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104Thank you for loving me all the time(引っ越し祝い&破壊されたバズーカ砲)
◇◇◇
バイトが終わって迎えに来たのは、ケビンとケンジだった。
2人は店に入って来たので、ニューハーフ達にモテモテだ。
「ちょっと~、イケメン増えてるじゃない」
「やだ、外人は狡いわ」
「俺はハーフです」
「あら~そうなの?」
「ちょっと、こっちもなかなかよ、ワイルドさがいいわね」
「あっ、意外といい体してる~」
「俺、浮島組で用心棒してたんっすよ」
「うそ~、どおりで~な筈だわ、やだ~、腹筋割れてる~」
ニューハーフ軍団は廊下の真ん中で2人を取り囲み、ここぞとばかりに至る所を触っている。
まるで獲物にたかるハイエナのようだが、意外な事に2人は満更でも無さそうだ……。
呆気に取られて見ていると、三上と化したミノルがやって来た。
「あのよ~、俺は山本が迎えに来るんだが……、おめぇ、あいつら追っぱらわねぇと帰れねーぞ」
「ええ、ですね、でも……急いで帰る必要ないから、構いません」
決して当事者にはなりたくないが、ニューハーフ達の餌食になる2人を、あくまでも他人事として眺めるのは……面白い。
「矢吹はまた留守か?」
「はい」
「寂しいな」
「慣れてますから」
家には龍王丸がいるから、寂しさは紛れる。
「俺が泊まりに行ってやる」
「えっ、いや、それはマズいです、いくらミノルでもちょっと」
「冗談だ、いや、俺は行きてぇが、なんせ日向の奴がミノルを待ってるからな」
ちょっと驚いたが、冗談だといわれてホッとした。
それよりも、俺は山本の事が気になった。
「あの……、山本さんは本当にミノルとは別れたんですか?」
「おお、あいつは端から渋々だったからな」
「そうですか……、まあー今日はあなただから、迎えに来ても気にしないとは思いますが、ミノルは落ち込んでるのかな?」
ミノルは山本に相当惚れてたし、凹んでないか心配になる。
「あのな、ミノルには日向がいるからいいんだよ、へへっ~、おもしれぇ事を教えてやろうか?」
三上は山本の事をさらっと流し、ニヤついて声のトーンを落とした。
「あ、はい、なんですか?」
日向に何か秘密があるなら、是非聞きたい。
「日向の奴、ミノルにはデレデレでな、よくペットを猫可愛がりする奴がいるだろ? あんな感じになっててよ、手取り足取り、着替えまで手伝うんだぜ」
「え……、あの人が?」
ミノルを猫っ可愛がりしてるのは知ってるが、そこまでマメだとは思わなかった。
「そうだよ、嘘みてぇだろ? でもな、誰かに見られちゃ形無しだ、だからよ、きっちり鍵をかけてんだぜ、で、風呂じゃ体を洗ってやりーの、飯まで食わせてやってよ、馬鹿だろ? っははっ! あーんなクールな面ぁしてよ、あいつも相当変わってるぜ、なははっ!」
俺もテツにやられる事があるから……複雑だ。
「そうっすかー……」
「捨て猫だ」
「えっ? 何がですか……」
「ミノルは捨てられた子猫みたいなものだ、我を出さねぇからな、いや、そもそも無いに等しい、限りなく弱く、頼りない……、手を差し伸べれば恐れもせずに縋り付く、だからよ、日向はそこにやられたんだ」
ミノルについては、俺も三上と似たような事を感じていた。
「あ、はい……、ミノルが無垢なのは分かります」
「おう、あれだ、鬼の目にも涙ってやつか? はははっ、ま、人間誰しも、何かしら肩肘張ってるからな、こういう稼業で若頭ときたら尚更だ、うちの若を見りゃわかるだろ、お前はよく知ってる筈だ、日向みたいな鬼のような奴でも、時には素に戻りてぇんだよ」
霊魂になった三上は、たまにいい事を言う。
「はい、よく分かります」
「おっ、噂をすれば……、へっ、わりぃが俺は消えるぜ、友也、またな」
感心していると、裏口の方を見て焦るように消えてしまった。
「あっ……あの、あ、え?」
振り向けば、日向が俺の方へ歩いてくる。
「ミノル、迎えに来てやったぜ」
日向は俺をチラ見して、ミノルに声をかけた。
「はい~」
ミノルは本来のミノルに戻り、嬉しそうに日向の腕にすがりついた。
前よりも2人の距離が縮まっている……そんな風に感じたが、日向が直々に迎えに来るとは、三上の言った事を証明しているようなものだ。
「おい友也、あの人だかりはなんだ」
日向はハイエナにたかられる2人を見て聞いてきた。
「あの、あれは……俺を迎えに来たんですが、ああなりました」
ありのままを伝えた。
「おお、お前んとこの者か、しかし……なんなんだありゃ」
「あっ! あれは……浮島組の日向さんじゃ?」
日向は顔を顰めていたが、貞子が日向に気づいた。
「ええっ~、うそでしょ?」
「嘘じゃないわ、ホントよ、やだちょっと~」
ニューハーフ軍団は日向に目をつけると、一斉に走り寄ってきた。
「わっ、っと……、ミノルまたな」
やばいと思ってミノルに声をかけ、ケビンとケンジの所へ走って行った。
「お前ら……なんなんだ」
日向はハイエナ達の餌食となり、取り囲まれて面食らっている。
「浮島さんとこの若頭に会えるなんて……歓迎よ」
「お初にお目にかかります~、あたしマヒル、宜しく御願いします~」
「ちょっと~狡いわよ、あたしはアキナ、若~、噂にたがわぬイケメンでいらっしゃる」
ニューハーフ達は皆興奮気味だ。
「いや、あのな、ちょっと待て……」
日向は狼狽えているように見える。
「ミノル君を迎えに?」
「おお、そうだ……」
けど、ニューハーフ達はお構い無しだ。
「ああ、羨ましい~、こんな方に可愛がられるなんて、だけど~お目にかかられて嬉しいわ~、霧島さんとこは会う事が出来るけど、浮島さんとこの方々には~なかなかお会いする機会がないから」
アキナは両手を胸の前でギュッと組んで言ったが、アキナはまるで憧れのアイドルにでも会ったかのように、目をうるうるさせて日向を見つめている。
「そりゃ当たり前だ……ここはうちの店じゃねーからな」
「いい体をしてらっしゃる、トレーニングをなさってるの?」
「ああ、やってる」
