21Blue(火野、寺島、姉貴)

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21Blue(火野、寺島、姉貴)

◇◇◇ 翔吾は親父さんの事を遊び好きだと言ったが、そもそも親父さんはヤクザの組長さんだ。 世間一般の常識から逸脱した世界にいる人だった。 無意識にソファーに座ったら、翔吾が隣に座ってきたが、翔吾もその辺の感覚がズレてる。 「やけに落ち込んでるね、親父に何かされた?」 「いや……、別に」 翔吾は心配して聞いてきたが、言えなかった。 親父さんは翔吾にとっては父親だ。 親父さんだって、翔吾の事を息子として大切に思っている。 ヤクザで一般人とは感覚がズレてるとしても、親子の絆は一般人とおんなじだと思う。 だから、話せない。 「若、邪魔していいですか?」 ノックの音がしてテツの声がした。 「あ、うん、構わないよ、どうぞ」 翔吾が返事を返したら、テツが部屋に入ってきた。 「座ったらいいよ」 「はい、では失礼して、ん、友也、その時計は……」 何となく顔を合わせづらくて目をそらしていたら、テツは腕にはめた時計に気づいて聞いてきた。 テツはいつもそういう事には目ざとく気づく。 「ああ、親父がプレゼントのお返しに友也に」 「そうですか、時計を……」 俺が説明する前に翔吾が言ったが、テツの目は時計にくぎ付けになっている。 「友也、ちょっと見せてみな」 「あ、うん……」 何気なく俺の隣、翔吾とは反対側に座って、俺の腕を掴んで時計をじっくりと見た。 「やっぱりロレックスか、随分奮発したものだな」 テツも驚いたらしい。 「俺、こんな高い物は……って遠慮したんだけど……」 「気にしない気にしない、元から持ってた物かもしれないし、そんな大した物じゃないよ」 「そういやそうだな、若が言った通り、親父は時計位いくつも持ってる、貰い物なんか新品のまましまいこんでたりするからな、友也、気にするな、有難く貰っとけ」 翔吾がなんでもない事のように言うと、テツも大した事じゃないように言って頷いた。 「貰い物?」 「おお、たかが高校生にわざわざ新品買って渡すか? 貰い物じゃねぇか? まぁどのみち新品にはかわりねぇ」 確かに、親父さんなら立場上そういう物を貰う機会があるだろう。 貰い物だとしたら、ちょっと気が楽になった。 「そっか……、それならまだいいかも」 「そうそう、友也、たかが時計くらいで考え過ぎ、それよりさ、こんなペットボトルじゃあれだから……美味しい珈琲ご馳走するよ」 翔吾は時計の事をさらっと流し、テーブルの上のコーラのペットボトルを見て言ったが、翔吾はあの時俺が倒して転がしたやつを持ってきていた。 「あ、若、じゃあ、俺が行きます」 「いい、僕が自分で煎れたいの、テツは座ってて」 「そうですか……、分かりました」 「じゃ、ちょっと行ってくるね」 テツは自分がやると言ったが、翔吾は自ら珈琲をいれたいようだ。 その気遣いは嬉しいが、テツは俺の隣に座っている。 翔吾はテツの事が気にならないんだろうか? 謎だ……。 翔吾は今ひとつ掴みどころがない。 「ありがとう」 俺が礼を言ったら直ぐに部屋から出て行ったが、翔吾が居なくなったらテツが話しかけてきた。 「な……、おい、親父に何かされたのか?」 声を潜めて聞かれ、話そうかどうか迷った。 「その……」 「何か様子がおかしいと思ったら、やっぱり何かあったんだな? 言え、何をされた」 テツに聞かれたら、我慢していた気持ちが一気に溢れ出してきた。 「抱き締められた」 「それだけか?」 俯いて答えると、テツは顔を覗き込んで聞いてくる。 「あの、キスされそうになったけど、それだけは拒否った」 正確には顔が近づいてきただけだし、100パーセントキスされたとは言えないが、あの雰囲気は多分そうだと思う。 「そうなのか……やっぱりな、親父も懲りねぇな、俺はな、前にお前に脅すような事を言ったが、ありゃ半分冗談だ、若の友達なら手ぇ出す事はねぇと思ったんだが……」 テツはいつも馬鹿な事ばっかし言うから、あの時も俺をビビらせて面白がっていたようだ。 