20Blue(組長)

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20Blue(組長)

◇◇◇ 昨日はテツが目を覚ました後、夜まで一緒に過ごし、ソファーやベッド、キッチン、ところ構わず体を交えた。 テツは帰り際に、来週は美容クリニックに連れて行くから、そのつもりでいろと言ったが、シャワーを浴びてアパートを出る頃には21時を過ぎていた。 帰宅したら、姉貴は彼氏と喧嘩でもしたのか、珍しく俺の前に顔を出す事はなかった。 それは良かったが、翌朝目覚めて直ぐに腰痛に襲われた。 今日は土曜日で学校が休みだから良かったが、ベッドから起き上がるのも辛く、布団に包まってダラダラしていたら、翔吾から電話がかかってきた。 遊びに来ないか? と言う。 昨日の疲れもあるし、疲れた状態でこないだみたいな緊張感を強いられるのは……ごめんだ。 『悪い、今日はなんか怠くてさ……家でゴロゴロしようかなーと』 『うん、わかるんだけどさ、親父がどうしても友也に会いたいって言うんだ、ちょっとだけ会ってくれないかな?』 ところが、翔吾は思わぬ事を言いだした。 『えっ、でも……』 『怖がらなくていいよ、組長としてじゃなく、僕の親父として、ただの爺さんとして会いたいって、そう言ってる、親父についてる連中も無しだから』 『ただの爺さん……』 親父さんが……ただの爺さん……。 翔吾は親父さんとは似ても似つかない優男だが、親父さんは……厳つい顔立ちにガッチリとした体格をしていて、威風堂々としたオーラを放っている。 とてもじゃないが、その辺の爺さんには見えない。 『友也にプレゼントのお返しをしたいんだって、受け取ってあげてよ、親父さ、今までも何度も言ってきたんだけど、僕は友也の気持ちを知ってるから断り続けた、そしたら……ビビらせないようにするから、ちょっとだけ会わせてくれって言うんだ、まったく、しつこいんだよね』 『うーん、そうだな……』 単に見た目が怖いというのもあるが……テツが『親父に付き合わされる』と言っていたのが怖い。 だけど、翔吾は親父さんには付き合ってる相手がいると言ってた。 『あの、そういえば、親父さんは……前に言ってたシーメールと付き合ってたりするわけ?』 『ああ、うん、付き合ってるよ、いくら遊び好きな親父でも、そんなにすぐには別れないよ、なんで?』 シーメールと付き合ってるなら、テツが言ったような事態にはならないだろう。 『いや、なんとなくどうなったのかなって思ったり、シーメールとか珍しいだろ?』 『僕は慣れてるけど、まあ、普通はそうなのかな……、それでどう? 来てくれる?』 『ああ、うん……、わかった』 『ありがとう、親父喜ぶよ、じゃテツを迎えに行かせるから、家の前に行っても大丈夫かな?』 『うん、今日も大丈夫』 親父さんと会う事を承諾した。 テツとは昨夜別れたばかりでまた直ぐに会う事になったが、今日は親父さんに会うのが主な目的だ。 翔吾とテツと俺の3人で、微妙な雰囲気になる事もないだろう。 翔吾はすぐに迎えに来ると言ったので、慌ててベッドから降りたが、腰がギクッとへし折れそうになった。 「イテテ……」 テツはタチ側だからなんともないんだろうが、受ける俺は……変則的な体位で突っ込まれたりしたら、腰に負担ががかる。 但し、やってる時はつい夢中になって感じてしまうから、その結果テツを煽る事に繋がり……結局、俺にも責任があるという事か……。 へっぴり腰で1階へ降りたが、階段がやばい。 手すりを持って1段ずつゆっくり降りていったら、途中でピンポンが鳴った。 「ちょっ、誰だよ」 テツにしては早すぎるし、どうせセールスか新聞の勧誘だ。 イライラしながら可能な限り急いで降りて、腰を曲げたまま玄関へ歩いて行った。 「はい、どちら様ですか?」 声をかけながら鍵を開け、玄関のドアを開けたら女性が2人立っている。 1人は白髪混じりの年配の人で、もう一人はそれより大分若いが、2人共清楚というか……地味な服装をしていて、どことなく野暮ったい感じに見える。 2人組で真面目そうな野暮ったい服装……。 なんなのか、だいたい見当がついてきた。 敢えて嫌そ~な顔をして2人組を見たが、年配の女性の方が満面の笑みを浮かべて一歩前に踏み出してきた。 「こんにちわー、いいお天気ですねー、でもね、あなたはご存知かしら? こんなに気持ちのいい爽やかな日でも、世界中のどこかで不幸な目に合ってる人が必ずいるの、世の中というのは助け合いで成り立つのよ、あなたは……今幸せ?」 この台詞……。 予想通り、これは宗教の勧誘だ。 「はい、幸せです……、あの、そういうの興味ないんで」 「あら? 体調がお悪いの?」 女性は俺が腰を曲げてるのに気づいて聞いてきた。 「え、いや、大した事じゃ……」 「いいえ、大変、放っておけないわ、佐伯さん、あなたお祈りをしてあげて」 しかも、なんか面倒臭い事を言ってくる。 「えっ? いや、要りません」 何かをきっかけに入信させたいんだろうが、そんなもんは不要だ。 