22positive(救いの手と代償)

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22positive(救いの手と代償)

◇◇◇ 帰宅した後、姉貴は火野さんの事を色々と聞いてきた。 俺の友達の兄貴っていう事にしてるから、とりあえず翔吾を頭に思い浮かべながら適当な事を話したが、どこに住んでるのか聞かれて困った。 マンションに住んでるのは知ってるが、俺もさすがに住所は知らない。 翔吾の屋敷周辺じゃない事は確かだから、組事務所の周辺かもしれないが、姉貴には『火野さんは一人暮らしをしていて、土日とか気まぐれに実家に戻って来る、実家は学校の近くにあるが、実家の場所は姉貴には関係ないし、実家の住所までは教えられない』と言い、勿論マンションの住所も知らないと言っておいた。 また、夜遅くにテツから電話があったが、そっちも早速火野さんと食事に行った事を聞いてきた。 さすがテツ崇拝者の寺島……抜かりがない。 ソッコーでテツに報告したようだ。 というか、寺島にはハッキリとテツと付き合ってるとは言ってない筈だが、テツの信者にとってはそんなのはどっちでもいいんだろう。 テツは相変わらず疑っていたが、テツが思うような如何わしい事は本当に無い。 火野さんはノーマルだから、むしろ姉貴に興味を持ったようだ。 あんまり執拗に疑ってくるから、その件……姉貴が突撃してきた事を話した。 火野さんが姉貴に気がある素振りをみせた事を伝え、姉貴も一目惚れしたようだ……と言ったら、テツはやたら悔しがって『あいつ……、姉ちゃんに先に目をつけたのは俺だ、何気にアピールしやがって』と文句を言った。 ───なんかムカついた。 『あのさ、じゃあ俺はなんなんだよ、無理矢理そっち側に引っ張り込んで、ひどくね?』と文句を言ったら、テツは『おう、おめぇはおめぇだ……、火野の事は分かった、疑って悪かったな』と謝罪したが、その後で『問題は……親父だな』と言って黙り込んでしまった。 テツが親父さんの事を信頼しているのはわかるが、何がどうあろうと、どのみち親父さんは組長さんだ。 子分の立場にいるテツには、どうしようもない。 ただ、親父さんは翔吾のお父さんなんだし、冷静になって考えたら、そんなにびびる事じゃないような気がしてきた。 答えあぐねるテツに『大丈夫だ、親父さんは忙しいし、いつも会えるわけじゃない、それにテツみたいな変態プレイはしないだろ?』と茶化して返したら、テツは『すまねー、すぐにはいい案が浮かんでこねぇ』と落胆したように言う。 俺は心配しなくていいと言ったが、テツはすっかりトーンダウンして、また連絡すると言って電話を切った。 通信の途絶えたスマホを枕元に置いた後、カバンにしまい込んだロレックスを出して眺めた。 今度親父さんと会う時は、本当にただの爺さんだと思い込んで会おうと……繰り返し自分に言い聞かせた後で、時計をカバンに戻してベッドに横たわった。 翌朝、目覚めたらみんな仕事に行った後で、家の中は静まり返っていたが、今日も休みだから呑気に出来る。 しかし、宿題を片付けてゴロゴロしていたら、段々退屈になってきた。 今日は翔吾もテツも連絡無しだ。 ちょっと寂しいような気がしたが、コルセットを外したら腰が痛いし、結局ゴロゴロするしかない。 退屈しのぎに漫画本を出した。 よたよたと腰を曲げて本棚へ向かい、へっぴり腰でベッドに戻って漫画を読んでいると、暫く経ってスマホが鳴った。 期待して枕元に手を伸ばし、スマホを掴んで目の前に持ってきたら……三上からの着信だ。 期待感は一瞬にして、暗幕が垂れ下がるような心境に変わった。 三上は今から出て来いと言ったが、予想していたようにまた客をとらせると言う。 ぎっくり腰の事を言って勘弁して欲しいと言ったが、三上は全く耳を貸さなかった。 