を言いやがって……、ありゃ立派な食いもんだ、ジビエだっつってるだろ、このっ!」
テツは擽り攻撃をしてきた。
「ちょっと、それ無し! わっ、やめっ、アハハハッ!」
死ぬほど笑わされ、ぐったりしたところでキスされた。
そのままいつものパターンにハマったが、ふと下を見たら、龍王丸が仏頂面で俺達をじっと眺めていた。
◇◇◇
翌朝、目覚めて朝飯を作った。
焼き魚に味噌汁、漬物にご飯……ガッツリ和風テイストだ。
「マリアはなんか言ってくるか?」
テツはご飯を食べ終え、緑茶をすすりながら聞いてくる。
「たまに」
マリアは相変わらずテツの事を口にするが、俺は詳しく話すつもりはない。
「そうか、あんまりしつこいようなら言え、俺が叱ってやる」
テツは一応気にしてるようだ。
「あ、うん……」
「ニャ~」
龍王丸がソファーに上がってスリスリしてきた。
「へへっ、魚欲しいのか?」
「おい、やめとけ、火野がな、餌とおやつ以外やるなっつってたぜ」
魚をやろうとしたら、テツが言った。
「そうなんだ、じゃ、だめだ、我慢しろ」
「ニャ~ン」
龍王丸は残念そうに鳴いたが、諦めたようにゴロンと寝転がる。
「いいな~、こういうの、悪くない」
テツと2人でいるのも悪くないが、家に動物がいるだけで癒される。
ふわふわの毛を撫でていると、やたら気分が落ちつく。
「よくね~、餌ぁやって、糞を掃除してやって、牙を剥かれちゃ堪らねぇ」
だけど、テツは気に入らないらしい。
「世話は俺がやるよ」
「ああ、頼む、俺は親父と出かけなきゃならねぇから、ケビンがくるまでそいつと一緒に待ってな」
「うん、わかった」
堀江が来た事を話そうかと思ったが、朝っぱらから穏やかなムードを壊したくないし、また今度話す事にした。
それから後、 テツはまたどこかに出かけて行った。
『気をつけて』と言って送り出し、テーブルの上の食器を片付けようとしたら、龍王丸が足元に絡みついてくる。
「ははっ、寂しいのか?」
龍王丸に話しかけたが、寂しいのは俺の方だった。
慣れてるつもりだが、慣れれば慣れる程、別れ際の寂しさは強くなる。
でも龍王丸がくっついてくるから、寂しさが紛れた。
シャワーを浴びて音楽を聴き、昼を適当に食べてベッドでゴロゴロする。
龍王丸は常に側にいるが、姉貴や火野さんにも、こんな風にベタベタ甘えてるんだろう。
今日は風が強いが、部屋の中は別世界のように静かだ。
時計の秒針が耳につき、単調なリズムが眠気を誘い、ついウトウトと目を閉じていた。
目を覚ましたら、思ったよりも長い間寝ていた。
「やべっ……」
あんまりゆっくりしてたらケビンがやってくる。
慌てて起き上がり、龍王丸の餌と水を確かめ、トイレを掃除して砂を足した。
着替えを済ませて、ボサボサの髪を撫でつけていると……ピンポンが鳴った。
まだちょっと早いが、ケビンが来たのかもしれない。
「あ、はい、ちょっと待って……」
「ニャ~」
焦って玄関へ向かったら龍王丸がついて来たが、ドアノブを掴もうとしたら、足に絡みついてきた。
「おわっ、あぶねっ……」
危うく転けそうになったが、ドアノブを掴んで倒れずに済んだ。
「すみませ~ん、今開けます」
鍵を開けてドアを押し開けた。
「友也」
「ケビン? えっ……」
ケビンだと思って見上げたら……翔吾だった。
「びっくりした? たまには僕が送ろうと思ってね」
確かにびっくりしたが、くっついてる筈の黒木の姿がない。
「っと……、黒木さんは?」
「親父について行った、テツと一緒にね」
「あ、そうなんだ……」
2人が一緒に呼ばれるのは珍しいが、きっと何か大事な用でもあるんだろう。
「ニャ~」
龍王丸が足に頭を擦り付けてくる。
「その猫は源ちゃんちの?」
翔吾は龍王丸の事を聞いてきたが、俺は翔吾の事が心配になった。
「うん、そう、だけどさ、翔吾……ひとりで出歩いちゃマズいだろ? 誰か付けなきゃ」
翔吾は体を鍛えてはいるが、実戦経験は無いに等しい。
若頭が護衛無しじゃマズいだろう。
「大丈夫だよ、ここんとこ平和だしね、たまには気楽に動きたい、今日は友也と一緒に過ごすつもりで来た」