「遠慮しなくていいのよ、私達は神から遣わされた使徒、困った人を助けるのがつとめ、あなたも神のパワーを感じれば、きっとどんなに素晴らしいかわかる筈、共感、共鳴するの……神が授けた幸せを分かち合うのよ、わたし達はみな神の子、それが分かればあなたの人生から苦難が消滅する、今なら入会金無しで入信できるわよ、滅多にないチャンスだし、お得だから是非体験してみて」 「あの、ちょっと……」 年配の女性は訳の分からない事を言って、もうひとりの若い方に声をかけ、2人して玄関の中に入り込んできた。 相手が女性だけに怒鳴りつけて追い出すわけにもいかず、若い女性の方が俺の目の前にやってきて手を合わせた。 「いや、あの……」 困惑していたら、若い女性は憑かれたような目つきで俺を一瞥して俯き、聞き取れないような小声で何かをぶつぶつ呟き出した。 「あの、いいです……、お祈りとか、本当にいりませんから」 気色悪いのでやめて欲しかったが、年配の女性も若い女性の隣にくっついて、2人して俺に向かって拝み始めた。 2人共俯いて手を合わせ、唇を微かに動かして何かを唱えている。 異様な状況に困り果てていると、開けたドアの隙間からレクサスが右からやって来るのが見えた。 車は門扉の前に止まったが、女性2人はお祈りに集中しているらしく、車からテツが降りてこっちへやって来てる事に気づかない。 「おい、友也、おめぇ、なに拝まれてんだ?」 テツはドアを開けて2人の背後に立ち、呆れ顔で俺に聞いてきたが、宗教の女性2人はその時になってやっと振り返り、テツを見た瞬間、硬直して顔を引き攣らせた。 「あっ、いえ、私達は神の教えを布教してるんです、あの、この方が体調悪そうにしてらしたから……その……」 口を開いたのは年配の女性の方だったが、しどろもどろになっている。 若い女性は肩を竦めてテツを見る事も出来ずに固まっていた。 「友也、おめぇが拝んでくれと頼んだのか?」 「いや、断ったんだけど……」 「不要だと言ってるにもかかわらず、人様の玄関に入り込んで布教活動か?」 テツは俺に聞いた後で年配の女性に向かって言った。 俺は2人がテツにビビってすっ飛んで逃げると思ったんだが……。 「いいえ、聞いてください、私達はボランティアで困った人を助け、正しい道を教えてあげているだけです、決して押し付けじゃありません」 しかし、意外と度胸がすわってるのか、年配の女性がテツに向かって言い訳し始めた。 びびってるのは表情から丸わかりなんだが、やはり年をとってるだけに図々しいんだろう。 「ごちゃごちゃとうるせーな、今すぐ出てけ、目障りだ」 テツは相手にするつもりはないらしく、目をつりあげて言った。 「はい、勿論出ていきます、ですがその前に少しだけ……、佐伯さん、さ、一緒に……、あなたにも神の御加護があらんことを」 だが、年配の女性は若い女性を促してテツの方へ向き直り、2人してテツに向かって手を合わせる。 「くっ……」 テツは更に険しい表情をして言葉に詰まってしまい、俺はハラハラしたが、恐らくテツは……俺んちの玄関で声を荒らげる事を躊躇してるんだろう。 そうとも知らず、女性達はテツに向かって念仏みたいな祈りを唱えている。 「ぷっ……」 怒りを必死に抑えるテツを見たら、なんだか笑えてきた。 「いい加減にしねぇか! とっとと消え失せろ!」 思わず吹き出しそうになったが、テツの怒鳴り声で笑いは掻き消された。 「そ、そんな怒鳴らなくても、いえ、待ってください、神は全てをお許しになる、どうかあなたも気を静めてください……」 年配の女性は一瞬ビクッとして首を竦めたが、懲りもせずにテツを諭そうとする。 「うるせー! っの腐れババアが! なにが神だ、ごちゃごちゃ抜かしやがったら、三途の川に叩き込むぞ!」 テツは遂にブチキレた。 「な、なんと罰当たりな……、佐伯さん行きましょう、きっと神罰がくだるわ」 「は、はい!」 流石に今のは効いたのか、年配の女性は捨て台詞を吐き、若い女性と共に玄関から飛び出して行った。 「けっ、なんなんだよまったく……、何が神罰だ、胸糞わりぃババアだな、おめぇもな、あんなもんを相手にするな、あれくらいさっさと追っ払え」 女性達が居なくなり、テツは玄関に入ってドアを閉めて俺にぶつくさ言ってきたが、俺はたった今、滅多に見られない珍しい光景を目にして、得した気分になった。 「けどさー、テツ……拝まれてたし、笑えた」 結局怒鳴ってしまったが、テツが一生懸命怒りを抑えてたのは偉い、っていうか……そんな風に俺の事を気遣ってくれる気持ちが嬉しい。 「ったくよー、女も年をとると怖いもの知らずだな、それよりお前、まだ用意してねーのか」 テツは俺を見て言ったが……。 「え……、だって、こんなに早く来るとは思わなかったし」 まだパジャマを着たままで、これから顔を洗うところだ。 「俺はな、たまたま近くにいたんだ、で、早く来ちまったんだが……、仕方ねぇ、車ん中で待ってるわ」 テツは踵を返したが、怪しげな宗教家を撃退してくれたし、家には俺以外誰もいない。 車の中で待たせるのは悪いような気がしてきた。 「あっ、ちょっと待って……」 「ん?」 「上がっていいよ、直ぐに用意するから」 「構わねぇのか?」 「ああ、うん……、宗教追っ払ってくれたし」 「そうか、それじゃ上がらせてもらうぜ」 テツは最初驚いた顔をしたが、俺が促したら革靴を脱いで家に上がった。 「ん……、お前、なんだぁその歩き方は? 