「きゃ~、やっぱり鍛えてるのね~、いい男は違うわ、サインください」
マヒルが思わぬ事を言い出した。
「え、サイン?」
日向は唖然としている。
「そう、マジックならあるわ、はい」
しかし、マヒルは都合よくマジックペンを持っていたらしく、日向に差し出した。
「俺は芸能人じゃねーぞ」
日向は渡されたペンを握って呆れたように言った。
「いいの、あたし達からしたら、芸能人みたいなものよ、このドレスに御願い」
マヒルはサインを貰う気満々で、片腕をあげて待機姿勢をとっている。
「いいのか? ドレス着られなくなるぞ」
「かまやしないわ、記念にとっておくの」
「おお、じゃ、まあー」
日向は微妙な顔をしていたが、キャップを外して脇腹付近にペンを走らせた。
「きゃははっ、くすぐった~い、感じちゃう~」
マヒルはカマのノリ全開ではしゃいでいる。
「あのな~、名前なんか書いて、バカみてぇだろ」
日向は眉を顰めて言った。
「次、あたし」
「いや、お前ら……もういいだろ」
「日向さ~ん、滅多にお会い出来ないんだから~、お ね が い 、ね? ね? ね~ったら~」
「わ、わかった……、やめろ、顔を近づけるな」
俺は日向がいつキレるかと思ってヒヤヒヤしていたが、貞子がキスする勢いで迫ったら、困惑気味に承諾した。
ニューハーフ軍団の図々しさは俺もよく分かっているが、さすが親父さんが認めたオカマだけのことはある。
浮島組の若頭をタジタジにさせるパワーを持っているようだ。
「友也、行こうか」
茫然とサイン会を眺めていると、ケビンが言ってきた。
「あ……、はい」
「それでは、カシラ、俺達は先に失礼させて頂きます」
ケビンは日向に向かって声をかけたが、日向は周りを取り囲まれて身動き出来ない状態だ。
「お、おう……」
辛うじて返事を返してきたが、ミノルは埋もれて見えなくなっている。
俺達は日向に頭を下げて裏口から店の外に出た。
駐車場に行ったら黒いプリウスが止まっていた。
ケンジが運転席に座り、俺はケビンと一緒に後部座席に座った。
「今日から2人体制だな、兄貴に……何か言われたか?」
車が動き出したらケビンが聞いてきたが、ケンジがいるし、具体的な事は話せない。
「ええ、浮島さんの事とか色々と……」
「そうか……、俺は君の警護をする方がいい、兄貴達について行って、延々待たされるよりは楽しいからな、ははっ」
ケビンも深くは聞いて来なかった。
「自由にやれる分全然いいっすよ、兄貴達が付き合いでクラブやラウンジに行くっしょ、んで、俺らは車ん中でひたすら待つ、腹が減ろうが、眠かろうが……寝ずに待つんっすよ、修行並みだ、まあーでも、兄貴達も毎度浮かれて楽しんでるわけじゃねーし、それはわかってっから、別にいいんっすけどねぇ」
ケンジは愚痴めいた事を言ったが、それなりに頑張ってやっているようだ。
2人とは当たり障りないのない会話を交わした。
◇◇◇
部屋に戻ったら午前2時を過ぎていた。
上着を脱いでシャワーを浴びに行こうとしたら、ピンポンが鳴った。
テツがいる時ならまだわかるが、テツがいない時にこんな時間に人が来る事はまずない。
不審に思ってちょっと用心しつつドアを開けた。
「はい……」
「友也君」
立っていたのは、カオリだ。
「え……?」
何故こんな夜中に……しかも引越ししたばかりで、挨拶ならもう済んでいる。
「矢吹さん留守なんでしょ? 上がっていい?」
いきなり上がっていいか? と聞かれ、ビックリして困惑した。
「えっ……、い、いや、それはちょっと、てゆーか、水野さんは?」
「水野君も出かけちゃった、お隣も留守でしょ? へへーん、チャンスじゃん」
カオリはふざけるように言ったが、悪い冗談はやめて欲しい。
「なに言ってるんですか、ダメですよ」
「ニャ~」
龍王丸がやって来てカオリの足元にスリスリした。
「あ、猫ちゃん、龍王丸だっけ? 可愛いな~、ふふっ」
カオリはその場に座り込んで龍王丸を撫でている。
「カオリさん、すみませんが……、無理です、こんな時間に、誰もいない時に2人きりで部屋にいたら……どう考えてもマズいでしょ、そんな事がバレたら、テツにシメられます」
いくら俺でも、もしそういう雰囲気になったら……自制出来るか自信はない。
「あははっ、そうなんだ~、でもさ、友也君は矢吹さんラブだし~、そういうのは大丈夫じゃないの?」
カオリは揶揄うように言って笑う。
「そりゃそうですが……」
前からこんな感じで、俺はいつもカオリにからかわれてきたが、今は笑えない。
「あたしさ、ホント言うと~、結婚は微妙だったんだ~」
なのに、ケロッとした顔で立ち上がり、いきなり結婚の事を口にする。
「えっ? なにを言ってるんですか?」
微妙って……、どういう意味で言ってるのか分からない。
「ほら~、前から言ってたでしょ」
そういえば、カオリは初めから結婚に乗り気じゃなかったが、そんな事を今更言っても……。
「でも、承諾したわけだし、水野さんは滅茶苦茶嬉しそうにしてるのに……」
水野は田上組長邸でカオリにチューされて一目惚れした。
カオリはその時まだソープに勤めていたが、水野はそんなのは関係なく、カオリと真面目に付き合っていた。
「うん、わかってる、でも、あたしは~、やっぱり断わるつもりだったんだ、水野君がさ、自分と一緒に生きようって、熱~く語るもんだから~、ついね……、エヘへ」
カオリはさらっと言うと、ふざけるように悪戯っぽく笑ったが……俺はちょっと腹が立ってきた。
「そんなの……水野さんに失礼だ、そんな簡単につい……とか、じゃあ、カオリさんはつまらないって思いながら水野さんと暮らすんですか? それとも……嫌になったら別れりゃいいとでも? 俺はテツを見てるから分かるけど、たかがヤクザだからって……時には命をはってやってるんです、一緒に歩む気もないのにOKしたんだとしたら……、それって、人として最低な事だと思います」
水野は根は真面目な人間だ。
だから、この先もカオリの事を大事にすると思う。
もしカオリが、軽い気持ちでOKしたのだとしたら……酷い。
「うん……、わかってる、だからあたしは……」
「なんですか?」
何か言い訳があるなら聞きたい。
「ごめん、うっ……」