だけど、あっけらかんと言う。
平和ならそれに越したことはないが、思わぬ事を言ってきた。
「えっ、一緒に? いや、でもさ、俺はバイトが……」
困惑した。
翔吾は俺を休みにしようと思えば出来るから、前みたいに強引にラブホへ行かれちゃ困る。
「僕もシャギーソルジャーに行くよ」
ところが予想は外れ、翔吾は店についてくるという。
「え、いや、あのー、来てどうすんの?」
「別になにも……、あの店は親父の店だから、僕の店も同然だ、好きにさせて貰う」
「あ、まあ……、そりゃそうだけど」
親父さんの店と言われたらそれまでだが、それはそれで困惑する。
もし三上が現れていたら、また感激して号泣するかもしれないし、万一堀江がやって来たら……一悶着起きそうな気がする。
「花車の時は行きたくても行けなかったからな、あんな穢らわしい女共がいる店など、吐き気をもよおす、その点シャギーソルジャーは安心だ」
「あ、うん、まあ……」
俺は花車の方が断然良かったが、翔吾はカマの方がいいらしい。
それはわかるが、ゴタゴタするのはごめんだ。
「いや、わかったけど……、俺は一応仕事だし、それにほら、翔吾が来たらみんな気を使うんじゃね?」
出来れば遠慮して貰いたかった。
「ふっ、大丈夫だよ、あの店の連中はちょっと変わってるから、僕が行っても平気だよ」
変わり者というか、そもそもニューハーフな時点で普通じゃないが、翔吾は来る気満々だし、そこまで言われちゃ止めようがない。
「そっか、わかった……」
諦めた……。
「じゃあさ、まだ早いから~、カフェでも行こうか」
「あ、うん」
「ふっ、テツも黒木も居ない、今のうちにデートだ、へへっ」
翔吾は悪戯っぽく言って笑う。
「あ……、ははっ」
その笑顔は昔とおんなじだった。
それを見たら、満更でもない気持ちになってくる。
「わかった、じゃ、ちょっと待って、すぐに用意するから」
バタバタと出かける用意を済ませ、翔吾と一緒に駐車場へおりた。
「乗って」
「あ、ああ……」
促されて助手席に乗ったが、この車は初めて乗る車だ。
黒塗りの外車……。
厳つい車だが、若頭の翔吾には相応しい車に思える。
「外車とか、すげーな」
俺は初めて乗る高級外車にちょっとぴびった。
「別に凄くないよ、気に入って乗ってるわけじゃないし、どうでもいい」
でも、翔吾は興味無さそうに言う。
きっと親父さんが一方的に押し付けたに違いない。
やがてイタリアンなカフェに到着し、デザートと飲み物を頼んだ。
「ここは禁煙か、ルールは守らないとな」
翔吾は出したけたタバコをポケットに引っ込めた。
「翔吾がタバコを吸うとはな」
アイスを食べながら、暖かいカフェオレを飲んで翔吾と話をする。
「ね、僕のこの格好、似合わない?」
「いいや、似合ってる、大人っぽくなったよ」
「友也も、スーツ似合うよ」
「ああ、これ、助かってる」
翔吾に貰ったスーツが仕事着だ。
「僕は体重増えちゃったよ」
「筋肉つくから仕方ないよな」
「まあね、体を鍛えても、実際にやり合う事はないけどね、何かあっても、まず僕が手をくだす事はないよ、まあーだけど~、筋肉つけたらハッタリにはなるかな」
「そんな……ハッタリだとか、そんな事ねーよ」
「ふっ……、僕は甘ちゃんだから、親父やみんなに守られてる」
翔吾は自信なさそうに言ったが、愚痴は俺の前限定だとわかっている。
「翔吾、そんな事ねーって、俺を庇ってくれたじゃん」
実戦は別かもしれないが、心は確実に強くなった。
「ああ日向か……、浮島の連中はあれから何か言ってきた?」
「あ、うん……」
つい口が滑りそうになったが、竜治との事はケビンは内緒にすると約束してくれた。
「何かあったんだな、テツは勿論だけど、誰にも言わないから、ね、言ってみて」
バラそうか迷ったが、翔吾を疑う余地はどこにもない。
「うん、じゃ話すよ……、ケビンに店に送って貰った時の事なんだけど」
「うん、それで?」
「まだ時間があるからって、ケビンはレストランに連れて行ってくれた、そこで……竜治さんに会ったんだ」
「木下がそこに居たのか?」