腰が痛てぇのか?」 俺は腰を伸ばせない状態なので、前に屈み込んだ体勢で玄関に背中を向けたが、テツは俺の異変に気づいた。 「ゆうべ、あんたが無茶するからだろ」 「おおそうか、はははっ! ほら、支えてやる、2階へ上がるんだろ?」 腰痛の原因を言ったら、笑いながら片腕を俺の背中に回してきた。 「あ、うん……、悪い、その前に顔を洗いたいんだけど」 「洗面所か、分かった」 何だか悪いような気がしたが、テツにも一応責任があるし、体を支えてもらって洗面所に連れて行ってもらった。 顔を洗い、歯を磨いて2階へ上がったが、階段を上がる時も横について腰に手を回し、階段から落ちないように支えてくれていた。 「どっちだ?」 「手前の部屋」 「奥が姉ちゃんだな?」 2階へ上がったら、テツは姉貴の部屋に目をやったが、姉ちゃんに興味を持つのは無しだ。 「駄目だからな、姉貴の部屋は立ち入り禁止」 釘を刺すように言ったら、テツは素直に俺の部屋に入った。 「分かってるよ、ほら、座ってな、クローゼットはここか」 俺をベッドに座らせると、真っ直ぐにクローゼットの前に歩いて行き、扉を開けようとする。 「あ、いや、悪いからいいって、自分で出すよ」 そこまでやってもらうのは悪い。 立ち上がろうとしたら、腰がグキッとなって床に突っ伏した。 「いってぇー、なんで……こんな事に」 「ぎっくり腰だな」 「えー、嘘? そういうの、年寄りがなるんだろ?」 「若い奴もなる」 「そうなのか?」 「ああ、ま、そのうち治るだろ、暫くは我慢するしかねぇ」 テツはぎっくり腰について説明をしつつ、クローゼットから適当な服を出していたが、Tシャツとズボンを持って俺の前に戻ってきた。 「ほら、持ってきてやったぜ、これで構わねぇか?」 「ああ、うん」 差し出したのは、英字がプリントされた黒いTシャツと黒いジーンズだが、服はなんでも構わない。 それよりも腰が痛いのが不便だ。 ゆっくりと用心しながら床に座り、パジャマのボタンに手をかけた。 「かしてみな」 するとテツが目の前に座り込んで手を伸ばしてくる。 「あ、大丈夫、自分でやるから」 「着替えさせてやる、遠慮するな、俺は若の着替えを手伝ったりしてた、こういう事にゃ慣れてる」 「そっか……、じゃ、頼む」 この年になって着替えを手伝ってもらうとか、やたら照れくさかったが、動き辛いのは事実だし、テツの言葉に甘える事にした。 パジャマを脱いでTシャツとジーパンを穿くだけだから、着替えはあっという間に終わった。 テツにお礼を言ってゆっくりと立ち上がり、勉強机に置いたバックを取りに行こうとしたが、腰がズキズキ痛む。 へっぴり腰で歩きだしたら、テツが俺を追い越して机まで歩いて行き、黒いボディバックを掴んで聞いてきた。 「これか?」 「あ、うん」 「言えば取ってやるのによ」 ひとこと言ってバックを持ってこっちへ戻って来たが、俺の少し手前で立ち止まってバックのポケットを見ている。 「ん? こりゃ名刺か?」 俺はそれが何なのか直ぐに気づき、さーっと血の気が引いた。 「あっ、それは……、うっ! いってぇ!」 焦って立ち上がろうとしたが、腰がグキッとなってその場にへたりこんだ。 「これは火野の名刺じゃねぇか、こんなもん、何故お前が持ってる、おい、あいつがお前に渡したのか」 ゆうべ帰宅した後にショルダーバックからボディバックに中身を入れ替えた。 その時に、火野さんから貰った名刺を外側のポケットに入れたつもりだったが……眠くてちゃんと入ってなかったらしい。 「ああ、貰った、だけど……なんでもねぇから」 床に両手をついてテツを見上げて答えたら、テツは俺の前にやって来てしゃがみ込んだ。 「なんでもねぇのに、何故わざわざ名刺なんか渡す、しかもこの名刺にゃ携帯の番号まで入ってる、あいつに誘われたのか?」 そうくるとは思ったが、案の定、疑ってきた。 「違う、そんなんじゃねぇ、火野さんは真面目な人だから、キチンと挨拶しようって、そう思ったんじゃねぇの?」 「本当か?」 俺は名刺を見られてつい狼狽えてしまったが、冷静に考えたら……火野さんとは本当に何もないんだし、狼狽える必要なんかどこにもなかった。 「本当だ、テツが思うような、そういうのはねぇから」 「あいつに聞きゃ分かる」 もし聞かれたとしても、火野さんなら上手く誤魔化してくれるだろうけど、あらぬ疑いをかけられて責められたりしたら申し訳ない。 「俺は何もやましい事はねぇし、別にいいけど、あんまりそういうの言わねー方がいんじゃね? 翔吾に変に思われたらアレだろ?」 「ったく……、確かにそうだな、まぁあいつは変わり者だからな、名刺を渡しても別におかしかねぇか、わかったよ、信じてやる」 翔吾の事を口にしたら、テツは火野さんの事を言って疑うのをやめたようだ。 俺はホッとしたが、ホッとした途端、重要な事を思い出した。 「あのさ、それより俺、親父さんに会わなきゃいけないんだけど……、あの……大丈夫かな? 翔吾から付き合ってる相手がいるって聞いてOKしたんだけど、前にテツが怖い事を言ってただろ?」 そんな事はないとは思うが、ちゃんと確かめておきたい。 