承諾するしかなく、電話を切ってガックリと肩を落とした。 時刻は午後13時を過ぎている。 今から出たら帰りはまた夜になってしまうが、仕方がない。 コルセットを巻いて用意を済ませ、指定された駅前まで歩いて行ったが、三上はまだ来てなかった。 駅から少し離れた場所に立ち、フェンスに寄りかかって駅に出入りする人達を眺めていた。 日曜日だから家族連れが殆どだが、カップルもチラホラ見られる。 何の気なしに見ているうちに、自ずと羨望の眼差しを向けていたが、フッとテツの姿が浮かんできた。 重症だ……と苦笑いしたが、今ここに居る自分の待ち人は、最悪な相手だ。 重い溜息をついたら、三上の車がやって来た。 三上は駅から離れた場所に車を止めた為、車まで小走りで近づいていったら、偉そうに『乗れ』と言ってきた。 ムカつくが……乗るしかない。 助手席に座ってシートに背中を預けたら、三上はサングラス越しに俺を睨んで車を急発進させた。 体を大きく前後に振られ、反射的に膝に置いたカバンを掴んでいた。 車はあっという間に人気の多い駅前から離れたが、一体どんな客をとらされるのか心配になってきた。 「あの、客って……どんな相手ですか?」 「おお、気になるか、へっ、今日の客はこないだとおんなじ奴だ、おめぇはヤクザ受けする面をしてるらしいな、あの木下はおめぇの事を随分と気に入ったようだ、こないだ会ったばかりなのによ、たった2時間で大枚はたくぐれぇだからな」 三上はいい金づるができてホクホク顔で言ったが、俺は相手が木下だと聞いて肩の力が抜けていた。 見知らぬ人間に抱かれるよりはずっとマシだし、木下は悪い印象じゃなかったから、少しだけ気持ちが軽くなった。 にしても……三上……。 マジで最低な奴だ。 「6万もとるなんて、木下さんに……申し訳ない」 俺と寝るだけで6万もとるなんて、ウリをやらされるのは嫌だけど、木下には申し訳ない気持ちになる。 「俺は別に強制してるわけじゃねぇ、ま、そんだけ気に入られるって事は、おめぇに目をつけた俺の目に狂いはなかったって事だな、木下にわりぃと思うなら、せいぜいサービスするこったな」 三上は得意げな顔で言ったが、俺をダシにして楽に金を稼ぐ事が出来て、さぞかし気分がいいんだろう。 俺は怒りを封じ込めて窓の外を眺めていた。 前回と同じ、事務所の前に行くのかと思っていたが、やがて町外れの殺風景な場所にやって来た。 幹線道路沿いで荒れた空き地が広がり、寂れた倉庫がぽつりぽつりと建っている。 背の低い雑草が生い茂る空き地の中に、三上と同じヴェルファイアが止まっていた。 ───木下の車だ。 三上は木下の車の横に自分の車を停車させると、車から降りて木下のところへ歩いて行ったが、木下は直ぐに窓を開けると、鋭い眼光でまっすぐに俺を見た。 木下は悪い人じゃないと思ってはいるが、俺を買った客である事は事実だ。 居た堪れない気持ちになって目を伏せていると、三上の声がした。 「連れて来たぜ」 「おお、早くこっちに来させろ」 「へへっ、よっぽど気に入ったんだな、友也も……おめぇに満更でもねーらしいぞ」 「馬鹿な事を言うな」 三上は冗談めかして言ったが、木下は抑揚のない淡々とした声色で答えた。 木下は何故か不機嫌そうに見えたが、どのみち俺は買われた身だし、気にしてもしょうがない。 「ははっ、よし友也、降りて来い、ほら、大事なお得意様だ、行け」 「はい」 三上に促されて車を降りたら、木下の車の方へ歩いて行った。 助手席に座ると、木下は何か言いたげな顔をして俺を見たが、俺は目を逸らした。 「ふーん、そんなに気に入ったか、なら今日は1時間サービスしてやるよ、3時間後にまたここで会おう」 三上はよっぽど機嫌がいいのか、木下にサービスすると言った。 「おおそうか、それじゃ3時間後だな、分かった」 だが、木下は笑顔ひとつ見せずに素っ気なく返し、窓を閉めてすぐに車を走らせた。 