「うん、そん時、竜治さんは女の人を連れてた、で、ケビンに女を渡すから……代わりに俺を渡せと、そう言った」
「えっ、何言って、そんな事……、木下は友也には手を出さないと約束した筈だ、それを破ると言うのか」
「らしい……、竜治さん、なんかヤケになってるっぽかった、腕を引っ張って強引に連れて行こうとした」
「ヤケって、自分がやらかしたんだろ、失敗したからって何故ヤケになるんだ、まだ諦めてないって事じゃないか」
「っと……、竜治さん、ああ見えて滅茶苦茶子煩悩なんだ、今だからもうバラすけど、俺、竜治さんと会った時に、竜治さんはよく子供の話をしてた」
「ああ、そう……、僕にはよく分からない話だが、それがどうかしたのか?」
「離婚したらしい、俺さ、竜治さんに頼まれて女装写真を撮った事があって、で、俺は暫くして写真を消してくれって言ったんだけど、竜治さんはPCに入れてた、んで、それを奥さんに見られて……」
「ああ、なるほどな、それで……テツと殴り合いをした時に嫁が来て、PCがどうだとかギャーギャー言ってたんだ、あの時もしかしたら……って、なんとなく思った」
「うん、で、離婚したらしい、子供を奥さんに取られた、それでヤケになったみたい」
「バッカじゃね? 全部自分のせいじゃん、アホくさ、で、友也に八つ当たりって、許せない、親父に報告して、もう1回きっちりカタをつけた方が良さそうだな」
翔吾からしたら馬鹿馬鹿しい事だと思うが、あれは竜治がヤケになってやらかした事だ。
「いや、待って、その場はなんとか切り抜けた、ケビンも庇ってくれたし、翔吾、竜治さんとの事は……俺にも責任がある、俺が優柔不断な態度をとったせいであんな事になった、だから、この話は聞き流してくれ、頼む」
竜治はやり過ぎるところがある。
そんな竜治を暴走させた事は、俺にも責任があると思う。
そりゃ……ムカついたりした事もあるが、総合的に見れば俺も詫びなきゃならないところは大ありだ。
竜治に詫びるとしたら……。
これ以上、竜治を傷つけないようにする事くらいだ。
「だけど、切り抜けたって言っても、納得して手を引いたわけじゃないんだろ?」
「ああ」
「だったら、また手を出してくる可能性がある」
「かもしんねぇけど、俺はテツと一緒にいるし、ケビンが迎えに来てくれる、たまたま出くわしただけだから、大丈夫だ」
「けど、万が一って事があるだろう」
翔吾は心配してくれたが、ケビンをはじめ、俺は霧島組のみんなに守られている。
それよりも、誰にも言わないでくれと頼んだ。
「ふう~、わかったよ、君がそこまで言うなら……、内緒にする」
押し問答の末に、翔吾は納得してくれた。
「ありがとう……」
話がついたところで、カフェを出て店に向かった。
車を駐車場にとめ、翔吾と一緒に店の裏口から中に入ったら、いきなり店長がいた。
「あらやだぁ~、坊ちゃんじゃないの~」
店長は翔吾を見て嬉々として近づいてきた。
「蒲田、坊ちゃんはやめろ」
翔吾はむっとしているが、店長は翔吾のまん前にやって来た。
「んも~、随分いい男になったわね、ちょっと失礼して……、あら、やっぱり……体を鍛えてるの?」
店長は翔吾の腕を触ってニギニギしている。
「鍛えねーと、バカにされるからな」
翔吾は触られても別に構わないようだ。
「そうよね~、うんうん、あら~肩も筋肉ついたわね」
「ああ、家にマシンがあるからな」
店長は後ろに回り込んで肩を触ったが、翔吾は全然気にしてない。
「あっ、これは……坊ちゃんじゃありませんか」
そうするうちにハルさんがやって来た。
「ああ、ハルちゃん、見てよ、坊ちゃんね、こんなに立派になって」
「だから、坊ちゃんはやめろ」
店長は後ろから胸板を触っているが、翔吾は触られる事よりも呼び方が気になるようだ。
「ちょっと失礼します、あ、ホントだ、坊ちゃん、筋トレなさってるんですか?」
ハルさんまで翔吾の体を触って確かめている。
「ああ、やってる、あのな、さっきから坊ちゃんはやめろと言ってるんだが?」
2人がかりで触られても、やっぱり呼び方が気に食わないらしい。
「これは失礼しました、ではなんとお呼びすれば?」