カオリは謝罪して言葉に詰まり、俯いて泣き出してしまった。
「いや、あの、俺、そんなつもりじゃ……」
まさか泣くとは思わなかった。
キツく言い過ぎたと思って後悔したが、どうしたらいいか動揺した。
「ううっ……」
カオリはいつも強気に振る舞う。
こんな風に泣かれたら……凄く悪い事をしたような気持ちになる。
「と、とにかく上がって……」
取り敢えず、部屋に上がって貰って落ち着かせようと思った。
「ニャ~」
龍王丸がカオリの足に纏わりついている。
「そんな所で泣かれちゃ困る、な? ほら、上がって」
「う、うん……」
カオリの腕を掴んで促したら、よろつきながら靴を脱いだ。
「ほら、座って」
ひとまずソファーに座らせ、珈琲でもいれようと思った。
「っと……、珈琲熱いのでいいかな~、ちょっと待ってて」
「友也君、お茶はいい、座って……」
キッチンへ行こうとしたら、呼び止められた。
「あ、うん……」
言われるままに向かい側に座った。
「ごめんね……、こんな時間に、非常識だってわかってた」
カオリはまた謝ったが、もう構わない。
「いや、それはもういいから……」
「君が言った通り……、あたしは最低なんだ」
「いや、俺、言いすぎた、ごめん」
さっきはつい頭にきて責めたが、カオリは俯き気味になにか話したそうにしている。
「ううん、いいの……、あたしね、これから水野君と一緒に暮らすのに……段々不安になってきて、ほら、ずっとひとりだったから、料理だってろくに出来ないし、明日から……あたしは何をしたらいいのか分からなくなった」
「うん……」
ここは黙って耳を傾けてみようと思った。
「水野君が出て行った後で、車が入って来る音がした、それで君が帰ってきたのがわかった、前にも言ったけど、あたしは君の事、亡くなった弟みたいに思えて……だから会いたくなったの、迷惑かけてごめん」
やっぱり俺は……カオリにとっては弟並みらしい。
嬉しさ半分、落胆半分というところだ。
「そっか……、いいよ、大丈夫だから……、あのー、カオリさん」
「ん……? なに」
俺の淡~い恋心なんか今はどうでもいい……カオリはいざ結婚して不安になったらしい。
「年下の俺が偉そうな事は言えないけど……、今までの生活が変わるって、凄く不安になると思うんだ、俺だってテツと一緒に暮らし始めた時は不安だった、刺青を入れる時や養子縁組した時も、俺はどうなるんだろうって……、滅茶苦茶不安だった」
参考になるかわからないが、俺は自分の事を話してみる事にした。
「あ、友也君も……?」
カオリは顔をあげて俺を見た。
「うん、そりゃ……、霧島組のみんなは変な目で見るとか、そういうのはないけど、男同士で一緒に暮らすとか、世間一般じゃ異常だとか、頭がおかしいって思われるだろ? 俺はそんな事は気にしない、気にしないけど……このままでいいのかなって……そんな事を考えたりする、だって、もしテツに捨てられたら俺はどう生きたらいいか分からなくなるし、背中には刺青が入ってる……、ひとりに戻った時に普通の人に戻るのは……多分無理だ、だからさ、やっぱり色々考えたりする」
色々考えたら、俺だって不安はいっぱいある。
「そっか……、じゃあ、あたしと一緒なんだ」
カオリは安心したように笑顔を見せた。
「うん、一緒だ、でも俺は……今のままで構わねーと思ってる」
たとえ不安があっても、俺は今の生活を捨てるつもりはない。
「それだけ……好きだって事?」
ストレートに聞かれると照れ臭いが、詰まるところそこに尽きる。
「なんかそういうの言いにくいけど、うん……惚れてる、テツは俺の事……何がなんでも守るって、そう言ってくれた、だから俺はテツを信じる、この先なんの保証もないけど……、自分の気持ちは自分次第だから、それだけは保証できる」
不確かな未来を不安に思うよりも、俺はひとまず……自分を信じる。
「自分次第か……」
カオリは首を傾げて考えている。
「カオリさんは、水野さんに惚れて結婚を決めたんだろ?」
水野と結婚する気はなかったと言ったが、惚れたから結果的に結婚する事に至ったんだ。
「ええ、そうね……、うん、水野君は……あたしをそういう目で見ないから、だから……惹かれた」
「そういう目って?」
「ソープ嬢……、あたしね、水野君と知り合う前に……何人か真面目に付き合った人がいた、でもね、ちょっとした時に……ああ、やっぱりそういう目で見てるんだなって、そう思う事があって……、なんかね、いくら口ではイイ事を言っても、本心が透けて見えたら……それまでなんだ、だから~独身貫いてやろうって思ってた、水野君みたいな人は初めてだったな」
やっぱりガッツリ水野に惚れている。
「そっか……、水野さん、優しいし、いい人じゃん、迷う事ないよ」
水野はマジでいい人間だと思う。
超お勧め物件だ。
「うん、だから……OKした」
「カオリさん、ちょっと深く考え過ぎなんじゃね? 料理なんかそのうち出来るようになるし、水野さんはそんな事煩く言わないだろ?」
「うん、そうだね……、本当はわかってた、これから新婚生活って時にバカみたい、友也君に話して……楽になった」
「じゃあ、もう大丈夫? まさか別れるとか、そんな事考えないよな?」
「うん、多分……」
「多分? これから俺達とご近所さんになるんだろ? 俺は昼間は大抵いるから、料理教えるよ」
「友也君、料理するようになったの?」
「うん、大した物は作れないけど、一応やる」
「すご~い、ね、じゃあ、教えて」
カオリは元気を取り戻してきた。
もう大丈夫そうだ。
ふとマリッジブルーという言葉が頭に浮かんできたが……、今となったらどうでもいい。
珈琲を入れる事にして、キッチンへ行った。
龍王丸がソファーに飛び上がってカオリの隣りに座り、カオリは嬉しそうに龍王丸を撫でている。
珈琲が出来上がったら、カオリと一緒に熱々の珈琲を飲んで、小一時間ほどたわいもない話をして別れた。
◇◇◇
カオリが突撃訪問してきた数日後、引越し祝いと称した飲み会が行われた。
俺達の部屋で開催されたが、引越しの挨拶で貰ったウイスキー、ケンジが持ってきたテキーラ、元から家に置いてある酒類、更に水野が持ってきた酒が加わった。