「おお、まあ、あれだ、お前がプレゼントを渡してから大分経つしな、若がおめぇを気に入ってる事ぁ親父も気づいてるだろうし、多分大丈夫だ」 「多分? なんか不安だな……」 「だからよ、もし親父がそれらしい事を言ったら、はっきり断れ、カタギのガキを相手に親父もそこまでしつこくしねぇだろう」 「それらしい事って?」 「食事に連れて行くだとか、そういう誘いだ」 「そっか……、うん、わかった」 やや不安は残るが、もし誘ってきてもテツの言う通りにすれば、無理にとは言わないだろう。 「で、この名刺は没収するぞ」 「えっ、いや、そんな事しなくても……、俺、本当に何も」 「いいや、念には念をだ、今何もなくとも、この先ねぇとは限らねーからな」 テツは火野さんの名刺をポケットにしまい込んでしまったが……実はスマホに電話番号を登録してあるのでなくても構わない。 「じゃ、ボチボチ行くか……」 「ああ、うん」 バックを渡されて立ち上がろうとしたら、テツが横に来て体を支えてくれた。 「あ、ごめん」 「飯は……まだ食ってねぇだろ?」 「うん」 「親父は焦って行く事ぁねぇ、なんか食いに行こう」 「奢ってくれるの?」 「おお、しかしな……、そのへっぴり腰じゃ動きづれえだろ、コルセットを買ってやる、それを巻いてな」 「コルセット? そんなもんどこに売ってるんだ?」 「ドラッグストアに行きゃ売ってる、サポーターとも言うが、実はな、俺らが何かと世話になってる医者がいる、だからよ、酷けりゃ医者に診て貰やいいが、ぎっくり腰ならそこまでする事はねぇだろう」 「そっか、ドラッグストアにあるんだな、だけど、医者って……専属の医者がいたりするわけ?」 「ま、そうだな、俺らは大っぴらにできねー理由で怪我をする事がある、そんな時に世話になってるんだ、だからよ、警察沙汰にはならねぇ」 「へえ、色々あるんだな」 テツに昼飯を奢ってもらう事になり、内部事情を聞いた後で直ぐに家を出た。 助手席に座ってどこに食べに行くのか聞いたら、イタリアンを食いに行くと言う。 テツがそんな洒落た店に行くとは思わなかったので、茶化すように『そこら辺の定食屋じゃないんだ』って言ったら、そんなに気取った店じゃねぇから安心しろと言って笑った。 目的のレストランに行く途中でドラッグストアに立ち寄り、コルセットを買ってもらい、車の中で早速着用する事にした。 Tシャツを捲り上げて素肌に直に着けてみたら、痛みがなくなるわけではないが、動く時にグキッとなる感じがなくなった。 コルセットの威力は凄い。 但し、いざレストランに到着して車から降りる時は一応用心した。 けれど、立ち上がって腰を伸ばしても痛みはなかった。 車の傍に立って『自由に動けるって、素晴らしい!』と感動していたら、テツに呼ばれた。 レストランはこじんまりとした店だった。 店内に入ると、カウンター席と小さめなテーブル席がいくつかあり、床も壁も木造りのレトロな雰囲気だった。 派手な装飾はないが、窓際に真鍮製のピサの斜塔の置物が置いてあったり、イタリア語で書かれた古びたポスターが貼ってある。 確かに、テツが言ったように気取った雰囲気ではないが、俺からしてみれば充分洒落た雰囲気に見える。 テーブル席に座り、メニューを手にしてナポリタンに決めた。 テツはピザを注文したが、暫く待って注文した物が運ばれてくると、パスタもピザも結構なボリュームだった。 食べられるか不安になったが、朝食抜きだったので余裕で食えた。 テツはピザをバクバク食っていたが、食後に2人で珈琲を飲み、デザートにジェラートを食べて店を後にした。 車に乗ったら、テツは今度こそ翔吾の屋敷に向かって車を走らせたが、取り敢えずお礼を言わなきゃ駄目だ。 「テツ、食事、奢ってくれてありがとう、なんか……いつも奢ってもらうばっかしで悪いな、コルセットまで買って貰って……これマジで助かる」 「そんなこたぁいい、それより友也……」 テツは俺の言葉を軽く受け流し、急に真面目な顔をして話しかけてきた。 「ん?」 「親父の事も気にはなるが……、若がまたこないだみてぇに何かするかもしれねぇ、あんまり気にするな」 テツも翔吾が俺達の事を疑ってるんじゃないか? ってそう思ってるみたいだ。 「ああ、うん……、わかった」 翔吾の事はバレないように気をつけるつもりでいる。 「俺はよ、若の事は今でも可愛いと思ってるが、お前に関しちゃ譲るつもりはねぇ」 テツは決心したように言う。 「それって……なんか複雑だ」 「若はいっぺんお前を手放した、だからおめぇは渡さねぇ、俺のものだ」 テツがマジな顔で言うから、俺はどう答えていいか困ったが、そもそもちょっと違うんじゃ? って思った。 「ちょっと待って、渡すとかどうとか……そういうの、おかしいだろ、俺はあんたに自分の気持ちを言ってねぇし、翔吾についても同じだ、考え直すと言っただけで付き合うとは言ってない」 「別におかしかねぇ、パイパンにして、タトゥーを入れてやる、いいな、ケツにハート、俺の名前入りだぞ」 しかし、テツはタトゥーの事を持ち出して言ってくる。 「いやだよ、ハートに名前って……恐ろしくカッコわりぃじゃん、大体さ、名前じゃなくてもかまわないって言ってなかったっけ?」 「気が変わった、やっぱり名前を入れてやる」 「そんな……、印なんか付けなくてもいいだろ? 