険しい顔をしてハンドルを握っているのを見ると、木下は本当に俺の事を気に入ってるのか? と、そんな風に思えてくる。 俺は心を無にして窓の外に目を向けていた。 「おめぇに、どうしても会いたくなってな」 暫く走ったところで木下が話しかけてきたが、相変わらず仏頂面をしている。 すげー機嫌悪そうなのに、何故高い金を払って俺を買ったんだ? 理由など分かる筈がなかったが、取り敢えず、ひとこと詫びる事にした。 「俺に6万も……すみません」 「無理矢理やらされてんだ、謝る必要なんかねー」 木下はドスをきかせた声で言い、俺は思わず首を竦めていた。 「はい……」 「びびるな、おめぇに腹を立ててるわけじゃねー、三上にムカついてるんだ、あいつ……俺の忠告を無視して、おめぇを乱交パーティーに参加させようとしてた、数万程度のはした金じゃなく、ある程度纏まった金が入るからな」 だが、木下の言葉を聞いて愕然となった。 「乱交……パーティー?」 「おう、そうだ、俺は三上に目立つような真似はするなと言ったんだ、けど、ありゃ駄目だな、金に目が眩んでるのもあるが、矢吹に対して……いい気味だと思ってるんだろう」 木下はテツが絡んでいる事を話したが、いくらテツにムカついてるからといって……俺は三上の度を越したやりように憤りをおぼえた。 だけど……じゃあ……。 もし木下が俺を買わなければ、俺は今頃……。 「もしかして、木下さんは俺の為に?」 続けざまに俺を買ったのは、乱交パーティに行かせないようにする為なんじゃ? 「いっぺん買っただけで可笑しいと思うだろうが、俺はおめぇがみすみす三上の餌食になるのを……放っておけなかった」 木下は本当に俺の事を気に入ってくれている。 それで俺を三上の企みから救ってくれた。 「俺……どう言ったらいいか……、本当にすみません!」 堪らなくなり、頭を下げて謝罪した。 「どのみち俺も……おめぇを金で買ったんだ、善人面する資格なんかねぇよ、なあ、それよりも……矢吹が知ったら怒り狂うんじゃねーか」 木下はまたテツの事を持ち出してきた。 というか、俺がテツと付き合ってると決めつけている。 俺を助けてくれた事は有難いと思っているが、それとテツの事は別の話だ。 「あの……、俺は矢吹さんという方を知りません」 「なあ友也、とぼけても無駄だぞ、そんな事で誤魔化せると思うな、俺は矢吹の事を知ってる、奴の動向を探ればバレバレなんだよ、それよりな、今回は俺が買って阻止出来たが、この次はねーぞ、三上の言いなりになるのは賢い選択じゃねぇな」 木下は呆れたように言ったが、俺はテツとの事を知られたくない。 「それはわかってます、でも……本当に知らないんです」 だから、とぼけ続けるしかなかった。 「あのな、俺はおめぇと矢吹の事を知ったからと言って、それをネタに脅すようなセコい真似はしねぇ、いいか? よく聞け、ここからは真面目な話だ」 そしたら、木下はマジな顔で言ってくる。 「は、はい……」 一体なにを言うつもりなのか、ドキドキした。 「三上はな、いよいよやばくなっておめぇが逃げようとしたら、薬を使うぜ、おめぇが何を恐れて矢吹の事を隠すのか、そんなこたぁ分からねーが、三上は調子に乗ってすっかり舞い上がってる、ありゃこのままいったらいずれ表沙汰になるな、お前がなにを隠そうが、そうなった時にゃ何もかも終わりだ、友也、俺の前で下手な嘘をつくな、俺が力になってやる」 火野さんにも力になってやると言われたが、木下はよその組の人間だ。 「あのでも……、あなたは霧島組の人間じゃないし」 たまたま俺を買っただけの他所の組の人に、そこまで頼れる筈がない。 「うるせぇ! そんなこたぁ関係ねぇんだよ」 木下は声を荒らげて一喝し、俺は言葉を失った。 「いいか? もういっぺん聞く、矢吹と付き合ってるんだな?」 