あくまでもうちわでの飲み会だ。
メンバーはテツと水野、カオリ、寺島、それに俺の5人のみで、水野は浮島組の連中には声をかけなかった。
その方がいい。
浮島組の人達は来ない方が平和だ。
飲み会は夕方からだったので、俺はバイトを休みにして貰った。
まず部屋を片付けて、つまみを作ったり、グラスを用意したり……ひとりでバタバタしていると、カオリがやって来て手伝ってくれた。
テツは火野さんにも声をかけていたが、来たのは寺島だけで、火野さんは行けたら行くという事らしい。
寺島は今夜うちに泊まるという事だ。
ソファーに寝て貰えばいいし、別に構わないが、豆太郎を一緒に連れて来た。
日が暮れて飲み会が始まったら、寺島は抱っこしていた豆太郎を自由にした。
すると、豆太郎はすっ飛んで俺の所にやって来た。
「うう……、豆太郎、頼むからやめてくれ」
キッチンでつまみを用意してる最中だったが、俺の足をガシッと抱き込み、取り憑かれたように猛然と腰を振る。
「ちょっと~やだ、なんなの? これ、盛ってるの? アハハっ」
「毎度これだから……参ります」
「アハハッ! 小さい癖に、もうやだあ~」
カオリは面白がっているが、小さいから踏みそうで下手に動けない。
この際だ。
正しい方向へ意識を向けてやろうと思い、しゃがみ込んで足から引き剥がした。
「豆太郎、本物はこっちだ、俺は男、な? ほら、行け」
豆太郎をカオリの足の方へ向けて言った。
「ええっ……、やだ、あたしもいらないわよ~」
豆太郎はカオリを見上げてカオリの方へ行きかけた。
「嘘~、ちょっと待ってよ~」
カオリは苦笑いしながら後退りしたが、俺はこれで安心だと思って立ち上がった。
だが……またしても足に違和感が……。
下を見れば、豆太郎が足にしがみついている。
「いや、あのさ~、どういう事?」
「あははっ! よっぽど友也君が好きなんだ~」
「はあ~」
寺島を見たら、ソファーの所でテツと水野を相手に盛り上がってるし、クレームを入れずらい。
困っていると、サッと白い影が飛び込んできた。
「あっ!」
「シャアアァーッ! ふう~」
「ワン! ワン! ウーッ」
龍王丸が毛を逆立てて臨戦態勢をとり、豆太郎は身構えて吠えまくっている。
「ちょっと、龍王丸……」
寺島や水野達が来た時、龍王丸はビビってベッドの下に潜り込んだ。
普段は怯える事はないが、突如部屋の中に不慣れな人間が3人も上がり込み、驚いたらしい。
だけど、元来そんなに人見知りな性格じゃないし、慣れてきたんだろう。
豆太郎と睨み合って、一触即発な状態になっている。
「ニャウーッ!」
ヤバいと思っていると、猫パンチが炸裂した。
「あっ……」
やられたかと思ったが、豆太郎はガチムチな体で身軽にジャンプし、龍王丸の攻撃を躱した。
「おお~、意外と動けるな」
「ヴー、ワン! ワン! ワン!」
感心していると、今度は豆太郎がブチ切れて龍王丸に飛びかかった。
「あ~、コラコラ、だめだよ」
一瞬ひやっとしたが、龍王丸は豆太郎を上回る跳躍力でジャンプし、そのままベッドのある部屋に走って行く。
「あーあ~、もう、喧嘩しちゃだめだよ~」
豆太郎は龍王丸を追いかけて行ったが、実は寺島が豆太郎を連れてきた時に、喧嘩になるんじゃないか? とは思っていた。
大した事じゃないが、一応止めなきゃマズいだろう。
「しょうがないな~」
「友也君、猫はジャンプできるから余裕だよ、豆太郎を引き付けて貰ったら助かるでしょ?」
2匹の後を追いかけて行こうとしたら、カオリが言ってきた。
「あ、まあー……」
確かに、龍王丸はかなり高い場所にも上がれるし、カオリが言うように、豆太郎が足にしがみつくと邪魔になる。
ここは龍王丸に引き付けて貰うのがいいような気がする。
「じゃあ、ほっといていいですね?」
「うん、大丈夫大丈夫、あたし~、氷用意するから」
「あ、じゃあ、お願いします、俺、これを持ってくから」
つまみを皿に乗せてテーブルへ運んだら、テツは水野と一緒にショットガンをやっていた。
「おっしゃー! 2杯目いったぜ」
「おお、じゃ俺も行くぜ」
ショットガン用のグラスにテキーラを注ぎ、ソーダ水を入れて手の平で蓋をし、それをガンッとテーブルに打ちつける。
水野はシュワっと泡だったところを一気に飲み干した。
「へへー、余裕だぜ」
ショットガンで勝負という事は、どっちかがぶっ倒れるまでやるって事だ。
そんな事……させる訳にはいかない。
「ちょっと待って、俺が作るから」
テツからテキーラのグラスを取りあげた。
「お前……、ぜってー薄めるだろ」
テツは温泉旅行での出来事を根に持ってるらしい。
「ああ、薄めるよ! まだ他にも酒があるのに、ショットガンで初っ端からぶっ倒れたいわけ?」
疲れた体に深酒は、百害あって一利なしだ。
「いや、まあ~、それはあれだ、大丈夫だ」
「だめだ! 俺が作る!」
テツは往生際悪くグチグチ言っていたが、キツーく言い放った。
「ったくよ~、わかったよ」
すると、渋々諦めた。
「はははっ……、矢吹も友也にかかりゃ形無しだな」
水野は笑ったが、カオリが氷を入れた容器をさげてやってきた。
「水野君のは、あたしが作るから」
カオリもショットガンは推奨出来ないらしく、水野を睨みつけて言った。
「あ……、カオリ~、そんな事言うなよ」
「お酒は付き合いで飲んでるでしょ?」
「付き合いは……付き合いだ」
「じゃあ、ビールにして、テキーラはダメ!」
「大丈夫だ、こんなのはしれてる」
「しれてない、ショットガンはどっちかが倒れる迄飲む、そんな事をしたらせっかくのお祝いが台無しじゃないの、いいから、他のにして」
「んだよ~、わかったよ~、ったく……」
水野も粘ったが、カオリの剣幕に負けたようだ。
「いいっすね~、そうやって心配してくれる相手がいるのは」
寺島が向かい側から羨むように言った。
「寺島~、おめぇ、ぜってー嘘だろ」
テツがすかさず突っ込んだが、テキーラが効いてるらしく、酔い衆の顔になっている。
「嘘じゃありませんよ~」
寺島はウイスキーをロックで飲んでいるが、寺島も顔が赤らんでほろ酔い加減だ。
