アムンゼン 9

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 この葉尊と、結婚して半年経つが、これまで、葉尊のこんな姿は、見たことがなかった…  ここまで、雄弁に語る姿は、見たことがなかった…  これまで、この葉尊は、いつも、私に対して、控えめだった…  いや、  控えめというより、いつも自分を殺していた…  自分の主張を極端に抑えていた…  少なくとも、私には、そう見えた…  そう、見えたのだ…  だから、むしろ、今の葉尊の方が、安心した…  おそらく、素の姿を見せたのだろうと、思ったからだ…  ひとは、誰でも、そうだが、四六時中、誰かを演じることは、できない…  どこかで、素の姿を見せることがある…  問題は、そのタイミングだ…  おそらく葉尊は、結婚して、半年も経ったから、つい、油断して、素の姿を、私に見せたのかも、しれない…  あるいは、気付かずとも、油断して、素の姿を見せたのかも、しれない…  が、  しかしながら、それが、嬉しかった…  いわゆる、演技ではない素の葉尊が、見えたことが、嬉しかった…  やはり、いっしょにいて、誰かを演じていていては、いくら、私に文句を、なにひとつ言わずとも、居心地が悪いというか…  ホントは、なにを考えているか、わからない…  そう、思っていたからだ(苦笑)…    だから、片鱗といえども、素の姿を見せてくれたのは、嬉しかった…  嬉しかったのだ…  そして、それが、私の表情に出たのだろう…  「…なんですか? お姉さん…なんだか、嬉しそうですね?…」  と、葉尊が、言った…  私は、いつもの、  「…なんでもない…なんでもないさ…」  と言う、口癖を言いながら、ご飯を食べた…  なぜか、いつもより、夕食がおいしく感じた…  単に、気分がいいからだろう…  だから、ご飯もおいしく感じる…  実に、単純なことだが、世の中、そういうものだ…  なにか、気分が悪くなったりすることが、あると、どんなにおいしいご飯を食べても、おいしく感じないことがある…  それと、いっしょだ…  病は気からという言葉があるが、まさに、その通り…  その通りだった…  葉尊が、少しとはいえ、素の姿を私に見せてくれたのは、嬉しかった…  実に、嬉しかったのだ…  そして、夜、寝ながら、私は、考えた…  バニラに会わねば、ならんと、考えた…  あのバニラは、私の宿敵…  正直、考えただけで、胃が痛む存在だ…  ハッキリ言えば、殺しても、殺したりないほど、憎い相手では、あるが、会わなければなるまい…  なぜなら、バニラの娘のマリア…  マリアが、必要だからだ…  アムンゼンのために、マリアが、必要だからだ…  だから、会わねば、ならん…  ならんのだ…  私は、寝室で、ひとり寝ながら、考えた…  私と葉尊は、寝室は別…  同じ部屋に寝ない…  なぜ、寝室は、別なのか?  別に理由はない(笑)…  葉尊と結婚して、最初は、別居婚…  三か月して、いっしょに、暮らし始めた…  そのときから、寝室は別…  つまり、最初から、寝室は、別だった…  が、  これが、私には、心地よかった…  そして、それは、葉尊も同じ…  同じだ…  なぜ、心地よかったのか?  それは、寝室は、究極のプライベートだからだ…  私は、一人っ子…  ある程度、物心つく歳になってからは、ずっと一人で、寝ていた…  だから、正直、隣にひとが、いると、寝られない…  ぶっちゃけ、同じ部屋で、誰かと、いっしょに、寝るのは、無理…  できない相談だった…  そして、それは、また葉尊も同じ…  同じだった…  なぜなら、葉尊もまた、私と同じ一人っ子…  幼いときは、一卵性双生児の弟の葉問が、いたが、葉問が事故で、亡くなると、葉尊は、一人だった…  だから、実質、一人っ子…  それゆえ、私同様、隣にひとがいては、寝られない性質だった…  だから、二人で、いっしょに、暮らし出したときに、寝室は、別と、聞いて、ホッとした…  それは、おそらく、葉尊も同じだったろう…  私は、今、35歳…  葉尊は、29歳…  共に、決して、若くはない(笑)…  例えば、生涯抱き合って、生きて行こうなどと、口が裂けても、言えない…  なぜなら、それは、中学生や高校生が言うセリフだからだ…  恋に恋する中学生や高校生が、言うセリフだからだ…  だから、言えない(笑)…  それは、さておいて、あのバニラのことを、考えると、正直、胃が痛んだ…  アイツは、バカなくせに、私に盾突く…  いや、  バカだから、この矢田に盾突くのか?  