俺はあんたと付き合ってるんだし」 「駄目だ! パイパンが済んだらタトゥーだ、そのつもりでいろ」 レストランにいた時は普通にしてたのに、俺がすんなり承諾しなかったのがムカついたのか、テツは強い口調で言い放って黙り込んでしまった。 だけど、パイパンやタトゥーはテツが勝手に決めた事だ。 機嫌をとるほどの気持ちにはなれない。 屋敷に着くまで、車内は静まり返っていた。 屋敷に着いたら、いつもと同じように翔吾の部屋に案内されたが、互いに無言のままだった。 「若、友也を連れて参りました」 「ああ、入って」 テツはドアをノックして声をかけ、翔吾はいつもと同じように明るく返事を返した。 「へい、それじゃ、ほら行け」 「ああ、うん……」 テツに背中を押されて部屋の中に入ったら、翔吾は嬉しそうに駆け寄って来た。 「友也、待ってたよ」 いつもと変わりない笑顔を見てほっとした。 「うん」 「座って」 促されてソファーに座ると、翔吾は当たり前のように俺の隣に座り、壁に目をやって掛け時計を見た。 「あ、もうお昼だね、ご飯は食べた?」 時計を見たら12時を過ぎていた。 「あ、ほんとだ、もう12時過ぎか……」 レストランに寄ったせいで時間を食ってしまったらしいが、奢って貰った事を話していいか迷った。 テツは扉の前に立っているが、ちょっとだけ……ちらっとテツを見た。 「友也には、俺が飯を食わせてきました」 すると、テツは翔吾に向かって言った。 「そう、ならいいんだけど、何奢ったの?」 「イタリアンを」 「ああ、前によく行ったあの店?」 「そうです」 「うんわかった、悪かったね、自腹切らせて」 翔吾はテツの話を聞いてごく普通に言葉を返した。 「いえ、大した事じゃありません、友也は若の大事なツレだ、そのくらい当たり前です」 テツもごく普通に答え、2人の会話に違和感を感じる事はなかった。 「うん、ありがとう、あ、そうそう、テツ、親父が呼んでたよ、行ったげて」 こないだのキスはなんだったのか……。 こんな風に勘ぐるのは考え過ぎかもしれないが、あのキスはわざとテツに見せつけたように思えたが、今は2人共嘘みたいに普通にしている。 「分かりやした、それじゃ俺はこれで」 テツは頭を下げて挨拶をすると、俺を一瞥して部屋を出て行った。 これなら変に気を使わなくて良さそうだ。 安心した途端、さっきの会話がちょっと気になった。 「あのイタリアンな店、翔吾も行ってたんだ」 「うん、高3になってめっきり行かなくなったけど、小中学生の時はよく連れて行ってもらった」 「へえ、いいな、俺なんかせいぜいファミレスかハンバーガーだよ、凄い洒落た店だったし、子供にしたら贅沢だよな」 「そうかな? だけどさ、僕には母さんも兄弟もいない、親父も僕が小さい時はゴタゴタしてて、その時々で僕の世話係が入れ替わってた、で、小学生の時にテツがついた、テツはいつも僕と一緒にいてくれた、だから他の子みたいに子供同士で喧嘩したり、遊び回る事はなかったな、テツが連れて行ってくれる場所は大人びた雰囲気の店ばっかしだし……、まぁ、静かでいいけどね」 子供の時からあんな洒落た店に通えるとか、羨ましく思ったが、翔吾はあんまり楽しそうじゃなさそうだ。 むしろ、寂しげな笑顔を浮かべて語っていった。 翔吾は俺よりも遥かに贅沢な暮らしをしてきたんだろうけど、例えどんなに贅沢をしようが、ずっと寂しかったに違いない。 「友也……していい?」 俯いて考えていると、翔吾が肩に手を回して聞いてきた。 「あ、ああ、うん……」 翔吾の寂しさが癒されるなら、キスなんかしれてる。 顔が近づき、目を閉じたら唇が重なってきた。 俺は翔吾の背中をそっと抱いた。 今日はネイビーブルーの開襟シャツを着ている。 撫で回してみると、シルクの滑らかな手触りが心地いい。 翔吾は香水をつけてるらしく、甘い香りが鼻咲を掠めた。 細い指先がTシャツの中に入り込んできたが、俺は優しく啄むようなキスにのめり込んでいった。 俺は……この後に起こる事を期待している。 三上は除外するとして、テツなら期待するのは当然だが、俺は木下に抱かれた時も昂っていた。 ──これって、ビッチって事なんじゃないのか? だとしたらショックだ。 そんなつもりはないのに確実に深みにハマっていく。 自分自身に呆れていると、翔吾はふと手を止めて顔を離した。 「何これ……、腰に何か巻いてる?」 首を傾げて聞いてきたが、俺はそこでハッと気づいた。 「あっ……」 コルセットの事をすっかり忘れていた。 忘れる位、これをつけていたら楽だからだ。 「ああ、コルセット、ぎっくり腰になって」 「ええっ、ぎっくり腰?」 「そう、なんか起きたらいきなりグキッって……」 「ふーん、いきなりなる? 何か原因があるんじゃない?」 翔吾は前に向き直って座り、ニヤついた顔で疑いの目を向けてきた。 「ねーよ、そんなもん……」 「ね、友也」 「ん?」 「もしかして……テツと会ったりしてる?」 ギクッとした。 やべぇ、ストレートに聞いてきた。 「なわけねぇし、なに言い出すんだよ」 即否定したが、やっぱり翔吾は……テツとの事を怪しんでいる。 