「コノヤロー、おめぇ~あちこちに女ぁ作りやがって、身を固めてぇだとか、これっぽっちも思ってねー癖に、どの口が言ってるんだ?」
テツは寺島の女遊びについて触れた。
「兄貴ぃ~、そんな事ないっすよ、それに~俺は兄貴の教えに従っただけっす」
「なんだよ、俺はなんにも教えてねーぞ」
「忘れちまったんですか? 俺がまだ駆け出しだった頃、兄貴は夜の帝王だった、俺に向かって『おい、寺島、遊びも勉強のうちだ、遊べるようになったら好きなだけ遊んどけ』って言ったじゃないっすか」
寺島はテツがイケイケだった頃の話をしたが、テツはチーズを咥えて知らんふりしている。
「あぁ"? 帝王だと? おめぇ何言ってる、そんなもんが居たらな、屁でもかまして笑ってやるわ、なはははっ! ま、それは置いといて……、お前はな、やりすぎなんだよ、見境なく手を出すなと、いつも言ってるじゃねーか」
テツは馬鹿な事を言って笑い飛ばし、すっとぼけて寺島に説教し始めた。
俺は今のうちに……9割ソーダ水のショットガンを作った。
「そんな~、兄貴を手本にしただけっすよ~」
「こいつ~、俺のいう事が聞けねーのか、ったくよ~」
テツはビールの缶を掴んでビールを一気に飲み干したが、寺島の話なんか全然聞いてない。
「よっしゃ~! 分からねぇなら、分からせてやる」
何かやらかすような気がしたが、思った通り、立ち上がって寺島の方へ行こうとする。
「ちょっとテツ、やめなって……」
「友也ぁ~、おめぇ、寺島にチューされたからって、庇うんじゃねーぞ」
身を乗り出して咄嗟に腕を掴んだら、不適切な発言をした。
「ちょっと、馬鹿な事言うなよ」
水野は寺島の横に座ってるし、カオリも居る。
そんな事を言われたら赤っ恥だ。
「うるせー、おい寺島ぁ~、よくもチューしたな」
なのに……まだ言う。
「もう馬鹿だろ、このっ……黙れ」
酔っ払うと毎度何かやらかすが、こうなれば……口を塞いでやる。
「う"っ、友也、何しやがる……うぐっ」
テツは手を引き剥がしにかかったが、頭を抱き込んで阻止した。
「あんたが、変な事言うからだ!」
「うぐ~、こいつ、離せ!」
揉み合いになったが、カオリが傍にやって来てケラケラ笑った。
「ちょっと~なにやってるの、あははっ!」
「なははっ、おもしれぇ、いいぞ、友也やれ~!」
水野は面白がってけしかけている。
「兄貴……、バレちまったんですね」
だが、寺島が気落ちした声で言ったのが聞こえた。
気になってテツを離して振り向いたら、寺島は深刻な表情をして俯いている。
「おう、寺島ぁ~、な~んか怪しいと思ってたんだ、友也に手ぇ出したら承知しねぇぞ、このタコが~」
テツはソッコーで復活し、引き続き寺島を責めた。
「すみません、俺は友也が朱莉の為に一生懸命やってるのを見て……、すげーなって、感動しちまって」
寺島は俺の事をマジな顔で話している。
「感動だと? 嘘つくんじゃねー、バレてんだよ、おめぇが友也に女装させろっつったんだ、端からそういうつもりだったんじゃねーか? あぁ"~? コラァ」
でも、テツは酔ってるからダメだ。
まともに話にならない。
「いえ、そんなつもりはありません、キスは……そのー、つい魔が差して……すみません」
「魔が差しただと~、この野郎~!」
寺島は詫びてるのに、ブチ切れて再び寺島に挑みかかろうとする。
「ちょっ……ダメだ!」
抱きついて止めようとしたが、やっぱり……力負けしてしまう。
「くっ、もう……毎度毎度~、やめろよ」
タチの悪い酔っ払いにはホント困る。
「気合いを入れてやる! はなせ~邪魔だ~」
「うっ……! くそ~」
テツは立ち上がって前に歩き出し、押されて倒れそうになったが、水野がこっちに来て横から手を出してきた。
「矢吹、落ちつけ! お前、さっきからなにやってんだ、今日は引越し祝いだぜ、お宅らに何があったか知らねぇが、またにしろ、ショットガンはどうした、やらねぇのか?」
水野はテツを押さえつけ、無理矢理座らせて言った。
「あ~? 祝いか……そうだ、祝いだったな、なははっ……」
テツは嘘みたいに豹変してヘラヘラ笑いだした。
「ようし、じゃ、いくぞ~」
俺が用意したグラスを掴むと、グラスをテーブルに打ち付けてショットガンをやった。
「マズい! ジュースじゃねーか!」
温泉旅館と同じリアクションだ。
顔をくしゃくしゃにして、超不味そうな顔をする。
「ぷっ……、矢吹さん……さっきから……、もうやだ、ちょっ……無理」
カオリはテツを見て吹きそうになり、笑っちゃ悪いと思ったのか、口を押さえてそのままキッチンへ行ってしまったが、そんな事もあろうかと……俺は水野の分も作っておいた。
「水野さんの分もありますから」
「おい、いつの間に……、ありがた迷惑だな」
水野は向かい側に戻っていたが、グラスを差し出したら苦笑いして言った。
けど、テツを止められるのは水野しかいないし、水野まで悪酔いされちゃ困るので、9割ソーダ水のショットガンを渡した。
「あの……迷惑かけて悪いんですが、テツにこれ以上テキーラを飲ませないでください、頼みます、さっきみたいな事になったらヤバいんで……」
テツはご機嫌な様子でビールを煽っている。
小声でこっそり水野に頼んだ。
「そうか、ああ、わかった……、それより犬がやかましいぞ、見て来てやれ、酒は俺がつぐ」
「あ、はい、すみません……」
水野はわかってくれたらしく、豆太郎を見に行く事にしたが、その前に寺島のそばへ行った。
「あの、寺島さん……、すみませんでした、どうか機嫌なおしてください」
寺島は難しい顔をしていたが、グラスに氷を入れてウイスキーを注ぎ、頭を下げて差し出した。
寺島も俺にとっては恩人だから、俺の事でテツに絡まれちゃ申し訳ない。
「いや、お前のせいじゃねー、気にするな」
寺島はグラスを受け取って言うと、ぐっとひと息に飲み干した。
「あ、はい……、あの、俺は豆太郎が気になるから、ちょっと見てきます」
ひとまず大丈夫そうなので、ひとこと断ってベッドの方へ行ってみた。
「ん?」
すると龍王丸はベッドの上に座っていたが、豆太郎は何かを口に咥えて唸り声をあげ、頭をブンブン振っている。
「ガルルルルッ!」
「なんだ?」