「これからも、呼ばれたら……会うって、約束した」 「え、それでその時計か……」 心配そうに聞いてくるし、テツは親父さんにも気に入られてる。 なんか……頼りたくなった。 「テツ、どうしたらいい?」 「ちょっと待て……、そうだな……どうするって、そりゃその……こりゃ参ったな」 テツは珍しく動揺して考え込んでいる。 しばらく沈黙が続いたが、そうするうちに翔吾が戻ってきた。 「お待たせー」 「あっ、若、俺が……」 「うん、ありがと」 テツは直ぐに立ち上がり、翔吾からお盆を受け取ると、珈琲カップを俺達の前に置いていった。 それから後は……。 翔吾の前で親父さんの話ができるわけがなく、いつも通り3人で楽しく過ごした。 翔吾が煎れてくれた珈琲を飲んでいると、翔吾は学校の話題を振ってきたので、その話題で盛り上がっていたが、珈琲を飲み終えた時にテツの携帯が鳴って、テツは翔吾に挨拶して部屋から出て行った。 テツが居なくなったら途端に不安になってきたが、翔吾の前で落ち込んだ顔を見せるわけにはいかない。 俺は可能な限り親父さんの事から意識をそらした。 「あ、そう言えば、堀江って言ったっけ? あの子がさ、おかしな事を言ってた、友也が柔道の師範と一緒にいたって」 すると、翔吾は不意に堀江の事を口にする。 「え……?」 マズい……。 堀江、あいつ……余計な事をペラペラ喋りやがって。 「レクサスに乗ったカッコイイお兄さんで、確か……町外れのコンビニって言ったかな、友也、それってテツじゃない?」 俺は翔吾の言葉に激しく狼狽えたが、翔吾と堀江は日頃全く付き合いのない仲だ。 こうなったら……駄目元で素知らぬふりを貫くしかない。 「何言い出すんだよ、違う……、あいつはさ、おねぇ予備群だし、チャラチャラ遊んでばっかいる、変な事ばっかし言うし、幻でも見たんじゃね?」 「うん、まあ、ちょっと変わってるのは僕も知ってる、あの子さ、僕の事を仲間だって言うんだ、まったく……冗談じゃない、オカマと一緒にされちゃ困る、僕は……確かに恋愛対象は男だけど、女になりたいわけじゃないし、あいつとは違う、友也もそう思うよね? あんな奴とおんなじだとか、思わないよな?」 翔吾は不貞腐れた顔で超不満げに聞いてきたので、これはラッキーだと思った。 「うん、だよな、勝手に仲間認定するのは失礼だよ、あんな奴は相手にしない方がいい」 堀江を遠ざけるようにさりげなく誘導してみた。 「うん、そうする、腹立つんだよ、ほんと」 翔吾は堀江に相当ムカついてるらしく、テツとの事もそれ以上追求してこないし、どうやら上手くいきそうだ。 ホッとして胸を撫で下ろしたら、ドアをノックする音がした。 「若、火野です、お邪魔していいですか?」 テツかと思ったら、意外にも火野さんだった。 俺がいる時に火野さんが来るのは初めてだ。 「あっ、源ちゃん、いいよ、入って」 翔吾は部屋に入るように促した。 「失礼します」 ドアが開き、火野さんは頭を下げて挨拶したが、俺に気づいてハッとした顔をした。 「おっ、友也、来てたんすね、邪魔しちゃ悪いっすね、失礼しやした」 火野さんは慌てて立ち去ろうとする。 「いいんだよ、構わない、賑やかな方がいいし、ほら、座って」 翔吾は不意の訪問を歓迎しているようだ。 「あ、じゃあ、失礼します」 火野さんは遠慮がちに部屋に入ると、俺達の向かい側に座った。 「あの、ちょっとだけお久しぶりです」 俺は頭を下げて火野さんに挨拶した。 「おお、元気にしてたか?」 「はい」 火野さんは俺にとっては唯一カタギに近い人だし、この人は信用できる。 「珍しいね、源ちゃんが来るの」 翔吾が言うように、本当に珍しい。 「ああ、ちょいと親父に呼ばれまして」 親父さんに呼ばれたって、一体なんだろう? 俺にはわからないが、組絡みの事だろうし、そこは知らない方が良さそうだ。 「叱られたの?」 「いいえ、まさか……、ま、色々と」 火野さんは口を濁したが、やっぱり何かヤバい話をしてきたらしい。 「そっか、だよね、源ちゃんが叱られるわけないし」 翔吾が言葉を返したら、またドアをノックする音がした。 「若、入りますよ」 テツだ……。 