都橋探偵事情『擬態』

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「すいませんが今日で一旦暇をください」  付き添い婦の手配をしている事務所に電話を入れた。 「又吉さん、急には困りますよ。せめて一月前とか。次の患者さんが決まってます。なんとかこの患者さんだけでもお願いします」 「すいません、どうしても駄目なんです」  電話を切った。もしもしのもしまで聞こえた。台所の窓ガラスは収まりが悪く北風が強いとカタカタと音を立てる。ほとんどを病院で過ごす又吉貞子にとってこのアパートは物置として借りているだけである。いつでも出て行ける準備をしている。高山洋子に誘われて住込みで幸三郎の世話をすることになった。手間は付き添い婦と同じだが部屋つき食事付きで生活費は一切かからない。給金は毎日現金支給を希望し受け入れてもらった。日当4500円である。幸三郎の介護はそれほど手間ではない。朝晩の下の世話と食事の支度。週に二階の身体拭き。月に一度病院通い。それ以外は自由に過ごしていいという条件である。ただし洋子の留守中は待機が必要である。貞子は特に日々熟さなければならない用も付き合いも趣味もない。むしろ部屋で読書している方がいい。 「貞子さん、スナックに行って来ますからお願いします」 「お気をつけて」  二階から返事をする。貞子には男がいた。スナックのアルバイトはその男と会う為である。帰宅が翌日になることもある。貞子は我関せずと決めていた。朝3時に起床するのは付き添い婦の習慣となっていた。5時まで寝ていても問題ないが寝起きで頭がぼーっとしている。それを正常に戻すのに一時間を要した。玄関まで下りると洋子の靴はない。昨夜出掛ける時にショルダーバッグを持っていたので、そんな予感がしていた。 「さあ、オムツを交換しましょう」  現在のように使い捨てオムツは充実していない。我慢しているのだろうが漏れてしまう。 「このままトイレ行きましょうか」  幸三郎の返事はない。返事など期待していない。自分のペースで進めるために声掛けをする。声掛けすれば患者が納得しているような錯覚がする。患者ペースで介護しているという自己満足である。トイレは和式だが椅子式の便器を和式便器の上に置く。便が落ちるとどうしても跳ねて床を汚す。ベッドに座椅子を載せて幸三郎を座らせる。
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