ともかく、ホントは、あんなバカに会いたくは、なかったが、仕方がない…  アムンゼンのためだ…  アラブの至宝のためだ…  アムンゼンに会うためには、マリアに会う必要がある…  バニラの娘のマリアに会う必要がある…  臥薪嘗胆…  泣いて馬謖を斬る、だ…  私は、仕方なく、ケータイを取り出し、ベッドに寝ながら、バニラに電話をした…  ルルルルル…  ちっとも、出んかった…  相変わらず、バカな女だ…  せめて、留守電にでも、すれば、私も、こんなに電話をせずに、すむのに…  留守電にでも、すれば、メッセージを入れるだけなのに…  つい、思った…  つい、不満が、出た…  ようやく、  「…もし、もし…」  と、眠そうなバニラの声が聞こえてきた…  「…もしもし、どなたですか?…」  「…バニラ…私だ…矢田トモコだ…」  私は、言った…  名前を名乗った…  「…お…お姉さん?…」  バニラが、絶句するのが、わかった…  「…そうさ…私さ…矢田トモコさ…」  私は、名乗った…  同時に、頭の中で、  …相変わらず、バカな女だ…  …何度も、私に名前を言わせるんじゃないさ…  と、思った…  が、  さすがに、それを、口に出すわけには、いかなかった…  すると、だ…  「…なに? なにか、急用?…」  バニラが、電話の向こう側から、心配そうに、聞いてきた…  「…急用? …そんなことは、ないさ…」  私は、言った…  「…だったら、なんで、こんな時間、今、夜の十一時を過ぎているわ…」  「…いや、単に、寝ていたら、急に、オマエに電話をかけなければ、ならんと、気が付いてな…まあ、気にするな…私は、なにも、気にしないゾ…」  私が、言うと、  「…」  と、なにも、聞こえて、来なかった…  一切、なにも、聞こえて、来なかった…  私は、心配になった…  「…どうした? …バニラ…なにか、あったのか?…」  私は、大声で、聞いた…  バニラは、バカだから、嫌いだが、まさか、私と電話中に倒れでも、したら、困るからだ…  なぜなら、もし、バニラの身になにか、あれば、この矢田のせいにでも、なったら、困る…  理由は、それだけだ…  だから、聞いてやった…  大声で、聞いてやった…  すると、  「…そんな用事で、こんな時間に、電話を、かけてくるんじゃねーゾ…クソチビ!…」  大声で、怒鳴り返してきた…  こともあろうに、この矢田トモコ様に、怒鳴り返してきた…  私は、頭に来た…  せっかく、この矢田が、わざわざ、バニラごときに、電話をかけてやっているにも、かかわらず、この態度…  頭にきて、当然だった…  「…ふざけるんじゃ、ないさ…この矢田が、わざわざ、オマエごときに、電話してやるのさ…感謝してもらわなくちゃ、困るさ…」  「…なんだと! クソチビ…夜中の十一時に勝手に電話をかけてきて、その言い草は、なんだ? オマエ、何様なんだ?…」  「…私は、矢田トモコ様さ…ふざけて、もらっちゃ、困るさ…」  「…こんな真夜中に、電話をかけてくる、オマエが、ふざけてるんじゃ、ねえのか!…」  バニラが、怒鳴った…  まさに、正論…  ド正論だった…  しかし、謝るわけには、いかん…  たとえ、100%、私が、悪くても、このバニラごときに頭を下げるのは、死んでも嫌だからだ…  だから、謝るわけには、いかんかった…  そして、私が、そんなことを、考えていると、  「…聞いてるのか、クソチビ!…」  と、まだ、電話の向こう側から、バニラが、怒鳴っていた…  「…そもそも、なんで、テメエは、こんな時間に、私に…」  と、怒鳴りながら、聞いてくるから、つい、  「…いや、アムンゼンに頼まれてな…」  と、小さな声で、ボソッと呟いた…  途端に、バニラの怒鳴り声が、止んだ…  ピタッと、止んだ…  私は、心配になった…  まさか、怒鳴り過ぎで、頭に血が上り、倒れたかも、しれんと、思ったからだ…  バニラは、まだ23歳だが、これは、年齢ではない…  誰しも、起こりうることだからだ…  だから、私は、  「…おい、バニラ…大丈夫か? 気をしっかり、持つことさ…」  と、聞いてやった…  まさかとは、思うが、心配になったのだ…  が、  返って来た声は、  「…やだ…お姉さん…殿下からの要請なら、最初から、そう言ってよ…」  と、言うものだった…  猫撫で声…  まさに、君子豹変す…  見事なまで、豹変す…  その見本だった(爆笑)…                <続く>
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