どうしてもテツとの事を認めさせたいようだが、そこまで本気で心配してくれてるのに……これ以上嘘をつきとおす事は出来ない。 「はい……」 とうとう付き合ってる事を認めた。 「よし、俺は他所の人間だ、だから自由に動ける、三上には俺が話をつけてやる、今回、立て続けにおめぇを買うと切り出したら……奴はしぶった、そこで俺は……『おめぇの事がどうしても忘れられねぇ、最初に友也を買ったのは俺だ、これから先上得意になる客を蔑ろにするつもりか?』と大袈裟に言ってやった、奴は乱交パーティを先延ばしにして渋々承諾したが、俺の事を馬鹿な客だと思ってる、その俺がまさかおめぇを奪うとは思ってねーだろう、俺は浮島組の者だが、この件を大っぴらにすると脅せば……奴はひく筈だ、お前を脅してこんな真似をさせたとなれば、矢吹は奴をただじゃおかねぇだろうし、矢吹はおろか、親父の面に泥を塗る羽目になる、そうなりゃリンチを受けた末に絶縁、永久追放だ」 木下は事の経緯を話し、自分が三上を逆に脅すと言ったが、そんな事をして、もしテツにバレたりしたら木下に迷惑がかかる。 すんなりとは頷けなかった。 「あのでも、もしそんな事をしてテツにあなたとの事がバレたら、テツは、三上さんと同様にあなたを許さないと思います、そんな事になったら俺は……」 「心配するな、三上はおめぇをダシに裏でコソコソ稼いでるが、おめぇんとこの親父さんは今どき珍しい任侠道を貫く男だ、三上はまだ他にもいろいろやらかしてるからな、大体三上みてぇなチンケな野郎に、自らを破滅させる勇気があるわけがねぇ」 「確かに……三上さんは俺にかたく口止めしてきました」 「おお、だろ? あいつの事だ、どうせ適当な事を言っておめぇを脅したんだろうが、破滅するのはてめぇの方だ、奴にゃそこまでやる肝っ玉など端からねーよ」 俺は一般人でカタギだし、当たり前に組の内情なんか知らない。 三上みたいな奴でもヤクザだし、脅されたら怖くて従うしかなかった。 木下の厚意は願ってもない有難い話だ。 但し……。 そもそも木下は客として出会った相手だし、そこまでして貰う理由はどこにもない。 「あの、けど俺は……、あなたに会ったのはこれで2度目で、1回買われただけです、それであなたに助けて貰うとか、あまりにも図々しいし」 「ああ、勿論ただで……とは言わねぇ、見返りはきっちり貰うぜ、代償はおめぇだ、矢吹にゃわりぃが、おめぇはこの先俺と付き合え」 すると、木下は予想外の条件を出してきた。 「え……、俺……ですか?」 そうくるとは思ってなかったので、ビックリした。 「ウリじゃねーぞ、会いてぇから会いに来た、そう言ったじゃねぇか、だからよ、俺はお前と個人的に付き合いてぇと言ってるんだ」 木下の事は嫌いじゃないし、出された条件は簡単な事に思える。 けれど、そんな事をしたら……またテツを裏切る事になる。 「でも俺は……」 どうしたらいいか、迷った。 「何も独り占めしようとは思ってねー、矢吹とは今まで通り付き合やいい、へっ……、秘密の関係というのも悪くねーだろ? ある意味不倫だ、なははっ!」 木下はちょっとした遊びでも楽しむかのように言って、豪快に笑い飛ばした。 その笑顔には、三上のような悪意はどこにも感じられない。 それを見たら、尚更苦悩し、余計に返事が出来なくなってしまった。 「友也、承諾するしかねぇぞ、でなきゃこのまま三上なんぞに利用されてちゃ、おめぇ自身が破滅する、破滅したら矢吹ともしまいだ、いいのかそれで?」 「いえ……」 木下の言う事は真実だろう。 現に、三上は俺に薬を打とうとした。 このままじゃ、どのみち悪い方にしか進まない。 この混沌とした状況を打破するには、木下を信じるしか道はなさそうだ。 「分かりました、あなたとお付き合いします、だから、三上さんの事……御願いします」 木下の条件を呑み、頭を下げて三上との事を任せる事にした。 