近づいて屈み込んで見てみたら、豆太郎が口に咥えるソレは……ヒロシのバズーカ砲だった。
「ヴヴ~ッ、ガルルルルーッ!」
豆太郎は興奮状態で頭を左右に振りまくり、バズーカ砲の破片が辺りに飛び散った。
「ちょっと待って、マジかよ~、アハハハッ! やべぇ、チンコ食いちぎられたし、ナハハッ!」
「ガルルルルッ、ヴ~ッ! ガルルルルッ!」
龍王丸を見たら、目を細めて豆太郎を見おろしているが、酷くシラケた顔で豆太郎を眺めている。
興奮状態の豆太郎とは対照的で、シュールな光景に笑いが止まらない。
「ナハハハッ、やべぇ~、アハハっ! 腹いてぇ~」
「どうしたの?」
笑い声に気づいたのか、カオリがやって来た。
「カ、カオリさん、豆太郎がヒロシのナニを……、アハハっ!」
「ガルルルルッ!」
「あ~、やだな~もう……、突き出してるから、噛み付いちゃったんだよ、ああ、こらこら、食べちゃだめだよ、ね、豆太郎かして」
カオリは豆太郎を抱っこしてバズーカ砲を取り上げた。
「あらら、これはもう使いものにはならないわね、てゆーか、こんなの元々使えないじゃん、豆ちゃんのオモチャになっても仕方がないよ」
俺は腹が痛くなってベッドに座ったが、カオリはボロボロになったナニを差し出してくる。
「はい、これ」
「くっ……、ぷはっ、これ、今はテツに見せない方がいい、捨てる」
バズーカ砲はあちこち噛まれてボロボロになっている。
それを見たらまた笑いが込み上げてきたが、今これをテツに見られたら、イチャモンをつけられかねない。
ボロボロになったバズーカ砲は、ゴミ箱の一番底に沈めた。
「はあ~、笑いすぎた……」
「ニャ~ン」
ベッドに座ったら、龍王丸がスリスリしてきた。
「お前、すげー冷めた顔してたな、ははっ」
「ニャッ……」
背中を撫でてやると、気持ちよさそうに目を細める。
「破片を片付けなきゃ」
カオリは豆太郎を片手で抱いたまま、床に散らばった破片を片付け始めたが、豆太郎は目をパチクリさせておとなしくしている。
きっと高い位置で抱っこされてるから、ビビっておとなしくしてるんだろう。
破片を片付け終わり、カオリが豆太郎を離してやると、豆太郎は龍王丸を見上げてまた吠え始めた。
「オモチャがなくなったらまた龍王丸か……、ま、近所に気兼ねする事はないし、ほっとくか」
龍王丸は俺について来ようとしたが、豆太郎が下で狙ってるので動けない。
「龍王丸、悪いけど~、ここでお利口にしてて、あとでおやつあげるから」
龍王丸にお願いして、カオリと2人で3人の世話を再開した。
キッチンとソファーを行き来して、足りなくなった物を補充し、合間合間にカオリと交代で酌をしたが、テツはもう寺島に絡む事はなかった。
3人は馬鹿な冗談を言い合って笑っていたが、22時近くになって火野さんがやって来た。
カオリが火野さんに挨拶すると、火野さんは笑顔でひとこと返し、水野に向かって挨拶した。
ヤクザは年功序列じゃないから、水野はテツと同等でその次が火野さん、寺島は前よりは立場が上になってるが、ここでは一番下になる。
火野さんがテツの横に座ると、テツは早速酒を勧めたが、火野さんは丁重に断った。
「どうした、まだ出かけなきゃならねぇのか?」
テツは火野さんに聞いたが、俺は姉貴の事が心配になってきた。
「ええ、病院に行こうかと、今日はまだ行けてないんで」
「おお、そうか……、舞さんは大丈夫なのか?」
「はい、無事にやってますが、どうも体を動かしたらダメなようで、本人は退屈してまして」
姉貴は無事なようだが、ちょっと元気になるとすぐにウロウロしたがるから、結局入院が長引いてるようだ。
「赤ん坊か、楽しみだな」
水野がタバコを吹かしながら言った。
「ええ、はい……、あ、水野の兄貴、こないだはいい物を頂いて、すみませんでした」
火野さんは照れ笑いを浮かべたが、思い出したようにハッとして頭を下げた。
「ああ、ありゃ引っ越しの挨拶だ、気にするな」
水野がタバコを灰皿に押し付けたら、寺島が目も虚ろに火野さんの方へ向いた。
「火野の兄貴~、子供、いいっすね~、いいな~羨ましい~」
俺はペットボトルの水を用意していたが、寺島は水を飲まずにウイスキーをガンガン飲んでいたので、完全に酔いが回っているようだ。
頭がグラグラ揺れているが、眠いのか、今にも瞼が閉じそうになっている。
「寺島、お前……半分寝てないか?」
「兄貴ぃ~、マジで真面目に付き合える女を紹介してくださいよ~」
火野さんが声をかけると、寺島は泣きそうな顔で火野さんに訴えた。
「いや、それなら矢吹の兄貴に頼め……、寺島おめぇ……飲みすぎたな」
火野さんは遊ばない人なので、そんな事を頼まれても困惑するだけだろう。
「そんな事言わず~、兄貴は真面目だから~誰か……お願い……しま」
寺島は言いかけて、水野の膝に倒れ込んでしまった。
「おい寺島……、まったく、しょーがねー奴だな、ほら、しゃんとしろ」
水野は寺島を起こして座らせたが、寺島は既に意識がない。
水野とは反対側に、座った体勢のまんまバタッと倒れた。
「友也、水をくれ」
「あ、うん……」
テツに言われ、コップに水をついで差し出したが、テツと水野はちょこちょこ水を飲んでいたので、なんとか悪酔いせずに済んだようだ。
「ん?」
何気なく下を見たら、豆太郎がトコトコとこっちに歩いて来る。
俺はテツの側に立ってるから、また盛るんじゃないかと思って用心したが、豆太郎は俺をスルーして寺島の所へ行った。
「あれ?」
意外だと思っていると、立ち上がってソファーに前足をかけ、鼻先を寺島の体にくっつけて匂いを嗅ぐ。
「おい、豆よ、おめぇの飼い主はな、とうとうくたばっちまったぜ、へへー、どうするよ?」
テツがニヤついた顔で意地悪な事を言った。
まぁでも、犬だから分からないだろうと思っていると、豆太郎は一旦足をおろし、寺島の顔の前に移動した。
落ち着かない様子でソワソワし始め、鼻を鳴らしてクーンと鳴いた後で、もう一度立ち上がって鼻先を寺島の顔にくっつけた。
寺島は気づかずに眠っているが、豆太郎は悲しげな声でクンクン鳴き出した。
「あーあ、おい矢吹、お前が余計な事を言うからだ、見ろ、泣いちまったじゃねーか」
水野はテツを責めた。