「いいんだよ、別に……、テツは僕に付いてる側近みたいなものだし、友也が来た時は大抵3人で過ごしてた、テツが友也に惚れたとしても不思議じゃないよ、それで腰をいためたとか……」 翔吾は怒るわけではなく、逆に俺達の事を認めるような言い方をしたが、俺は認めるつもりはない。 「やめてくれよ、それよりさ、今昼時だからアレだけど、親父さんの事はどうするんだ?」 話をガラッと変えて親父さんの事を聞いた。 「親父は……まぁ家にいるんだし、時間に拘る事はないんだけど、一応1時って言ってた」 「1時? あとちょっとだな……」 「座敷まで僕が連れて行くよ」 翔吾がテツと俺の事を疑っている事がわかり、それはそれでマズいと思ったが、それを上回る大きなプレッシャーが襲いかかってきた。 親父さんの座敷は屋敷の奥の方にあるらしく、座敷までは翔吾が一緒に行ってくれるが、あとは親父さんと2人きりで会わなきゃならない。 俺は落ち着かない気分だったが、無情にも時はすぎていく。 あっという間に親父さんと対面する時がやって来た。 「友也、そろそろ行こっか」 やっぱり……ひとりで親父さんと会うのは無理だ。 「あ、あのさ……、翔吾一緒に居て」 翔吾に頼んだ。 「駄目だよ、親父、2人きりでプレゼント渡したいって言ってるし、やだなー、そんなにビビらなくても大丈夫だよ、今日は羽織袴は着てないから」 俺は厳つい羽織袴姿よりも、密室で2人きりというのが怖かったんだが、翔吾は駄目だと言う。 「わかった……、じゃあテツは?」 だったらせめてテツを……と思ったが……。 「もう、往生際が悪いなー、気楽に肩の力を抜いて、ただの爺さんだって思い込むの、いい?」 儚い願いは、翔吾の言葉と共に儚く消え去った。 「わ、わかった……」 翔吾に導かれて奥の座敷へ行く事になり、俺はめちゃくちゃ行きたくなかったが、諦めて翔吾の後について歩いた。 「親父ぃ、連れて来たよ」 親父さんの座敷前にやって来たら、翔吾が障子越しに声をかけたが、俺は緊張してガチガチに固まっていた。 「おお、来たか、遠慮はいらん、入れ」 親父さんの声がして、ウェルカムな声色で言ってくる。 「んー、わかった」 翔吾は怠そうに返事を返して障子を開けた。 俺は翔吾の後ろに隠れるようにして立っていたが、挨拶しなきゃ失礼だと思って、勇気をだして翔吾より前に踏み出した。 「あ、あの、石井友也です……、お久しぶりです」 親父さんに向かって頭を下げて挨拶したが、緊張してついフルネームを口にしていた。 「はははっ、堅苦しいのは無しだ、ほら、座布団に座れ」 親父さんは立ち上がって座布団を取り、座卓の手前に置いて手招きする。 「はい、すみません……」 組長さんに座布団を差し出されるとか、恐縮するなんてものじゃなかった。 俺はガチガチに固まった状態で座布団に正座した。 「んじゃ、僕は外すね、パパぁ、あんまり友也をイジメないでよ、ふふっ」 すると翔吾は親父さんの事をパパと呼び、俺は初めて聞く呼び方に驚いたが、それよりも翔吾が言った『イジメないで』という言葉に顔が引きつった。 「バカを言うな、全くしょうがない奴だ」 障子が閉まる音がして翔吾はいなくなり、親父さんはぶつくさ言っていたが、俺は顔を上げる事が出来ずにいた。 「友也君」 「はい」 「足を崩せ、正座は辛いだろう」 「はい」 親父さんは足を崩すように言ってきて、俺は言われた通りに足を崩して座ったが、あぐらをかくわけにはいかず、女座りみたいになった。 「君に貰った髭剃り、あれで毎日髭を剃ってるがよく切れるいい髭剃りだ、わしは嬉しかった、翔吾にいい友達が出来た上にわしに贈り物までしてくれるとは、なあ、見てくれ、今日は普通の格好をしてみたんだ」 親父さんは嬉しそうに語って自分を見るように言う。 「あ、はい……」 顔を上げて親父さんを見たら、灰色の地味なジャージ姿だった。 「どうだ? ただの爺さんだろ?」 にこやかに微笑んで聞いてきたが、確かに厳つい雰囲気は和らいだように感じる。 少し肩の力が抜け、何気なく親父さんの後ろに目をやれば、掛け軸の横に大小2本の刀が飾ってあった。 それを見てまたびびったが、びびってばかりいたら親父さんに対して悪い。 「は、はい、そうですね」 無理矢理笑顔を作って返した。 「おお、そうだ、君がフルネームを名乗ったのに、わしが名乗らないと不公平だな、わしは霧島信春という名だ、ジジイらしい古臭い名前だろ?」 親父さんは自分の名前を名乗り、卑下するように言う。 「あ……、いえ」 ずっとニコニコしてるが、本当に嬉しいのか、それとも俺が緊張してるからそれをほぐそうとしているのか、その辺はよく分からない。 「何か飲むか?」 親父さんは気を使って言ってきたが……。 「あ、いえ、そんな……いいです」 組長さんに飲み物を出して貰うのは気が引ける。 「まあ、そう言うな」 けれど、親父さんは立ち上がって隣の部屋へ歩いて行った。 座敷は8畳位ある部屋が二間になっていて、間は襖で仕切られているが、親父さんは開け放した襖の裏側にしゃがみ込んだ。 「ここにな、小さい冷蔵庫を置いてあるんだ、何がいい?コーラか、珈琲か?」 そのまま俺に向かって聞いてきたが、答えていいものなのか迷った。 「あっ、いや……あの」 「わしはな、この緑茶が気に入っとる、いちいち下の奴らに頼むのは面倒だからな、ここにペットボトルを入れておけば、いつでも飲める、いい考えだろ?」 