「よし、そうときまりゃ、今から話をつけに行く、おめぇはとりあえず家に送り届けてやる、それから、俺は竜治という名前だ、おめぇが矢吹の事をテツと呼んでるなら、今から俺の事を竜治と呼べ、いいな?」 「はい、わかりました」 俺は三上の事を解決して貰う代わりに、全身刺青だらけの木下と付き合う事になり、『木下さん』ではなく『竜治』と呼ぶ事を約束した。 それから互いに携帯番号とメアドを教えあい、例の脇道の近くまで送って貰ったが、竜治はカタがついたら連絡すると言い、ひとまずそれで別れた。 歩道に立って走り去る車を見送ったら、三上と同じ車だから微妙な気持ちになったが、これで三上と会わなくて済むのかと思うと……体から力が抜けていくようだった。 スマホを見たら17時過ぎだ。 車に乗りっぱなしだったが、移動に時間がかかったので夕方になっていた。 スマホをカバンに入れて家に向かって歩き出したら、2、3歩歩いたところで車が止まる音がした。 「ん?」 何気なく振り返ってみれば……シルバーのレクサスが止まっている。 「えっ……? 火野……さん?」 すぐに火野さんの車だと分かったが、何故ここに来るのかわからず、突っ立って唖然としていると……姉貴が車から降りてきた。 「姉ちゃん……」 マジか……? まさかとは思うが、昨夜会ったばかりで今日火野さんとデート? 「ちょっと待て!」 昨夜とは逆で、俺が姉貴を押しのけて助手席の窓枠にしがみついた。 「きゃっ! えっ、友也? なにすんのよ!」 姉貴は文句を言ったが、そんなのは無視だ。 「おう、友也」 火野さんは笑顔で声をかけてくる。 「火野さん、まさか姉貴を……姉ちゃんに手ぇ出したんじゃ」 失礼だとはわかっているし、火野さんは約束を破るような人じゃない事はわかっていたが、俺はまさかな事態を恐れていた。 「友也! 馬鹿な事言わないの……!」 姉貴は怒鳴ってきたが、引き続き無視して火野さんの答えを待った。 「はははっ、おもしれぇ姉弟だな、友也……心配するな、ほら、これを見ろ」 すると火野さんは、楽しげに笑って助手席に置かれた小さな箱を差し出した。 「ん、なにこれ?」 渡された箱を片腕に抱え、片手でそっと蓋を開けてみると、中には真っ白な子猫がいた。 子猫は俺を見あげて『ニャー』と鳴く。 つぶらな瞳に……ふわふわとした綿菓子のような塊。 「か、可愛い……」 思わず口をついて出た。 「火野さんはこの子を買ってくれたの、で、今日は早上がりになったからちょうど帰る時間で、それで送って貰ったの、納得した?」 姉貴はここぞとばかりに言ってきた。 「あ、そうだったのか……」 つい邪な想像をしてしまったが、疑ったりして悪い事をした。 「あのこれ、それと……変な事を言ってすみませんでした」 子猫入りの箱を火野さんに返して謝った。 「いいんだよ、そりゃいきなり車に乗せてたらビックリして当然だ、それよりこいつの名前を決めてやらねぇとな」 火野さんは俺の失礼な言動を軽く受け流し、箱を膝に置いて箱の中の子猫を撫でながら言う。 「ほんとすみません……、ていうか、火野さん、猫が好きだったんですね」 俺は安堵していたが、火野さんが猫好きだったとは……知らなかった。 「ああ、好きだ、前に飼ってたんだが、ここしばらく飼ってなかった、舞さんがペットショップで働いてると聞いて猫を見たくなってな、ここから1番近いペットショップに寄ってみたんだ、そしたら舞さんがいた、で、実物を見たら無性に飼いたくなった……、というわけだ」 事情はよーくわかった。 だけど、火野さんは姉貴の事をちゃっかり名前で呼んでるし、無性に猫を飼いたくなったとか言ったが、わざわざペットショップに行くか? さっきの事は悪いとは思っているが、火野さんはやっぱ姉ちゃんに惚れたんじゃ? 