「若でいい」
「若で御座いますか、わかりました」
ハルさんにはわかって貰えたようだ。
「あっ、ちょっと~坊ちゃんよ」
「えっ、ホントだ、ちょっと~別人みたい」
だが、ニューハーフ軍団が現れた。
「坊ちゃん、お久しぶりです~」
「きゃ~、あんなに可愛かったのに、随分男っぷりを上げちゃって」
ニューハーフ達は翔吾を取り囲み、無遠慮に腕や肩を触りまくり、翔吾は眉間にシワを寄せている。
いくらなんでも、これだけ触られたらキレて当たり前だ。
「お前ら、聞け! いいか、僕の事を坊ちゃんと呼ぶな、若と呼べ、わかったか!」
でも違った。
何がなんでも、坊ちゃんと呼ばれるのが許せないようだ。
「あら~、ごめんなさいね~、若ですか」
「は~い、すみません、わかりました~」
ニューハーフ達は謝ったが、相変わらず腕や肩、胸から脇腹まで……至る所を触りまくっている。
翔吾は極度の女嫌いだが、ニューハーフには甘いようだ。
「あ、あのー、それじゃ、俺は……」
兎に角、掃除に取り掛かろうと思って声をかけたが、みんな翔吾に注目して誰も聞いてない。
翔吾がこれほど人気だとは思わなかったが、裏口が開いてミノルが入ってきた。
「ミノル……」
果たして……ミノルか三上か、俺は固唾を呑んでミノルを見守った。
ミノルは俺の方へ歩いて来たが、俺の背後に出来た人だかりに注目した。
「わ、若……」
ここはミノルの方が有難かったが、ミノルは翔吾を見て目を見開き、なんとも言えない表情をする。
完璧に三上だ……。
「若ぁ~!」
駆け出して人だかりへ突っ込んで行った。
「あーあ……」
大丈夫か心配になって振り向いたら、小さいから人だかりの中に上手く潜り込み、いきなり翔吾に抱きついた。
「またお会いできるとは! お、俺、嬉しいっす、ううっ……」
泣いている……。
「ちょっと~なんなのよ~、いきなり抱きついて」
ニューハーフ達は一様に怪訝な顔をした。
「ミノル……、なんだ、どうした?」
翔吾も突然抱きつかれて困った顔をしている。
「若ぁ~、ううっ、俺は……やっぱり泣ける、若の立派な姿を見たら……堪らねぇ」
三上だとバレる確率はゼロに等しいが、意味不明な事を口走ったら混乱を招く恐れがある。
「ミノル、もう~しょうがないな~、な、ほら、あのな、今日は翔吾が居てくれるから、ちょっと落ち着こうか」
人だかりをかき分け、笑顔で何でもないふりをして誤魔化しつつ……ミノルを背中から抱いて引き剥がそうとした。
「さ、離れて……」
「友也、ミノルはなぜ僕に?」
すると、翔吾に聞かれた。
「あ、あははっ……、ミノルは翔吾の熱狂的なファンなんだ」
この際なんでもいい、適当な事を言って誤魔化した。
「ああ、僕のファンだとしても……ミノルには日向がいるだろ、何故ここまで僕に懐くんだ?」
「ああ、だからさ、前にも言ったけど、ミノルは情緒不安定なんだ、な、ミノル、ほら行こう」
「ううっ、わかった……、若、せめて俺達を見ていてください」
三上は顔を真っ赤にして泣きじゃくっているが、俺の言った事はわかってくれたらしく、翔吾に向かって頼んだ。
「あ、ああ……、そのつもりだが」
翔吾は顔を引きつらせて答えたが、俺は三上を翔吾から引き離した。
「あらら、ミノル君、どうしちゃったの~、若の事が好きなの?」
やれやれだと思ったら、マリアが振り返って聞いてきた。
「あのー、ミノルは色々と不安定で……、兎に角、俺達は掃除しますから」
「ふーん、そうなの……、じゃあ仕方がないわね~、あたし達も用意しなきゃ、じゃ、若~また後ほど~」
ミノルの事を多重人格だから……と、でっち上げて言ったのは正解だった。
みんなそれで納得してくれる。
「あ、それでは私はこれで、どうぞゆっくりなさってください」
ニューハーフ軍団はガヤガヤ言いながら控え室に向かい、ハルさんも翔吾に頭を下げてその場から立ち去った。
「ね、若はあたしと一緒にお茶でもどう?」
あとは店長だけだが、店長は翔吾を誘ってきた。
「ああ、気が向いたら行く、僕は2人が働く姿を見てみたい」
翔吾は本当に俺達を見物する気らしい。