親父さんは片手にお茶のペットボトルを持ち、体を傾けて襖から顔を覗かせると、俺を見て得意げにニヤリと笑ってみせる。 「はい、そうですね」 組長らしからぬひょうきんな仕草に、自然と笑顔が零れていた。 「で、何がいい?」 「あっ、じゃあコーラを」 もう一度聞かれ、今度はすんなり返事を返した。 「ほら、どうぞ、飲んでくれ」 「はい、すみません、いただきます」 立ち上がって親父さんのそばへ行き、コーラのペットボトルを受け取ったら、緊張感が一気に薄らいでいった。 「そうそう、君は矢吹とも親しくしてるんだな?」 俺が元の場所に座ったら、親父さんは座卓を挟んで俺の前に座り、緑茶のペットボトルを座卓に置いてテツの事を話す。 「あ、はい……」 「まぁ、あいつには翔吾の面倒を任せているからな、親しくなるのは当たり前か、矢吹はな、まだ若い頃にわしのところへ来たが、ちょいと訳ありでな、あのまま潰すには惜しい男だった、今となれば、あいつに翔吾を託したのは正解だったと言えるだろう、とは言っても……翔吾は相変わらず我儘なところがあるが、友也君、どうかあの子に愛想を尽かさず、これからも仲良く付き合ってやってくれ」 なにを言うのかちょっとドキドキしたが、俺の知らない、テツがまだ若い頃の話だった。 訳ありだと言ったが、ヤクザだし、何か事情があっても不思議じゃない。 また、親父さんは翔吾の事を心配しているようだが、俺は翔吾の事を友達として大切に思っている。 それよりも俺の方こそ、翔吾には世話になりっぱなしだ。 「いえ、そんな……、翔吾にはいつもよくして貰って……、なんか申し訳ないです」 「君は律儀な子だ、うちに来て不便な思いをさせるわけにはいかんからな、そんな事は気にしなくていい」 「あ、はい……」 親父さんは有り難い事を言ってくれる。 それに、こうして実際話をすると、見た目とは違って気さくで話しやすい人だった。 俺は『組長』という肩書きにこだわって、びびり過ぎていたようだ。 「おお、そうだ、あれを渡しておこう」 親父さんは思いついたように言うと、立ち上がって後ろへ歩いて行き、床の間の刀の前にしゃがみ込んだが、直ぐにまた立ち上がって俺の前に戻って来た。 「さ、わしからのプレゼントだ、受け取ってくれ」 目の前に差し出されたのは、綺麗にラッピングされた小さな箱だ。 例のお返しのプレゼントらしいが、俺が親父さんに渡したプレゼントはテツから貰った金で買った物だし、お返しなんか貰ったら悪い。 「あの、そんな事をして貰ったら……本当に申し訳ないので」 「君の為に用意したんだ、わしに恥をかかせるつもりか?」 だが親父さんは、さっきとは打って変わって鋭い眼光で睨みつけてくる。 以前寺島が、いっぺん出した物を引っ込めるのは恥だとか言っていたが、やはり出された物は受け取らなければならないようだ。 「あっ、いえ……とんでもないです、分かりました、あの、じゃあ……ありがとうございます」 プレゼントの箱を受け取った。 「開けてみなさい、君がつけてるところを見てみたい」 「あ、はい」 親父さんに促されて箱を開ける事になり、包装紙を丁寧に取り除いて箱をだした。 「気に入るといいが」 更にその箱を開けて出てきたのは、アクセサリーなんかが入ってるような高級感漂う入れ物だ。 こんな豪勢なプレゼントを貰ったのは初めてで、また緊張してきたが、親父さんが見守る前で蓋を開けていった。 「あ……、これは……」 中に入っていた物は、パッと見腕時計のGショックに見えたが、よく見たら……ロレックスと入っている。 「あの、これって超高い時計なんじゃ?」 まさかロレックスが入ってるなんて、ぶったまげた。 「どうだ、気に入ったか?」 親父さんは満面の笑みで聞いてきたが、この手の物に疎い俺でも、この腕時計がどんだけ高価か知っている。 いくらなんでも……これにはマジでびびった。 1万ほどの髭剃りのお返しに、100万……いや200万かもしれないが、そんな高価な物を頂くのはあまりに不釣り合いだ。 「こんな高い物を頂くわけには……」 できるだけ気に障らないように遠慮がちに言った。 「さっき言った筈だ、わしに恥をかかせるんじゃねぇ、なあ友也君よ、黙って受け取るんだ」 しかし、親父さんはまた睨みつけて言ってくる。 こんな高価な物でも、やっぱり受け取らなければいけないらしい。 「あの……、はい、わかりました、ありがとうございます」 俺は分不相応な腕時計を頂く事にして、頭を下げて御礼を言った。 「どれ、わしがつけてやる、手をだしなさい」 「あっ、は、はい」 親父さんに言われて左腕を座卓の上に差し出したら、親父さんは俺の腕を掴んで時計をはめてくれた。 「ちょっと大きいか? まあ、この位ならじきにちょうどよくなるか」 シルバーと黒を基調とした腕時計は、ロレックスのスポーツタイプに見えるが、恐らく値段を聞いたら卒倒するに違いない。 手首に巻かれると、ひんやりとした金属が直接肌に触れ、たかが腕時計なのにズッシリとした重みを感じる。 「うむ、悪くない、どうだ? いいだろう」 親父さんは手を離そうとはせず、時計をつけた腕をしげしげと見て聞いてきた。 高校生の俺には似合ってるとは思えなかったが、親父さんからの贈り物にケチをつけるとか、そんな事はあってはならない事だ。 