都橋探偵事情『擬態』

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「あいにく鹿肉はあまり好きじゃないんでね」  池上の挨拶代わりと察しながらも断った。 「残念」  嬉しそうに言った。 「ちょっと残念な知らせに来ました」 「座ってよ所長。俺等はノミやがあるから早いけど所長もこんな早くから動いてんの?」 「私達の商売に昼も夜もありません。この知らせは早い方が会長に都合がいいと思いまして来ました」  池上はライフルを若い衆に渡してソファーに座った。徳田は封筒を差し出した。 「何これ?」  経費を除いた依頼金である。 「依頼を受けた佐久間ですが南の方に逃げたそうです。四国で見掛けたと情報を得ましたが留まっているとは限りません」  嘘を見破られるのは心の動揺である。心の動揺が身体に現れる。それを誤魔化すために必要のない動きをしてしまう。嘘に吐き慣れている徳田でも勘の鋭い者は疑う。池上は返事をせずに徳田を見つめている。徳田も頷きながら見つめ返した。 「そりゃ困ったな。所長がお手上げじゃ俺等にチャンスはない。足抜けを許したらバカにされるってのは今も昔も一緒でさあ、組織の面子に関わるんだよね」  池上は腕を組んで頭を捻る。 「会長の面子は私に振られても困ります」 「その四国って情報は確かなの?」 「間違いありません、私の信頼する勢子の情報ですから」 「人捜しなら都橋の所長にそう言われたらグーの音も出ないね」  徳田は池上が諦めるだろうと思った。
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