電話が済んで戻ってきたらしい。 「うん、どうぞー」 名刺の件があるし、今テツと火野さんが顔を合わせるのは……マズいような気がする。 「あっ、てめぇ火野」 思った通りテツは部屋に入るなり、火野さんを見て顔色を変えた。 「兄貴、邪魔してます」 火野さんは頭を下げてテツに挨拶する。 「ったくよー」 テツは不貞腐れた顔をして火野さんの隣に座ったが、火野さんは何故テツが不機嫌なのか知る由もない。 「兄貴、どうかしましたか?」 キョトンとした顔をしてテツに聞いた。 「なんでもねー」 テツは屈み込んで膝に手を置くと、一言返して火野さんから顔を背けた。 さすがにこの場で名刺云々を持ち出して、火野さんに文句を言う事はないだろう。 「源ちゃん、まだ帰らないんでしょ?」 「ああ、ま、急ぎの用は特にありません、たまには若に挨拶しなきゃと思いまして」 火野さんは翔吾に気を使って顔を出したようだ。 「そっか、じゃあさ、源ちゃんはテツと違って家に帰るんだし、帰る時についでに友也を送ったげて」 翔吾は思いついたように火野さんに言ったが、そう言えば、火野さんはテツみたいに屋敷に住んでるわけじゃない。 「えっ……!」 それを聞いてテツが驚いた顔をして声をあげた。 「テツ、どうかした?」 翔吾は怪訝な表情をしてテツに聞いた。 「いえ……」 テツは顔色を曇らせて返事をすると、翔吾から目をそらした。 「源ちゃんいい?」 「はい、俺は構いませんぜ、なあ友也」 火野さんは快く承諾して俺に声をかけてきた。 「あ……、はい、すみません、ありがとうございます」 多分、三上の件で俺の事を気にかけてくれてるんだろうが、テツがいるし、今はあんまり話をしたくない。 「いいんだよ、遠慮はいらねぇ」 取り敢えず頭を下げて御礼を言ったら、火野さんは笑顔で返してくる。 「くっ……」 テツは両手で膝をギュッと握り締め、吊り上がった眉をピクリと動かした。 「テツ、やけに機嫌悪そうだね」 「い、いいえ、そんなこたぁありませんよ、俺は今、すこぶる気分がいい」 翔吾が声をかけると、顔を上げてなんでもないフリをしたが……まるで能面のような顔になっている。 全く誤魔化せてないんだが……。 「ふーん、そのわりには顔が厳しいね」 「なっ……なにを仰いますか、こうして火野と4人で顔を合わせる事は滅多にねー、たまにはいいんじゃねーですか」 案の定、翔吾に突っ込まれたが、わざとらしく火野さんの方へ向き直って、心にも無い事を口にする。 「うん、いいねこういうの、賑やかで……まるで家族みたいだ」 翔吾はそれ以上突っ込んで言う事はなく、笑みを浮かべて呟くように言った。 「何を言ってるんです? 若、俺らは家族だ、姐さんは居なくとも、親父を柱とした家族だ」 テツは急に体を起こすと、背筋を伸ばして真面目な顔で断言する。 「ああ、そうだ、兄貴の言う通りだ、俺らにゃ血の繋がりより強い絆がある、でしょう若?」 火野さんもテツの言った事に同調し、翔吾に問いかけた。 「うん、そうだね、忘れてた……、僕達は家族だよね」 翔吾は2人の言葉を聞いて嬉しそうにしていたが、カタギの俺は3人の会話には入れなかった。 大体、俺はテツの素性をよく知らない。 火野さんもだが、知っているのは翔吾の事位だ。 考えてみれば、テツは自分の家族の話をした事がない。 17、8才で既に組事務所に出入りしていたようだし、家出でもしていたんじゃないかと思われる。 テツにとって親父さんは、ある意味本当に親父なんだ。 だから、さっき俺が親父さんの事を話した時に動揺した。 きっと、とんでもなく複雑な心境に違いない。 それからたわいもない話をして過ごしたが、テツと火野さんは電話がかかる度に部屋を出て行った。 俺が居たら話しづらい内容なんだろう。 日が暮れかけた頃に送って貰う事になり、門の外まで翔吾とテツが見送りに来てくれた。 俺は火野さんの車の助手席に乗っていたが、テツは仏頂面をしている。 但し、何か言いたげに俺に目配せした。 きっと後で連絡するとでも言ってるんだろう。 翔吾はまた電話すると言って笑顔で見送ってくれた。 