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周が起きてくるのを待ちながら、今度はコーヒーを淹れる。淹れるといっても平日の朝は手間のかからないインスタントコーヒーだ。それでも沸かしたての湯をマグカップに注ぐと、いい匂いがふわっと広がっていく。コーヒーの香りで周が起きてこなければ三回目の声かけだ。そんなふうに思いながらふたつのマグをトレイに載せ、ダイニングテーブルに持っていこうとしたところで――後ろからゆるくハグされた。文幸は驚いて手を滑らしそうになり、すんでのところでこらえる。
「うわっ、びっくりした。……おはよう、周さん」
「おはよう」
「熱いから危ないよ」
「ごめん。……ああ、いい匂い」
周は文幸をゆるくハグしたまま、首すじに顔をうずめて「すうう」と深呼吸する。すりすりと体を寄せてきて、文幸の体をなでまわす。それでやっと体を離してくれたと思ったら、台所をうろうろしながらコンロにかかった鍋をのぞきこみ、「おっ、うまそう」と嬉しそうな顔をしたかと思えば、最後に文幸の股間をさっとひと撫でして、満足した顔で台所を出て行く。まるで無邪気な犬が、大事なテリトリーや宝ものを確認しにきたみたいだ。文幸は笑いながら周の背中に声をかけた。
「周さん、顔を洗ったら、スープをお椀によそってテーブルに運んでください」
「はいはい」
そんなふうにしてふたりで食卓を整え、思い思いに食パンをトーストしたり、冷蔵庫からヨーグルトやバター、ジャムなどを出したりして食卓につく。
「いただきます」
「いただきまーす」
周は熱々のトーストに、たっぷりのバターを塗っている。このバターは周がこだわって買ってくる専門店の絶品で、文幸も新生活がはじまってすぐに虜になってしまった。周と同じように、自分のトーストにも大きなバターの塊を乗せる。いい匂いをさせながらとろけていくバターを、いつも、じっと見てしまう。
「今日は、文幸くんも外出するんだったよね。打ち合わせ?」
「あっ、はい」
周に声をかけられて我に返る。急いでトーストをかじった。かりかり、ふわふわのトーストに、じゅわっとしみたバターがこのうえなく美味い。
「午後からクライアントのところに出かけて、そのあと展示会に顔を出してきます」
「わかった。帰りは何時ごろになりそう?」
「七時には家に着くかな」
「そっか。俺は外回りから直帰できそうだから、俺のほうが早く帰ることになりそうだね。夕飯、つくっておくよ。文幸くんは何が食べたい?」
「あっ、嬉しいです。そうだなぁ、何がいいかなあ……」
文幸はそう言いながらすばやく考えをめぐらせた。
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