「……なわけあるかよ」
テツがバツが悪そうに言い返したら、ちょうどカオリがキッチンから戻って来た。
「んん? どうかしたの……、あれ、豆太郎、こっちに来たの?」
「うん、寺島さんが酔って寝ちゃって……、で、豆太郎が鳴き出したんだ」
状況を説明すると、カオリは寺島の頭側に回り込んだ。
「そっかー、困ったね~、豆太郎、大丈夫だよ、寺島さんはここ、ほら」
カオリはその場にしゃがみこむと、豆太郎をひょいと抱え上げて寺島の顔にくっつけた。
豆太郎は興奮気味にしっぽを振り、夢中で寺島の顔を舐め回す。
「う……、な、なんだ……、くっ……擽ってぇ、豆……なんだお前か……ハハッ」
寺島は目が覚めたらしく、眠そうな顔で薄目を開けて話しかけたが、豆太郎は益々興奮してジタバタ藻掻いた。
「クォーン! クーン!」
鼻から抜けるような甘えた声で鳴いている。
「はいはい、離したげるけど、豆ちゃん、落っこちちゃダメだよ」
カオリがそっと手を離してやると、豆太郎は寺島の首の辺りに乗っかり、物凄い勢いで顔を舐め始めた。
「うっぷっ……こら豆、よせ……あははっ……」
寺島は困ったように笑い、片手で豆太郎を抱いたが、どうやら……豆太郎は盛るだけが能じゃないらしい。
ちょっと見直した。
「豆、ちょっと待て……、はあ~、いい気分で寝てたのによ~、こいつめ、ははっ……」
寺島はだるそうに起き上がって背もたれに寄りかかり、豆太郎をしっかりと膝に抱いて撫で始めた。
「ふふっ、豆ちゃん、よかったね」
カオリは安心したように微笑むと、空になった皿を持ってキッチンへ行った。
「ニャ~」
龍王丸がやって来たが、豆太郎がこっちに来たし、ベッドからおりて自分もやって来たらしい。
龍王丸は火野さんの膝に飛び上がった。
「龍、いい子にしてたか?」
火野さんは龍王丸を抱いて背中を撫でた。
「ニャ~ン」
龍王丸も豆太郎と一緒で、やっぱり飼い主がいいらしい。
これでもか~! と頭をスリスリしまくって甘えているが、向かい側から豆太郎が睨んでいる。
「ヴゥーッ……」
「コラ豆、よせ……」
寺島は豆太郎をしっかりと抱き直した。
龍王丸はむくっと起き上がり、背中を丸めて豆太郎を睨み返す。
「シャアァァーッ!」
豆太郎以上に牙を剥いて威嚇すると、寺島は豆太郎を抱っこしてすっと立ち上がった。
「あ、兄貴、すみません……、豆をトイレに連れて行きます」
顔をこわばらせてテツに言ったが、そう言えば……寺島は猫が苦手だと言っていた。
豆太郎は相変わらず臨戦態勢だが、飼い主の寺島は龍王丸にビビったらしい。
「おお、行ってきな、漏らしたら事だからな」
「そんじゃ失礼して……、ちょいと席を外します」
寺島は頭を下げてそそくさと玄関に向かったが、豆太郎のトイレを口実に外へ逃げるようだ。
「へへ~、寺島の奴、てめぇがびびってら……」
ドアが閉まると、テツがニヤついた顔で呟いた。
「あの、ひょっとして、寺島は猫が苦手なんですか?」
火野さんは知らなかったらしい。
「おう、猫が怖ぇんだとよ」
「そうっすか、それで急に出て行ったのか……」
「それより火野、龍王丸が……俺にちっとも懐かねーぞ」
テツは龍王丸の事を愚痴った。
「え、懐かねー?」
「おお、俺がよー、折角可愛がってやろうってーのに『シャーッ!』だぜ、で、抱こうとしたら暴れて引っ掻くんだ」
「そりゃほんとですか? こいつはおとなしいんですが……」
火野さんは驚いた顔をして龍王丸を見た。
「くっくっ……、矢吹、お前、猫に嫌われてんのか」
水野が揶揄うように言ったが、テツは不貞腐れた顔をしている。
「知るかよ、ったく……、言っとくが俺はイジメたりしてねぇぞ、逆にやられっぱなしだ、これを見てみろ」
テツはシャツをはぐって腕を晒した。
「あ~、ホントだ、傷だらけだな」
水野は引っ掻き傷のついた腕を見て納得したが、火野さんも当然それを見た。
「兄貴、すみません!」
火野さんは頭を下げてテツに詫びる。
「いや、まあーそれはいい、それより何故なのか知りてぇ、おめぇ飼い主なら、懐かねー理由がわかるだろ?」
テツは嫌われる理由を知りたいようだ。
「あ、はい……、それはそのー、兄貴ちょっと待ってください、龍、何故兄貴を引っ掻くんだ?」
火野さんは困った顔をして、膝に座る龍王丸に向かって問いかけた。
「ニャ~ン」
龍王丸はゴロンと寝転がり、喉を鳴らして甘えている。
「兄貴、申し訳ねぇ……、こればっかりは……どうにもわかりません」
火野さんは申し訳なさそうに謝った。
「あたりめぇだ、そんなもん、猫にしか分からねぇ」
テツは呆れた顔で言う。
「ぷはっ、アハハっ! どんな会話だよ……なに言ってんだか、意味がわからねーじゃねーか、お前ら面白すぎだ、なははっ!」
水野は2人のやり取りを見て吹き出した。
「まあいい、つまり分からねぇって事だな」
テツは水野の事をスルーして、ポツリと呟いた。
「あの、迷惑かけてすみません」
火野さんのせいじゃないのに、火野さんは平謝りする。
「火野さん、テツは煩くするから龍王丸に嫌われるんです、龍王丸は俺が世話してるし、俺には懐いてるから気にしなくて大丈夫です」
俺は龍王丸のお陰で癒されている。
だから、そんなどうでもいい事を気にしないで欲しい。
「あのよ~矢吹、おめぇが性懲りもなく手ぇ出してんだろ、猫は自分からわざわざ襲ってこねぇ筈だ」
そこへ水野が口を出してきた。
「そう思うだろ?」
「おお、なんだ、なにかあるのか?」
「それがな……来るんだよ」
テツは眉間にシワを寄せて言った。
絶対余計な事を喋るに違いない。
「あ"ーっ! っと、やめ! その話は無し、あっ、火野さん、もう行かなきゃマズいんじゃ?」
テツが不適切な発言をする前に、火野さんに声をかけた。
「あ、そうだな……、もうこんな時間か、兄貴、龍の事は申し訳ないんですが、また改めて詫びをさせて貰います」
火野さんはとりあえず烏龍茶を飲んでいたが、腕時計を見て焦りだし、テツに言って頭を下げる。
「おう、じゃあな、ウイスキーを頼む」
テツはここぞとばかりに酒を要求した。
「わかりました、それじゃ、俺はそろそろ……、あまり遅くなっても病院に迷惑かけるので」