「そうですか……」 火野さんはこれから先も猫の餌を買うとかどうとか言って、ちょくちょくペットショップに立ち寄るだろう。 俺は2人を会わせたくなかったが、いい大人がする事をガキの俺が止められるわけがない。 この場所は、俺がテツに送って貰う場所だ。 せめて、かち合わないように気をつけよう。 「友也、おめぇはここで何してたんだ?」 なんかすっきりしない気分でいると、不意に俺の事を聞かれてギクッとした。 「たまたま通りかかったんです」 「たまたま? あんた、どこに行ってたの?」 火野さんに答えたら、姉貴が横から口を挟んできた。 「駅から電車に乗って……ブラブラと」 「彼女でも出来たとか?」 「ああ、まあ、そんなもんだ」 「嘘だ」 「嘘じゃねぇ」 「じゃあ、どんな子か教えて」 適当に嘘をついて誤魔化そうとしたが、またしても姉貴の質問責めが始まった。 「いやだね、プライバシーの侵害だ」 「またプライバシー? なに言ってるの」 「舞さん」 うんざりしていると、火野さんが姉貴を呼んだ。 「あ、はい」 「俺はこれで……、こいつをゆっくりさせてやらねぇと」 「あ、そうですね、可愛がってやってください」 「ああ、勿論だ、また分からない事があったら相談に乗ってくれるかな?」 火野さんは何気なく言ったが、俺はやっぱりそう来たかと思った。 「はい、いつでも」 姉貴は姉貴で嬉しそうにしてるし、2人はやけにいい雰囲気だが、俺はまた気苦労が増えそうだ。 「それじゃ、友也も、またな」 鬱々としていたら、声をかけられて慌てた。 「あっ、はい……、気をつけて、ありがとうございました」 頭を下げて姉貴と一緒に火野さんの車を見送った。 「へへん、ねえ、やっぱり……どう考えても、あたしに気があるように思えるよねー」 「はあーあ……」 「ちょっと、何ガッカリしてるの?」 「なんでもねー」 姉貴は火野さんとくっつく気満々だし、だけど火野さんはヤクザだし、俺はただでさえ自分の事が大変なのに、姉貴に嘘をつかなきゃならない。 「はあー」 浮かれる姉貴を横目に、出るのは溜息ばかりだった。 家に帰った後。 姉貴が風呂に入ってる間に、火野さんに電話をかけて話をした。 すると火野さんは、のっけから今日三上と会ってたんじゃないかと聞いてきた。 三上とのゴタゴタはまだ100%丸くおさまるとは言い切れないが、いずれにしても竜治が事を収めると言った以上、火野さんには手を引いて貰わなきゃ困る。 竜治との事は何がなんでも隠し通すつもりだが、火野さんが納得するような上手い言い訳がないか、咄嗟に頭を巡らせて必死に考えた。 すると、不意に親父さんに貰った時計が頭に浮かんできた。 火野さんに『三上に呼ばれて会ったけど、親父さんから貰った時計をはめて行った、そしたら三上が時計に気づいて誰に貰ったと聞いてきた、だから……俺は親父さんだと言った、親父さんは俺にキスしてきたと嘘をついたら、三上は急に狼狽えだして俺を解放した』と言った。 あの三上が……時計を見た位でひくとは思えないが、この際嘘も方便だ。 火野さんは三上との事について詳細は知らないので、付け焼き刃で思いついた俺の嘘を信じた。 それで『親父がついてるとなれば、三上は今後手出しは出来ないだろう』と言って、この件は一応これにて一件落着となった。 その後で姉貴の話になったが、今日は猫の話ばっかししてたらしく、個人的な話はしなかったと言う。 俺は姉貴に伝えた事……マンションでひとり暮らしをしている事を火野さんに話した。 それは事実だからいいんだが、姉貴に嘘をつくにあたり、俺がまず火野さんの事を把握しなきゃならない。 火野さんに住まいを聞いたら、テナントのある組事務所の周辺らしい。 あの組事務所はテナントに紛れていて、一見して組事務所とはわからないし、姉貴にその住所を言っても組事務所の近くだという事はバレないだろう。 