俺は火野さんの車に乗って翔吾の屋敷を離れたが、何を話せばいいか分からず、ずっと黙っていた。 「友也、おめぇ……兄貴と付き合ってるだろう」 すると火野さんの方から話しかけてきたが、いきなりテツの事を聞かれて言葉に詰まった。 「あの……」 「安心しろ、俺はおめぇの味方だ、カタギの高校生をうすぎたねぇ界隈に引っ張り込むのは、俺のポリシーに反する、それでおめぇの事が気になってるだけだ、他言する事はねー、それに……ちょいとポリシーからは外れるが、相手が兄貴なら反対しねぇよ、そうなんだな?」 火野さんは俺の事を心配してるから、敢えて立ち入った事を聞いてくる。 テツとの事も反対しないと言ったし、この人には打ち明けても大丈夫だろう。 「はい……、付き合ってます」 「で、三上は……ありゃなんだ? 何故付き合わされてる」 迷いはあったが、テツの事をバラしたんだ。 思い切って話してみようと思った。 「テツとの事を翔吾にバラすと脅されて……、それで仕方なく」 「脅されてるのか……、しかし、若も絡んでるのか……若にバレてマズいって事は、若もおめぇと付き合ってるのか?」 「いえ、正式に付き合ってるわけじゃ、あの、すみません……、これ以上は話せません」 ここまでは話したが、俺は三上にウリをやらされた。 しかも、相手は木下という他の組の人間だ。 あまり詳しく話すと、事が大きくなる可能性がある。 これ以上明かすのは無理だ。 「いや、ちょっと待て……、そこまで聞いてこのまま見過ごせというのか? 今聞いた事から推測したら……一番悪い奴は三上だ、俺がカタをつけてやる」 「えっ、カタをつけるって……」 火野さんは正義感が強いらしく、いきなり過激な事を言い出した。 「心配するな、奴は叩けばいくらでも埃が出る、ヤキを入れる理由にゃ不自由しねぇ」 三上が最低な奴なのは十分わかってる。 俺が全てをバラして綺麗さっぱり問題が片付けば、これ程ありがたい事はないし、俺も救われるだろう。 けれど、それは出来ない。 「待って下さい! お気持ちは有り難いと思ってます、ですが……これは俺の問題です、どうかこれ以上立ち入るのは勘弁してください」 火野さんのアドバイスを聞いてテツとの事を考えたが、その結果、俺はやっぱり普通の高校生には戻れないんだと分かった。 だから、火野さんの厚意だけ有り難く受け取りたい。 「おめぇ、三上との事でまだ何か隠してる事があるな? 話してみろ」 翔吾は火野さんの事を堅物だと言ったが、俺は今それをハッキリと実感した。 火野さんは自らのポリシーを貫こうとする。 ただそれだけじゃなく、俺の事も本気で心配してくれてるようだが、元々は三上がやらかした事だとしても、もしテツにこの事がバレたら……テツは三上共々、木下も許さないだろう。 あの木下という人は、確かに俺を買った人間だけど、俺の事を気にかけてくれた。 それに他の組の人間と諍いを起こす事になれば、抗争に発展しかねない。 「何もありません、お願いします……頼むから忘れて下さい!」 「そうか……分かった、お前がそこまで言うなら….…今回は無しにするが、今聞いた事は無しにはできねー、ひとまず、おめぇの携帯番号を教えろ」 火野さんは諦めてくれたが、電話番号を教えろという。 「あの、それは……」 あまり密に関わるのはマズいし、出来れば教えたくなかった。 「言わねーと、三上をシメるぞ」 「わ、分かりました、言います……」 けれど、半ば脅されて携帯の番号を教えた。 気まずくなってしばし沈黙が続いたが……。 「じゃ、何か食いに行こう」 火野さんはガラッと話題を変えて食事に誘ってきた。 「えっ?」 俺は呆気にとられた。 「行きつけの店がある、そこに連れて行ってやる」 火野さんはさっきまで険しい表情をしていたが、今は嘘みたいに穏やかな表情をしている。 「あ、いえ、そんな悪いし……」 「今19時だ、まだ大丈夫だろ?」 「はい、時間は大丈夫です」 「そうか、よし、決まりだ」 奢って貰うのは悪いと思ったが、結局お言葉に甘えて連れて行って貰う事にした。 火野さんが連れて行ってくれたのは、割烹料理の店だった。 こじんまりとした店だが、こんな和風の小洒落た店に来たのは初めてだ。 