足りないもの

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足りないもの

 ヴァルトは22歳になった。ある日、一人暮らししている家への帰路についた。  今週は遠征もあって特に疲れた。こんな日は早く帰るに限る。  ひどい雨だ。3メートル先も見えない。  そんな時、力なく上を見上げた少女に出会った。王都にあるまじき汚い服。ボサボサに伸びきった緑色の髪。10歳くらいだろうか。 「どうしたの?」  しゃがんで話しかけてみると、口を半開きにしてこっちを振り返った。 「あぁ……うーあー」  口をぱくぱくさせている。いきなり話しかけられて驚いてるのか。 「あぁ、いきなり話しかけてごめん。何か困ってるのかと思って。迷惑だったかな、ごめん。もう行くよ」  そのまま家に帰ろうと歩くと、少女は私のベルトを掴んできた。 「え、何?」  歩くとちょこちょこついて来る。 「どうしたの? 迷子なの? 名前は?」 「……うー……」  少女は口を半開きにしてじぃっと私を見つめてくる。彼女のくすんだ水色の瞳は強い光を求めている。  この子、話せないみたいだ。言葉を理解してもいないのか。教育を受けていないにしてもこのくらいの年齢なら多少の言葉は理解できるはずだ。もしかして記憶を失ってるのか。 「迷子なら親を探したいところだが、この雨じゃな。とりあえず今は体を温めた方がいい。今日は私の家に来たら良い」  これは未成年略取なのか? でも、放っておく方が王の息子としての恥だ。 「あ、あー……」 「行こう、少し歩いたところだ」  少女の手を握ってやると、うっすら笑みを浮かべた。 ====================  酷い雨に打たれながら早歩きで家に着いた。少女は嫌がる様子もなくちょこちょこ歩いてついてきた。  風呂の準備をして洗面所に行き、少女のための服を用意する。さすがにこの子のサイズの服はないから、サイズが合わなかった私の服を用意した。それでも大きめになりそうだが。  少女の服を脱がそうと裾を捲り上げると赤黒いものが見えた。 「これって……」  腹部にも胸部にも背部にも痣がある。これは一回でなるような怪我じゃない。日常的に暴力を振るわれていたのか。虐待……。  明日は、()()この子が求めるなら親を探すか。  服を全部脱がし、風呂場の中に入ると少女は地べたに脚を伸ばして座った。私はその後ろにしゃがむ。  ボサボサに固まった髪を両手で少し強めに洗う。すると少女は頭だけを後ろに傾けて私の胸をノックするように押した。私は石鹸をさらに泡立てて頭をこする。少女は髪に付いた泡を人差し指で少し取り、舐めた。途端に舌を突き出して嗚咽し始めた。 「うじゃ……げ、がは……」 「口をゆすいで。飲み込んじゃだめだよ」  私が背中をさすりながら手ですくったお湯を口に含ませる。少女は口の中でお湯をこね回して吐き出した。 「落ち着いて、落ち着いて」  石鹸が食べてはいけないものだって知らないのか? それか忘れているのか。言葉を理解できていないのもあわせて、意味記憶とエピソード記憶を失っていると考えれば納得がいく。  木桶でお湯を汲んで少女の頭の上に持っていく。 「髪を流すよ。目を閉じて」  少女はそれでも爛々と目を見開いている。 「目、閉じるよ」  私がまぶたを下ろすと、おとなしく目を閉じた。そのまま大量のお湯をかけながら髪をゆらゆら動かして泡を流した。  綺麗な髪だな。手櫛をしてみても引っかからない。でも、少し長いな。せっかくの可愛らしい顔が隠れてしまっている。  お湯で濡らしたタオルで体を拭ってやると私の方を向いてうっすら笑みを浮かべる。こんな小さな()が酷い怪我を負っている。そんなこと、許されるはずがない。 ====================  翌日になった。少女をベッドに寝かして私は床に寝た。夏も近いから寒くはなかったが、とにかく肩と腰が痛い。  少女は、安心したような顔で眠りについてからしばらくしてずっと寝言を言っていた。ごめんなさい……やめて、お父さん……とひたすらに繰り返して。  やはり元々は話せたんだな。虐待の苦しみに耐えかねて記憶を閉ざしたか、怪我で記憶を失ったか。  昨日見つけられて良かった。これでこの子を救える。だが、この子が家に戻りたい、私と一緒に居たくないと言ったら今日でお別れだ。それはしょうがない事だが。  少女を着替えさせた。といっても合うサイズの服はないから私の服だが。  家から出た時には手を絶対に離さないように気をつけて歩く。一度見失ったらその時が最後だ。  昨日少女を見つけた場所に着いた。
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