ラスト・ラブレター side透③

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ラスト・ラブレター side透③

封筒には思いがけないものが入っていた。 呆気に取られて彼女の意図に思いを巡らせたが、手紙を読んだ方が早そうだ。便箋を開くと、宛名書きと同じ優しい女文字で丁寧に綴られていた。 前文ごめんください きっとご無沙汰していると思います。そして、少なくともあなたがこれを読む時点で、私は生きていないと思います。なぜなら私が死んで一年経った時に、あなたの元に届くことになっているからです。 こんなふうに書くと、ひどく悲しいことのように聞こえますが、私は今とても幸せです。先日、あなたと会うことも出来ましたしね。 主人は早くに亡くなりましたが、子どもたちはそれぞれ家庭を持ち、ひ孫の顔を見るまでになりました。あなたとお別れしたあの時、これほどまでに幸せな時間が待っているとは少しも思えませんでした。きっと、あなたが私の幸せを願ってくれたから、私は恵まれた人生を歩むことが出来たのだと感謝しています。 ひとつだけ心残りがあるとすれば、やはりあなたのことです。私は十分に幸せをもらいました。叶うならあなたにも幸せになってほしい。そこで、小さな悪戯を思いつきました。でも、気持ちは真剣です。 誰が見るわけでも、知らなくてもいいのです。ただ、これから先もあなたの心に置いてくだされば、私にとってこれ以上望むことはありません。 あなたに会えてよかった。 心からそう思います。 かしこ 同封の書類は、彼女が署名した婚姻届だった。そして、再会した時に戯れに撮った二人で寄り添う写真。薬指に指輪代わりの野の花が見えた。 『この歳で童心に返るのもいいでしょ?』 何から何まで頑なな僕の心を、彼女は(わら)ったりせず自由な春風のように撫でていく。そんな彼女に抗えなくて、僕は仕方なく口元を緩めた。 万年筆を取り出して彼女の隣に自分の名前を書く。緊張したせいか文字が少し角張ってしまった。長い年月を経てようやく彼女と肩を並べることが出来た。しばらくそれを見つめてから、折り畳んで封筒に戻した。 誰も知らなくていい 君にさえ届けば それとも今度は 君の自慢の孫に託してみるかな 追伸 探偵をしてる孫がいるんだけど、まるであの時の映画から抜け出したみたいなハードボイルドなの。とてもいい子で、あなたの話し相手になれそうです。 僕よりも年上の柱時計が開店の時間を告げた。 そう言えば、ここに来たいと電話をかけてきた人がいた。何か僕に用があるような言い方だったが、若い男性に知り合いはいない。テラスで愛犬と一緒に寛げると知って安心したようだった。口コミが広がって愛犬家たちが途切れなく訪れる。彼らのおかげで以前ほど寂しさは感じなくなった。 彼女の悪戯で久しぶりに弾むような心持ちになり、僕はお湯を沸かしてコーヒーの準備を始めた。
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