カウンター席に座ったが、マナーとかそんなものがわかる筈がない。 火野さんにお任せして、小皿で1品ずつ出される料理を食べた。 「火野さん、今日は可愛らしいお連れ様とご一緒なんですね」 「おお、珍しいだろ、俺はいつもひとりだからな」 「たまには宜しいじゃないですか」 「そうだな、若い奴はいるにはいるが、俺はそういう付き合いは苦手だ、わけぇ衆にゃケチで通ってるだろうよ、ははっ」 店の女主人が笑顔で話しかけると、火野さんは苦笑いを浮かべて答えていた。 食事が済んだら店を出て駐車場へ歩いて行ったが、ちょうど車が見えてきた時に、後ろから声をかけられた。 「兄貴、火野の兄貴じゃありませんか」 聞き覚えのある声を聞いて嫌な予感がしたが、火野さんと共に足を止めて振り向いたら、そこには寺島が立っている。 「んん、友也?」 寺島は眉を顰めて俺を見た。 「あの……」 悪いことは何もしてないが、咄嗟に言葉が出てこなかった。 「寺島、さっき親父に会ってきた、たまたま友也がいたから今送って行くところだが、ついでに飯を食わせてやろうと思ってな」 火野さんが代わりに説明してくれた。 「ああ、そうでしたか」 「おめぇはここで何をしている、もう地回りは済んだのか?」 「俺はその……ちょいと野暮用で……、今から回るところです」 「なるほど……女か」 「へい、まあ、そんなとこでさ、ははっ……」 「そうか……、ま、しっかりやりな」 「へい、それじゃ俺はこれで……」 寺島は駐車場の横を通り過ぎて行ったが、俺は寺島の背中を見送りながら憂鬱になった。 テツを崇拝する寺島は、この事を必ずテツに報告する筈だ。 ただでさえ火野さんに疑いの目を向けているのに、火野さんに食事をご馳走になった事をテツが知ったら……。 想像しただけで面倒だ。 車に乗ったら、火野さんは当たり障りのない話をしてきた。 家の前に送って貰うわけにはいかないので、いつもの場所まで送って貰う事にした。 見慣れた場所に到着して時計を見たら、午後21時を過ぎている。 時間はいいんだが、この腕時計を家族に見られるのはマズい。 手首から外していると、火野さんが時計を覗き込んできた。 「友也、その時計……兄貴に貰ったのか?」 「いえ……」 「じゃあ……三上は有り得ねーし、若か? いや、しかし……いくらなんでもそんな高価な物を……、誰に貰ったんだ?」 「すみません……それはちょっと」 火野さんの質問には答えたくなかった。 こんな高価な物を親父さんに貰ったとか言ったら、変に勘ぐられそうだ。 「教えろ、絶対に誰にも言わねぇと約束する、おめぇ、まだ俺の事を信用してねーのか?」 けど、信用してないのか? というセリフが胸に突き刺さり、気持ちが揺らいだ。 「いえ、そんな事は……、あの、親父さんに」 今のところなにもやましい事はないし、貰った事を打ち明けた。 「えっ……親父に? おめぇまさか……親父とも何かあるのか?」 火野さんは驚いた顔をして、俺が危惧したように勘ぐってきたが、もう本当にこれ以上は話せない。 「ないです、すみません……」 急いで時計をバックに入れて逃げるように車を降りた。 「あ、おい……、分かってるよ、そんなに慌てなくていい」 火野さんは窓を開けて苦笑いしながら言ったが、俺は色々と詮索されたくなかった。 「あの、食事までご馳走になって、ありがとうござ……、ん?」 火野さんに向かって頭を下げ、御礼を言いかけたら……背後から誰かが走ってくる気配を感じた。 気になって振り返ってみると、女性らしき人物がそのまま突っ走ってきて俺を突き飛ばし、火野さんの車の窓枠にしがみついた。 「うわぁ!」 俺は転けそうになったが、かろうじて持ち堪えた。 「ちょっとあなた!」 一瞬の出来事で何が起きたのか把握出来なかったが、よろつきながら車の方を見たら、窓枠にしがみつく女性は……姉貴だった。 「あ、姉貴!」 「ん? なんなんだ」 火野さんは唖然としている。 「あの、今友也が車から降りて来ましたよね? あなたは友也のお友達の……お兄さんですか?」 姉貴は火野さんに向かって不躾に問いかけた。 