「そう? じゃあ、必ず寄ってね~待ってるから」
店長は去り際にウインクをして立ち去った。
見なきゃよかったと後悔したが、残像を消す為にさっさと掃除をした方が良さそうだ。
「ミノル、掃除しよっか……」
「お、おお……」
「翔吾、じゃ、俺達は向こうで準備するから」
「ああ」
三上を促し、ロッカーの前で割烹着と三角巾を身につけ、モップやら何やらを三上と分担して持ち、翔吾の前に戻った。
「なんだその格好は、料理でもするのか?」
翔吾は唖然としている。
「これはハルさんが、これをつけるようにと……」
この際バラしてやる。
「覡が?」
「そう、一応役立つとか言ってたけど、本当はハルさんの趣味らしい」
「趣味か……、ま、別にいっか」
「いいんだ」
「ああ、似合ってる」
普通のエプロンに変えて貰える事を期待して言ったのに、翔吾にまでそんな事を言われちゃ、どうする事も出来ない。
気を取り直して手を動かす事にした。
三上と2人で廊下の端から端までモップをかけ、それが済んだら控え室に入った。
そこでは一旦割烹着を脱いで着替えを手伝ったが、マリアは俺には絡んでこなかった。
普段は図々しいが、翔吾が一緒についてきて俺達を見ているので、そこはやっぱり翔吾に遠慮してるんだろう。
翔吾はソファーに座ってタバコを吹かしているが、片腕を背もたれにかけて足を組む姿は、なかなかさまになっている。
「じゃ、お先に~、若もいらしてくださいね」
「ああ」
嬢達は支度が出来た者から順次店に向かったが、みんなが居なくなったら、俺達は控え室の掃除をした。
面倒だから割烹着はなしだ。
「真面目にやってるな」
「そりゃ仕事だから」
翔吾はタバコを灰皿で揉み消して言ったが、三上はいつもに増して真面目にやっている。
「ミノル、もういんじゃね?」
「ああ、そうだな……」
声をかけたら、手に布巾を握って起き上がった。
「なあミノル、日向は可愛がってくれるのか?」
すると翔吾が三上に目をとめて聞いた。
「あ、はい、それはもう……」
部屋の中に一緒にいたせいか、三上は落ち着きを取り戻している。
「一緒に住んでるんだろ?」
「はい」
ちょっとホッとした。
終始あれじゃ、たまったものではない。
「いいな~、友也はテツとラブラブだし、君は日向か、羨ましいよ」
翔吾は羨むような事を言う。
「若には黒木がいるじゃないっすか」
三上は俺と同じような事を言った。
「ん、また呼び捨て?」
だけど呼び捨てはマズい。
「あ、いえ、すみません……、黒木さんっすね」
でも、すぐに自分で訂正した。
「うーん、まあね……、黒木とテツはため年なんだよな、あの2人、似てるって言えば似てるかな~、2人共やたら暑苦しい、いや、悪い意味じゃないよ」
翔吾は面白い事を言った。
言われて見れば、翔吾の言う通りちょっとだけ似てる気がする。
「はははっ、だな、確かに熱いとこは似てる」
「あのー、三上っていましたよね?」
可笑しくなって笑っていると、三上がいきなりヒヤッとするような事を言い出した。
「あ、ミノル、何言って……」
「ん、君は三上を知ってるの?」
マズいと思ったら、翔吾が聞き返した。
「はい、友也から聞きました」
どうやら名乗るつもりはなさそうだ。
ミノルとして話しをするなら、別に支障はないのでこのまま様子を見る事にした。
「そうか……、あいつは恨みを買いすぎたからな」
「そうっすか……、じゃあ今はその……死んじまった三上に対して、どう思いますか?」
「どうって……そうだな~、特に何も無いかな、そりゃキマリを破ったのはまずかったが、一応僕らの為に働いてくれたわけだし、で、最終的には自分がやらかした事でバツを受けてああなったんだ、死んだ者を責めても意味ないからね、今更いいも悪いもないよ」
翔吾が俺と似通った考えを持っていて良かった。
「そうですか……」
三上は神妙な表情をしている。
「変わった事を聞くんだな? 事が事だけに……気になったのか?」
翔吾は妙な事を聞かれて疑問に思ったようだ。
「あ、はい、そうっす……、若から話を聞けて良かったっす」
三上は冷静に受け答えをしている。
俺が気を揉む必要はなさそうだ。