住所はそのままでいこうという事にした。 あとは友達の兄という事と、仕事だ。 友達については俺は今まで通り姉貴には一切言わないつもりだ。 だから、そこはなんとかなるだろう。 問題は仕事の方だ。 火野さんは自由業と言ったが、自由業の職種が浮かんでこない。 俺が悩んでいると、火野さんが『だったら、不動産紹介業はどうかな? 実際にそういう仕事もしている』と言うので、それに決める事にした。 一通り話を済ませてとりあえずほっとしたが、電話越しに猫の鳴き声が聞こえてきた。 子猫は元気に遊び回ってるらしく、火野さんは楽しそうに猫の話をした。 本当に猫が好きなんだなーと思ったら、ふと疑問が浮かんできた。 翔吾から聞いた話によると、火野さんは日が昇ると起床し、日が沈んだら寝ると言っていたが、そんな生活をしていて、猫の世話が出来るんだろうか……。 心配になって聞いてみた。 すると火野さんは『素振りや水垢離はたまにはやるが、そんな江戸時代みてぇな暮らしを毎日してたら、この稼業はつとまらねー、若が大袈裟に言ってるだけだ』と言って笑い飛ばした。 どうやら翔吾が面白がって言ったらしいが、火野さんはわりと普通の人だった。 それは大した事じゃないが、俺はまだ火野さんと話さなきゃならない事がある。 言いづらい事だが、1番重要な事だから思い切って話した。 『姉貴に惚れるのは構わねぇけど、姉貴が……火野さんがヤクザだと知ったら、多分それ以上は……』と遠回しに言ったら、火野さんは『分かってる、俺は舞さんにゃ手を出すつもりはねー、傷つけたくねぇからな、これは本当だ、俺は嘘はつかねぇ』と言った。 火野さんがそう言うなら、安心して姉貴を任せられる。 それから……。 夜遅くになって竜治から電話がかかってきた。 時刻は午前零時をとっくに過ぎていたが、三上との話し合いがどうなったか、気になって眠れず、ベッドにスマホを持ち込んで横になっていた。 電話を握り締めて話を聞けば、初めのうち三上はかなりごねたらしい。 だが、竜治は既に三上に12万も払っている。 ここで事を荒立てて、散々な目に合って自滅するか、それとも自分が渡した金で懐を温めてこのまま安泰に暮らすか、どっちか選べと詰め寄ったら……渋々折れたらしい。 その上で、俺には今後手を出さないと約束させ、もし約束を破ったら、その時は自分が知っている限りの悪事を一切合切バラして、2度とこの世界で生きていけないようにしてやると、そんな事を言ったようだ。 竜治は『俺は浮島組だからな、それで三上は事を荒立てるのを余計に恐れたんだろう、うちの親父とお宅の親父は考え方が違う、下手すりゃ面倒な事になるからな』と言った。 俺はこんな馬鹿げた事が露呈して抗争に発展したら? と気がかりに思っていたが、それは単なる懸念ではなく、三上の出方次第では最悪な事態も有り得たようだ。 兎に角……これで本当に三上との事は終わった。 スマホを握ったまま頭を下げ、電話の向こう側にいる竜治に御礼を言ったら、竜治は週の半ばに電話すると言ったが、他所の組では三上のようにテツの動きを把握する事は出来ない。 電話だとマズいので、メールで連絡を入れるように御願いした。 それともうひとつ、俺はあくまでもテツを優先するという事を伝えた。 助けて貰って悪いが、そこは譲れない。 竜治はそれで構わないと言って電話を切った。 スマホをベッド脇にある小さなサイドテーブルに置き、布団に潜り込んで明かりの消えた天井をぼんやりと眺めた。 これから先の事は何も分からないが、なるように任せるしかない。 三上との縁が切れた事で、ささくれ立った心が穏やかになり、徐々に瞼が重くなって……いつの間にか眠りについていた。
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