都橋探偵事情『擬態』

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「釣りは要らない」  看板ばあさんが手を合わせた。 「この辺りだと思うけど安浦銘酒街って通りはどこかな」  皺だらけの顔だが顔立ちはよく、若い頃は男どもを手玉に取ったに違いないと徳田は想像してニヤついた。 「遊んで行くのかい。紹介してやろうか?」  看板ばあさんが顔をガラスの小窓に近付けた。想像通りだった。 「残念ながら今日は仕事でねえ、初音って店に用があるんだ」 「初音は止めときな、病気もらうよ。吉浜ってあたしの顔が利く店があるよ。チョンで五千円で若い娘がいるよ」  チョンとはチョンの間の略である。まさしくチョン、一発抜いて終わり。他に時間と泊りがある。時間は1万で二回から三回やれる。泊まりは2万で朝まで寝ていられる。しかし女が一晩中付いているわけじゃない。「ちょっと馴染みが来てるから。すぐに戻るからいい子にしてんだよ」この言葉はあちこちの部屋で使い回される。男どもは女が自分の元から離れたくないが仕方なく出ていくんだと思い込んでいる。間仕切り一枚の部屋割りに並んだ男どもの哀愁である。徳田は安浦三丁目銘酒街に向かった。昔は90軒近くの売春宿があったらしいが今は闇で営業している10軒ほどである。米軍専用の売春宿もあり安浦ハウスと呼ばれていた。安浦は漁師町であり基地の街でもある。それは男が女を求める街であり、女が男を利用する街である。当時の売春宿は飲み屋に変わっていた。しかし採算が合わず撤退する店が多い中、闇で営業を続ける輩もいる。闇だから看板はない。記憶していた住所の前に立った。この依頼は野毛で事務所を開くやくざの親分からである。地元付き合いで断るわけにはいかない。初音町の売春宿から女を引き抜いた男を捜してくれとの内容である。徳田は女の同僚に小遣いを握らせて話を訊いた。同僚はペラペラと全てを話してくれた。ガラスの引き戸を少し開けた。 「こんにちは」  中を覗きながら声を掛けた。返事はない。探偵の勘で該者が隠れていると感じた。
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