「はははっ、そうか……、じゃあ、今のはインタビューみたいなもんだな、僕のファンだから色々質問する、ミノル、こっちにおいで」
翔吾は満更でもないらしく、手招きして三上を呼ぶ。
「あっ、は、はい」
三上は緊張気味に翔吾の隣に座った。
「ほら、ちゃんとファンサービスしなきゃな、あははっ」
翔吾は三上の肩を抱いた。
「遠慮するな、もっとくっつけ」
「あ、あの……、はい、すみません」
ふざけるように華奢な肩を引き寄せたら、三上は恐縮したように固まり、膝に両手を乗せてじっとしている。
「良かったな、ミノル」
「あ、ああ……」
ミノル兼三上に声をかけたら、ハッとして俺を見た。
「こんなの日向さんに見られちゃまずい、内緒にしなきゃな、日向さんがヤキモチやいたら面倒だ」
リラックスさせてやろうと思って言った。
「ああ、そうだな……、は、ははっ」
三上はようやく笑顔を見せた。
折角だから、暫くそのままにさせておいた。
頃合いを見て声をかけたら、三上はすっかり元気になって立ち上がった。
一緒に掃除道具を片付けた後、3人で従業員専用扉から店に入った。
俺達は定位置で待機しなきゃならないが、翔吾はマリアに捕まってテーブル席に案内された。
俺と三上はトレイを持って立っていたが、マリアと翔吾は俺達から一番近いテーブル席に座っているので、嫌でも会話が聞こえてくる。
最初のうちは当たり障りのない話をしていたが、酒が入るに従ってマリアの誘導尋問が始まった。
翔吾は口が軽くなり、乗せられて俺とテツの事をバラしたが、酔っていても話した内容は支障のない事ばかりだ。
─────安心した。
「やだ、じゃあ、矢吹さんに取られちゃったの?」
「ああ、僕の方が先に惚れてたんだ、でも仕方ないよ、テツは遊び慣れてる、僕じゃ太刀打ち出来ない」
「ふふっ、そうよね~、矢吹さんカッコイイし~」
「なんだよ、僕はダメなのか?」
「やだぁ、若も素敵よ~」
マリアは興味津々に俺達の事を聞いている。
「じゃあ~、あのマンションは愛の巣? きゃははっ!」
「ま、そんなとこかな~」
「若は若頭なんだし~、無理矢理奪っちゃえば?」
「それは出来ない、いくら若頭でも無理だ」
「なんで?」
「いや、実はもうやった、無理矢理奪おうとした、でもさ~、そんな事をしても無意味だとわかった、僕は友也の親友であり続ける」
翔吾は俺の事を親友だと言ったが、宴会の後、内緒でキスした事……。
あれは俺の中で強く印象に残った。
「なにそれ、やったの? さすがやるわね~、ふふっ、だけど~本気なんだ、いいじゃん、奪っちゃえ、争奪戦よ、きゃははっ!」
マリアはウザイ事を言って翔吾をけしかける。
「あれ~、ひとりで突っ立ってなにしてるの? やけに退屈そうじゃん」
2人の会話に聞き入っていると、ふと嫌な声がした。
来るんじゃないか? と危惧してはいたが、堀江が現れた。
今日もスーツ姿だ。
「あ、裏を片付けなきゃ……」
「待った~、逃がさないから~、へへん」
ソッコーで逃げようとしたが、捕まった。
「んん~、そこのテーブルに座ってるの……、もしかして霧島君じゃ」
しかも、堀江は目敏く翔吾に気づいた。
「よせ、人違いだ」
堀江は翔吾の所へ行こうとしたので、腕を掴んで阻止した。
「え~、確かに~体つきはちょっと違うけど、顔は翔吾そっくりじゃん」
「やめろって、叱られるぞ、くっ、くそ……」
足を踏ん張ったが、ズルズルとひきずられてテーブルの側迄来てしまった。
「やっぱり翔吾だ……、俺だよ、俺、健太~、超久しぶりじゃん、きゃははっ!」
堀江は……本当に悪い意味で天真爛漫だ。
「ん、誰かしら、若のお知り合い?」
マリアはキョトンとして堀江を見ている。
「堀江健太……」
翔吾はゆっくりと俺達の方へ向き直った。
「やだぁ~、超カッコイイじゃん、見違えたよ、全然違う、やっぱりさ~若頭は違うよな~」
堀江ははしゃいでいるが、翔吾は目が据わっている。
いつもは見せないような鋭い目付きで堀江を睨みつけた。
「あぁ"? 若頭だと~」
ヤバい……。
酔ってる事もあって、怒りが込み上げてるんじゃないか?