「姉ちゃん、何やってるんだよ、やめろって……」 「友也いい、構わねー、どうやら君は友也の姉さんらしいが、人にものを尋ねる前にまず自分が名乗るのが礼儀だぞ」 慌てて姉貴を止めたが、火野さんは落ち着き払った様子で言う。 「あ、そう……ですね、すみません……、私は友也の姉で石井舞といいます、友也の帰りが遅いから……心配になって」 「そうか、今日は送り届けるついでに食事に連れて行った、これで安心したかな」 火野さんは友達の兄だとかそこら辺はハッキリ言わなかったが、いかにもそれらしい雰囲気で話す。 「はい、分かりました、弟がお世話になりました」 姉貴は火野さんの説明を聞いて納得したらしい。 俺は上手く誤魔化せそうだと思って安心した。 「でもあの……失礼ですが、御職業は一体何を……、あの、私はペットショップ勤務です」 だが、姉貴は火野さんの風貌を見てヤバい人間じゃないか? と、疑いを抱いたらしい。 例のスーパーで見られた件があるからだろう。 「姉ちゃん、いくらなんでも失礼だろ……」 確かに、火野さんはそれらしいスーツを着てるし、カタギの人と比べたら目つきも鋭い。 そんな人を相手に……よく恐れもせずに聞けるものだと呆れた。 「自由業だ」 火野さんは図々しく質問する姉貴に、真面目に答えてくれる。 「自由業……ですか」 「もういいかな、納得した?」 「あの、それじゃあ、お名前を教えて頂けますか? 友也はあたしになんにも話してくれないんで……」 「そうか、火野だ、火野源三郎」 「火野……源三郎さん、ですか」 「面白い名前だろ?」 「え、いえ……、そんな事は」 「はははっ、無理しなくていい、時代劇みたいな名前だからな」 俺は暫く様子を見ていたが、火野さんが名前を明かして笑うと、姉貴もつられて笑顔を見せた。 「あっ、ははっ……」 「で、質問はもう終わりかな?」 「あ、はい、あの……いきなり失礼な事を聞いて、すみませんでした」 姉貴はすっかりしおらしくなり、火野さんに向かって頭を下げて謝った。 「いいんだよ、気にするな……、君なら許せる」 火野さんはにこやかに返したが、言葉尻で気になる事をチラッと口にした。 「え……」 姉貴はポカーンとしていたが、俺も同じくポカーンとしていた。 「それじゃあ、そろそろ行くか、友也、またな」 けど、火野さんに声をかけられて慌てた。 「あっ……、今日はありがとうございました」 火野さんに向かって頭を下げたら、火野さんは頷いて車を出した。 遠ざかる赤いテールランプを姉貴と一緒に見送ったが、姉貴は俺より先にわき道に向かって歩き出した。 「友也、行くわよ」 「あ、うん」 「ね、さっきの火野さん、あたしに気があるのかな?」 「え、あー、よくわかんね……」 「あたしさー、彼氏と別れたんだ」 「えっ、そうなのか、いつ?」 「少し前、だから……今はフリー」 「いや、だけど、ちょっと待って……、じゃあさ、姉ちゃんは火野さんの事どう思ったわけ?」 「年上に見えたけど、悪くないかな」 「えぇっ、マジで? なにそれ、一目惚れ?」 「あの人、友達のお兄さんって聞いてるけど、またあんたを送ったりする?」 「んー、どうかな、分からねーけど、一応言っとく……火野さんは40、バツイチ、子無しだからな、思いっきりオッサンだ」 「ふーん、若く見えるね」 姉貴と二人して火野さんの話をするうちに、気づいたら家に戻って来ていた。 姉貴は彼氏と別れてフリーになった。 もし姉貴が火野さんに惚れたとしても、火野さんだったら構わないような気もするが……。 姉貴には悪いが、俺は姉貴と火野さんを会わせるつもりはない。 万が一火野さんと姉貴がくっついたら、俺の事がバレる恐れがあるからだ。 ヤクザと関わってる事、テツと付き合ってる事……その他諸々がバレたら大変な事になる。 姉貴は……弟はゲイだったってショックを受けるだろうし、救いようのない変態だと思うに違いない。 そんな事は絶対に避けたいが、まずくっつく事はないだろう。 火野さんはヤクザだし、姉貴とは住む世界が違う。
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