第1話・慈しむ:腕を伸ばして届く距離

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 部屋の明かりを消すかどうかは、抱かれるほうが決める。これはつきあいはじめたころからのルールで、今も健在。だから今夜は文幸が明かりを消した。暗がりのなかで周の肌をそっと撫でる。  周が「すっかり(たる)んじゃった」と気にするほどには、周の身体は弛んではいない。四十九歳という年齢のわりには若々しく引き締まっている。しかしやっぱり筋肉は少しばかり落ちて、全体に柔らかい肉がついているのは確かだ。目じりの笑い皺が深くなったし、指先に触れる髪の手ざわりも変わってきた。こめかみのあたり、うなじのあたりには白髪もまじっている。  しかし「老けた」という印象は少しもなかった。文幸の目に映る周はいくつになっても男らしく魅力的だ。むしろ、年を重ねていく周を心から愛おしく思う。だって――。  俺ばっかり老けちゃったら、悲しい。  周より十歳年下といっても、文幸だって年齢を重ねている。もともと太りやすくて、年がら年じゅうの運動不足。弛んでいるということでいえば、周よりも文幸のほうが危うい。だからこそ「周さんより先に老けこまないように気をつけなくちゃ」と自分に言い聞かせている。  文幸のなかに、周がそっと潜ってきた。「久しぶりだね」と耳元で笑われてくすぐったい。文幸も笑って答える。 「周さん、前にやったのはいつだっけ。……三週間前? そのときは俺が上だった」  セックスのときは、文幸は周に対する敬語をやめる。このルールもずっと守られている。 「そんなに前かあ。じゃあ、俺が文幸くんに入れるのはほんとに久々だ」 「ふふっ、そうだね」 「文幸くん、俺のかたち、忘れてない?」 「忘れるわけないよ。……って言いたいけど、忘れそうになってた」  文幸が言うと、周は「こら。思い出せ」と笑いながらぐうっと奥まで入ってくる。文幸は久しぶりの感覚に一瞬だけ息をのんで体を固くした。しかしそれもごくわずかな間のことで、すぐに周の律動とともに柔らかくほぐれて蕩けていく。  ふたりで過ごす時間は、いつもお互いの肌あいを確かめあうような、穏やかなひとときだった。文幸は周の、周は文幸の、体温と湿度と肌の匂いを心ゆくまで味わう。文幸は周の力づよい心拍や、首すじの脈動が好きだった。この日もすべてが終わったあと、周の胸に顔をうずめて彼の鼓動に耳を澄ます。規則正しく速い鼓動は、何よりも文幸を安心させた。  周が満足そうな長いため息をついて力を抜いていく。文幸は彼の汗ばんだ背中に腕をまわした。そして慈しむように手のひらで何度も撫でた。  第2話「移ろう:マリ・ザ・シルバー」に続く
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