「はい、本当に……ありがとうございます」 「そうか、それなら良かった」 もう1度御礼を言ったら、親父さんは満足したように頷いたが、ひとこと返して俺の腕をぐいっと引っ張った。 「え……、わっ!」 脇に置いたペットボトルが足に当たって倒れたが、蓋を開けてなかったので中身は零れずに済んだ。 「翔吾が成長して、こんな風に触る事がなくなった」 親父さんは懐かしむように呟いて、座卓の上に置かれた俺の手や腕を撫で回す。 香水の甘い匂いが鼻を掠めたが、翔吾と似通った匂いだ。 俺は冷や汗が噴き出してきた。 「あ、あの、すみませんが……、手を」 ひとこと詫びて腕を引っ込めようとした。 「駄目だ、友也君、こっちへ来い」 だが、親父さんは手を離すどころか、高圧的に言ってくる。 「いや、でも……」 1番恐れていた事が現実となりつつある……。 「手荒な真似をするつもりはない、さ、そばに来るんだ」 行けば何をされるかわからないが、行かなくても同じ事だろう。 「あ、あの……、はい……」 傍に行くしかない。 親父さんは俺の腕を離し、俺は親父さんの隣に行って座った。 「わしはな、可愛い子には目がないんだ」 親父さんは翔吾のお父さんだけど、やっぱり組長さんだ。 俺は抱き寄せられてしまい、抵抗できずにいたが、親父さんもがっつりバイ・セクシャルなんだと思った。 付き合ってる人がいると聞いて安心していたが、そんなのは関係ないらしい。 体を硬直させてじっとしていると、親父さんは顔を近づけてきた。 翔吾のお父さんにキスされるなんて、さすがにそれは嫌だ。 「あの、すみません、そういうのは俺、無理です」 怖かったが、勇気を出してハッキリと言った。 「どうしても駄目か?」 「あの、はい……、俺から見れば……あくまでも翔吾のお父さんなんです、どうかそういうのは勘弁してください」 「そうか、だったらハグくらいならいいだろう、な、それならどうだ?」 親父さんは俺をギュッと抱き締めて聞いてくる。 時計なんか貰ってしまったし、ハグだけ……と言われたら断われない。 「はい、構いません」 「それとな、またわしに会いに来てくれんか? 約束しろ、じゃねぇと離さねぇぞ」 再び会うとか、不安だらけだったが、威圧感たっぷりに言われたら承諾するしかなかった。 「分かりました…、約束します」 「よし、いっぺん約束した事は必ず守れよ、分かったな?」 「はい」 念押しされて頷いたが、親父さんは俺を全然離そうとしない。 そろそろ離して欲しかったが、突き放すわけにもいかないし、困ってしまう。 「パパ、もういい?」 ひたすら我慢していると、廊下の方から翔吾の声がした。 ──助かった。 「おお、いいぞ」 親父さんは俺を離して座り直し、俺も慌てて向かい側に戻ったが、その直後に障子が開いて翔吾が座敷に入ってきた。 「ん、ペットボトル? やだなー、貧乏臭い」 翔吾は足元に転がるペットボトルを拾い上げ、呆れたように言った。 「はははっ、冷蔵庫から出すだけだからな、確かに貧乏臭いが、簡単だ」 親父さんは何事も無かったかのように笑顔で話しているが、俺は2人から目をそらし、俯いて畳を見ていた。 「友也を連れてっていいよね?」 翔吾は俺の直ぐ側にやって来て親父さんに問いかける。 「おお、構わん、わしはもう少し話がしたかったが、またの機会にする」 親父さんは包装紙と箱を自分の脇へやりながら答える。 「へえ、友也と約束でもしたの?」 翔吾は普通の顔をして親父さんに聞いたが、父親にそんな事を聞くのはなんか変な感じがする。 「おお、した、友也君、懲りずにまたわしの話し相手をしてくれるか?」 親父さんは翔吾に答えた後で俺に聞いてくる。 「はい、あの、今日は……プレゼントを頂いて、ありがとうございました」 俺は返事を返し、時計を貰った御礼を言ったが、この親子は……どこか普通の常識から外れているような気がした。 「ふーん、パパー、友也に何か悪さをしたりした?」 翔吾は親父さんに向かって、通常なら絶対聞かないような事を平然と聞く。 「いいや、わしは何もやっとらんぞ」 親父さんは思いっきりとぼけた。 「本当かなー」 「本当だ」 「まあ、いいけど、ふふっ……、友也、行こ」 翔吾はまだ疑ってるようだったが、それ以上問い詰める事はなく、楽しげに笑って促してくる。 「ああ、うん、あの……お邪魔しました」 俺は親父さんに挨拶をして立ち上がり、座敷を出る前に、もう一度親父さんに頭を下げて座敷から出た。 廊下に出たら緊張感が解けてどっと力が抜け、無言で翔吾の斜め後ろについて歩いた。 「親父にロレックス、貰ったんだ」 翔吾は俺の腕を見て言ってきた。 「あ、ああ……」 こんな高級な物を半ば無理矢理貰ったが、なんとなく恩を着せられたようで、正直素直に喜べない。 「良かったじゃない、くれるっていう物は貰わなきゃ損だよ」 「ああ、そうだな……」 翔吾は屈託もなく話しかけてくるが、俺は親父さんに抱き締められた事がショックだったし、また会わなきゃいけないのかと思ったら気が重くなり……上の空で返事をしていた。
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