「うん、俺さ~聞いちゃったんだ~、前のバイト先でここの店長と知り合って、翔吾~、ね、俺と一緒に飲もうよ、な? な?」
堀江は空気が読めないらしい。
睨みつける翔吾を誘った。
「ふっ……、よく僕の前に現れた、褒めてやる」
翔吾は立ち上がって堀江の前に行くと、ニヤリと笑って堀江の胸倉を掴んだ。
「え、えっ……、ちょっと」
堀江は自分がやらかした事をまったくわかってないらしく、急にオタオタし始めた。
「翔吾、落ちついて……」
止めなきゃマズいと思って声をかけたが、本音を言えば……止めたくなかった。
「霧島君、なに怒ってんの~? あ、ひょっとして酒癖悪かったり~? やだな~もう、アハハ……」
堀江はニヤニヤしながら言ったが、間近で睨まれて顔が引きつっている。
「お前にはずっとムカついてた」
「あっ、あの、翔吾~、やめよ、な? そんな顔したら怖いじゃん」
いくら堀江でもさすがに危機感を覚えたらしく、慌てふためいて必死に翔吾を宥めようとする。
「るせーっ!」
だが、翔吾は堀江をぶん殴った。
「うっ、いったーい……」
堀江はよろついて尻もちをついたが、俺は内心スッキリした。
「お前にゃ、借りを返さなきゃ気がすまねー!」
俺は翔吾を止めずに成り行きを見ていた。
「若、ちょっと、なにをしてるの? マズイわよ」
マリアはびっくりして立ち上がったが、翔吾は堀江に馬乗りになってまた殴ろうとする。
「若……! なにをなさって、やめてください!」
ミノル兼三上が走って来て翔吾を止めにかかった。
「こいつは疫病神だ、退治してやる!」
翔吾は腕を振り上げたが、俺はすぐ脇に立って翔吾を眺めていた。
「ああ~あんなにナヨナヨしてたのに、やっぱり2代目なんだ、翔吾ぉ~、いいよ、もっと殴って~」
ところが、堀江は目をうるうるさせて喜んでいる。
「おお、殴ってやんよ!」
翔吾はもう一発殴った。
「うっ、痛っ! あぁ~でもいい~」
堀江は殴られて顔を歪めたが、どうやらドMな変態らしく、恍惚とした表情を浮かべている。
「こいつ、バカか? 若、いけません、落ちついて!」
三上は堀江を見て呆れた顔をしたが、振り上げた腕にしがみついた。
「くっ……!」
必死に押さえているが、体はミノルだから振り回されてしまう。
「ちょっとそこで何やってんの! マリア、ぼーっとしてないで、止めなさいよ」
俺は絡みあう3人を傍観していたが、貞子がやって来てマリアに言った。
「あ……、わかったわ」
マリアはハッとした顔をすると、貞子と2人がかりで翔吾を堀江から引き離しにかかった。
「ミノル君、危ないから退いて……、ほら若ちゃん、おいたしちゃだめよ」
「離せ! 僕はこいつをボコボコにしなきゃ気が済まねー!」
「あ~、はいはい、わかったから、おとなしくして」
翔吾は喚いていたが、酔っ払っている上に2人ががりで掴まれちゃ手も足も出ない。
そのまま引きずられてバックヤードへ連れていかれた。
堀江は顔を2発も殴られたのに、うっとりとした表情で仰向けになったままだ。
「はあ~、堪らない……」
「おい、いつまでも寝てんじゃねーぞ」
三上が堀江の腕を乱暴に引っ張ると、堀江はむくっと起き上がり、すっと立ち上がって俺の前にやって来た。
「ふふっ、いい体験しちゃった~、まさか翔吾があんな風になってるとはね~、友也~、また来るからね~、きゃははっ!」
翔吾に殴られた箇所は痣になっていたが、堀江はへっちゃらな顔で言ってそのまま店から出て行った。
あの様子じゃ翔吾に殴られた理由など……露ほどもわかっていないだろう。
「若……、やっちまったな」
三上が苦笑いを浮かべて言ってきた。
「ですね……」
「おめぇ、若を止めなかったが、ざまあみろって、そう思ってただろ?」
図星だ……。
「ええ……はい」
「無理もねーな、若はおめぇに惚れてる、だから我慢出来なかったんだ」
「あの……はい……多分」
「ま、おめぇにゃ罪はねーよ、俺だって同じようなものだからな、へへっ、俺はお前に助けられた、若もよ、おめぇの存在が力になってるんだ」
三上はありがたい事を言ってくれるが、俺は罪の意識を感じていた。
「俺は……狡いのかも」
「狡い?」
「だって……、翔吾を利用してるみたいで……」
それは事実だ。
「何言ってやがる、狡いってぇのはな、生前の俺みたいな奴だ、誰が犠牲になろうがお構い無しだからな、ひたすら自分の利益のみ追求する、おめぇは違うじゃねぇか、散々傷ついてよ、あのな、若は中身も成長した、矢吹のお陰ってーのは多分にある、けどそれだけじゃねー、おめぇと関わった事もかなり影響してる、悪いと思うなら……これからも若を支えてやれ」
だけど、そんな風に言われたら……救われたような気がした。
「っと……、はい、わかりました、俺で力になれるなら……」
「それでいい、つまらねぇ事を考えるな」