火野さんは龍王丸を膝からおろして立ち上がった。
「おお、はえーとこ行ってやりな」
テツが機嫌よさそうに答えると、カオリがキッチンから戻ってきた。
「はい、じゃあ、水野の兄貴、先に失礼します」
火野さんは水野に向かって頭を下げたが、カオリはなにか言いたげに水野の側へ行った。
「あの、水野君……、あたし達もそろそろ引き上げた方が……朝早いんでしょ?」
水野もなにか用があって、明日の早朝に出かけるようだ。
「おう、そうだな~、ちょっと早いが……、矢吹、俺達も退散するわ」
「なんだ、いきなり居なくなるのか?」
テツは残念そうにしている。
「これからはいつでも飲める、今日は楽しかった、また飲みてぇな」
「ま、そうだな……、それじゃ、ゆっくり休みな」
しかし、水野に言われて諦めたようだ。
引越し祝いはそこでお開きとなった。
3人を見送って部屋に戻り、いつもと同じようにソファーに座ったら、その直後に寺島が戻ってきた。
「兄貴、席を外してすみませんでした、あの、3人には外で会いましたんで、挨拶はきっちりしときました」
寺島はテツに頭を下げて言ったが、豆太郎を抱いて突っ立ったままだ。
「寺島さん、龍王丸はベッドの上にいます」
龍王丸は3人を見送る時に、ソファーからおりてベッドの方へ行った。
てっきり火野さんとの別れを名残惜しむのかと思ったが、やっぱ猫は気紛れだ。
「お、おお、そうか……」
俺が説明したら、寺島は安心したように向かい側に座り、豆太郎を膝に抱き直した。
「寺島、かけ布団は出してやる、テーブルを避けてソファーをくっつけろ、そしたら豆と一緒に寝られるからな」
テツは寺島に言ったが、いいアイディアだと思った。
「はい、そうさせて貰います、気ぃ使って貰ってすみません」
寺島は頭を掻いて遠慮がちに言ったが、外に居たせいか、酔いは醒めてるようだ。
「お前、先にシャワー浴びろ」
「いえ、兄貴、先に浴びてください」
「バカ、遠慮するな、俺は一服してぇ、行ってこい」
テツはテーブルからタバコを取って一本出し、口に咥えて寺島に促した。
「あ、はい……、それじゃお先に使わせていただきます、豆、風呂へ行ってくるからな、おとなしく待ってろ」
寺島は立ち上がって豆太郎を床におろし、豆太郎に向かって言い聞かせた。
すると、豆太郎はその場にちょこんとお座りする。
「へへっ、なかなか利口だな」
テツが煙を吐き出しながら言うと、寺島はもう一度頭を下げて浴室に向かった。
寺島が行った後、テツはタバコを消して肩を抱いてきた。
「水野とは上手くやれそうだな、おお……カオリもな」
「うん、そうだな」
同じマンションに住むと聞いた時は戸惑ったが、今は全然モヤモヤした気持ちはない。
むしろ、スッキリした気分だ。
「へへっ、寺島にゃ灸をすえてやったからな、少しは堪えただろう」
テツは意地悪く笑って言ったが、これならもう寺島の事を疑う事はなさそうだ。
「酔いは醒めた?」
ホッと胸を撫で下ろして聞いた。
「ああ、おめぇが水を飲ませるからよ~、水っぱらになっちまったじゃねーか」
テツはぶつくさぼやいたが、体の事を考えたら水っぱらの方がマシだ。
「ほっとくと飲みすぎて潰れるだろ? だからだよ」
「ああ、わかってるよ、おめぇの言う事だけは聞いてやる」
嬉しい事を言ってくれるが、俺はテツにとって誰が大事な存在なのかよくわかっている。
当たり前に親父さんや翔吾だが、その上で俺の言う事だけは……って言ってくれるのは、素直に嬉しく思う。
「へへっ……」
腕に寄りかかって頭を預けた。
「おめぇはよ~、色んな奴を惹き付ける、カオリも水野も……、まさかご近所さんになるとは思わなかったぜ、ははっ、悪くねぇ」
テツは何かを思い出すように、遠くを見つめて言った。
だけど、俺は何も答えられずにいた。
色んな奴を惹き付けると言ったが……、その中にはテツにバレたらヤバい事とかヤバい人物もいるからだ。
黙っていると、足に違和感を覚えた。
「あ……」
下を見れば、豆太郎が足にしがみついている。
「おお~、またか、はははっ、ちいせぇ癖に激しいな」
テツは下を覗き込んで豆太郎を見た。
「豆太郎、もう……勘弁してくれ」
さっきは寺島の指示に従ったし、もう盛る事はないだろうと思ったのに、やっぱり豆太郎はいつも通りだった。
「おめぇ、辰さんとこで、デカい犬に掘られてたよな?」
「掘られてねー、たまたまマウントポジション取られただけだ」
「モテモテだな、犬にまで盛られてよー」
「モテたくねーし、あ……」
豆太郎の暴挙に参っていると、龍王丸が俺の側にやって来た。
「フゥゥーッ!」
いきなり毛を逆立てて豆太郎を睨みつけたが、仲良くする気はさらさらなさそうだ。
「おおっ、また喧嘩か? 相当怒ってるぞ、こりゃ殺る気だな」
テツは面白がっているが、豆太郎も足から離れて唸り声をあげた。
「ヴゥーッ!」
「おっ、豆も身構えたぞ、どっちが先だ?」
「ニャウーッ!」
龍王丸の猫パンチが先だった。
「おー、先手必勝か、やるじゃねーか火野」
「いや、火野さんじゃねーから……」
「ワン! ワワンッ!」
豆太郎は飛び退いて躱したが、牙を剥いて吠えまくっている。
「お、今のは上手くよけたな、よしよし、寺島ぁ、やれ! ほら、イケ!」
テツが煽ると、豆太郎は勢いよく龍王丸に飛びかかったが、龍王丸は楽勝でひょいと避けて逃げ出した。
「あ~寺島ぁ~、お前はやっぱり太り過ぎだ、親父のとこで鍛えろ」
「だから、豆太郎は寺島さんじゃねーから……」
「へへっ、おもしれぇ、ちょいと見てくるか」
テツは2匹の後を追ってベッドの方へ歩いて行ったが、俺はダルいから行かなかった。
「あ"ーっ! おい、ヒロシのナニがねーぞ」
だが……うっかり忘れていた。
「おい友也! バズーカ知らねーか、どこいったんだ? ナニが独り歩きするわけねーしな、っかしいな~、おい友也ぁ! ちょっとこっちに来い」
テツはギャーギャー喚いている……。
「はあ~あ……」
面倒臭いが、もう酔いは醒めてるし、ちゃんと説明した方が良さそうだ。
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