「はい、あの、ありがとう……三上さん」
「よせよ……、礼なんか言われたら……照れちまうだろ、ま、兎に角若の所へ行こう」
三上は頭を掻いてそっぽを向いた。
「さあ、皆さん、ごめんなさいね~、ちょっとした内輪揉めだから、気にしないで~、さ、今夜も楽しく盛り上げましょ!」
マヒルとアキナがフロアの真ん中に立って、この場を取り繕っている。
3人が揉み合ったのはフロアの隅っこだし、店内は常に薄暗い。
中には気づかない客もいたと思われるが、万一通報されたらマズいからだろう。
賑やかな音楽が鳴り始めたが、俺は三上と一緒に控え室に向かった。
部屋に入ったらマリアがいて、ソファーに寝かされた翔吾の側にしゃがみ込んでいる。
「あら、お2人さん、ね、あの子、確か堀江って言ったかしら、大丈夫だった?」
マリアは堀江の事を聞いてきたが、俺は堀江なんかどうでもよくて、翔吾の事が心配だった。
「はい、あいつ、殴られて喜んでたし、心配ないです、それより翔吾は……」
「あら~そうなの? 変わった子ね、若ちゃんは~動いたから、お酒が回ったのよ」
「う……、友也」
そうするうちに翔吾が俺に気づき、ソファーに手をついて起き上がった。
「あっ、寝てていいから……」
慌てて側に行ったら、マリアが立ち上がってすっと脇へ退けた。
「じゃあ、悪いけど、あとは頼めるかしら? あたしは店に戻らなきゃ」
「あ、はい、わかりました」
「うん、お願いね~」
マリアは俺達に任せて控え室を出て行った。
「堀江……、あいつが来るとは、ふん、相変わらずウザイ奴だ」
翔吾はソファーに座り直して吐き捨てるように言ったが、俺は翔吾が怠そうに前に屈み込むのを見て、大丈夫なのか不安になった。
「あいつの事はいい、翔吾、やっぱ寝てなよ」
横になるように促した。
「僕なら平気だ、ちょっと飲みすぎただけだよ、堀江、あいつのせいで君は……」
でも翔吾は相当腹を立ててるらしい。
俺は止めなかったし、申し訳ない気持ちになる。
「翔吾、ごめんな、俺の為にあんな事……」
「なに言ってるんだよ、僕は頭に来てるんだ、堀江のせいで君ばかりか……テツまで失いかけた、まだだ、あんなもんじゃ気が済まない、いっそ闇に葬ってやろうか、河神のように……」
翔吾は俺の事だけじゃなく、テツの事も含めてムカついている。
だけど、闇に葬るのはマズい。
「俺もそう思う、いっそ消えて欲しいって……、でもさ、あいつは天然で……なんにもわかってない、悪気もなくやってる、それがたまたま俺達にとって悪い方へいった」
「そうだけど、疫病神じゃん」
「いや、待って……、話を聞いてくれ、河神は身寄りの無いクズで、あいつが消えても誰も探す奴は居なかった、ヤク中で頭がイカレた奴だから、むしろ消されてせいせいした人間ばかりだろう、でもさ、堀江は違うだろ? 身内もいるだろうし、ここの店長とも親しくしてる、闇に葬ったら……ガチでマズい事になる」
「そりゃそうだが……」
「なあ翔吾、もう終わった事だし、危ない橋を渡るのはやめた方がいい、俺もテツも無事だ、だからもう忘れよう、な?」
感情的になってそこまでやるのはやり過ぎだ。
堀江が疫病神なのは確かだが、その疫病神のせいで自らの首を絞める羽目になったら……元も子もない。
「君はいいのか? それで……」
「俺は構わない」
「そうか……、ま、2発殴ったし、一応気は晴れたかな」
翔吾はポケットからタバコを出して言った。
「ごめんな」
俺はもう一度詫びた。
「謝るな、僕は君のアドバイスに従うよ、親友だから……当然だろ?」
翔吾はタバコを口に咥え、火をつけて煙を吐き出しながら言った。
「ありがとう……」
礼を言う事すら厚かましいような気がしたが、それでも俺には礼を言うしかなかった。
ふと横を見たら……ミノルが向かい側のソファーで眠っている。
「ミノル、疲れたんだな」
翔吾に気を取られ、ついミノルの事を忘れていたが、三上が消えて本来のミノルに戻ったらしい。
「ふっ……、僕の隠れファンか……、日向の奴、いい気味だ」
翔吾はミノルを見てニヤリと笑ったが、翔吾のファンなのは……ミノルじゃなく三上だ。
三上は翔吾が自分の事をどう思ってるのか、密かに気になっていたんだろう。
今夜、本人の口から聞けて安心したに違いない。
死んで花実が咲くものか……という諺があるが、例外もある。
今の三上は霊魂だから器は借り物だが、三上は霧島組の仲間として立派に振る舞い、生きてる時には体験出来なかった事を体験し、泣いたり笑ったりしながら……今という時を精一杯楽しんでいる。
三上の場合現在進行形ではあるが、『死に花を咲かせる』の方が当てはまってるだろう。
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