85人が本棚に入れています
本棚に追加
誰の親か
1日分の修練を終え、エリネは誰もいない家への帰路に就いていた。
ここ、お父様と初めて会った場所……お父様と会って、救われた。それなのに私は、恩を仇で返してしまった……お父様はあんな所で死ぬべき人じゃなかった。誰からも信頼されて、愛されて、十分な血筋もあって、次の王になることだってできたはずなんだ……。それなのに……
いつものようにそんなことを考えながら憂鬱気味に歩いていると、後ろからドサッと何かを落としたような音が聞こえた。後ろを振り返ると、40代前半くらいの女性が荷物を落とし、尻もちをついていた。
拾ってあげないと。お父様だったらきっとそうする。
エリネが女性の荷物を拾おうと近づくと、女性は尻もちをついたまま後ろに後退りした。
「こ……こないで……」
女性は悪魔でも見るような怯えた目でエリネを見る。
「大丈夫ですか?」
エリネが女性の手を取って立ち上がらせようとすると、女性は大きく震えた手でエリネの手を払った。
「私に復讐する気? やめてよ……せっかく幸せな生活が手に入ったのに……」
====================
エリネはしばらく、訳も分からずその場に立ちすくんでいた。女性もエリネに怯えたまま座り込んでいる。
すると、女性の後ろから5歳くらいの男の子に手を引かれて歩く男性が現れた。
「オリディア、こんなところにいたんだ。テリスが早くママに会いたいって聞かなくて──。……どうしたの?」
オリディアと呼ばれた女性は男性の脚にすがりついた。
「ペトラが……ペトラが私に復讐しに来たの……」
男性は女性の背中をさすりながら、エリネの全身をさっと見た。
その時、テリスがいきなりエリネを叩き始めた。
「ママをいじめるな。ママをなかせるんならぼくがあいてになってやる」
男の子は鎧を叩いてくるため、痛くはない。
「この鎧に触らないで」
そう言ってエリネはテリスを押しのけた。すると、テリスはさらに強く叩いてきた。
「やめなさい!」
男性が強く言うと、テリスはわんわん泣き出してしまった。
もう、訳が分からない。
「私の妻と息子が、申し訳ないことをした。君、この後予定あるかい? 少し話をさせてもらいたい」
家に帰っても誰が待っているわけでもない。
「分かりました、行きます」
====================
エリネが、テリスの手を引いてオリディアを背負っている男性の後について歩くと、平凡な家に着いた。
中に入り、男性に促されて椅子に座った。オリディアは男性の隣に座らされ、テーブルを挟んでエリネと向かい合っている。
「いきなり来てもらって申し訳ない。だが……話さなければならないことなんだ。私の名前はダリオ・リーデント、こっちは妻のオリディアだ。君の名前も聞いてもいいかい?」
「私はエリネ・ヘイムです」
「君は君の両親はどんな人か聞いていいかい?」
「私に母親はいない。父親はお父様──ヴァルト・ヘイムだけ……」
「騎士団長の? 騎士団長には養子がいるって噂があるし。もしかして君が……。それじゃあ聞き方を変えよう。10歳頃までの母親は覚えているか?」
「覚えてない……私が生まれたのは10歳から……」
「そうか……やっぱり君がペトラなのか」
ペトラ? ペトラなんて名前、聞いたことない。
「君がオリディアの子供なんだね」
「本当にペトラ……ペトラなの……」
オリディアはずっと怯えた様子でエリネを見続けている。
私はお父様がくれたエリネっていう名前がある。ペトラなんて名前じゃない。だけど……この人が私の生みの親なら、少し話を聞いてみても……
「君の本当の名前はペトラ・ゼレニスなんだよ」
本当? 本当ってなんだ。記憶もない時の名前なんて──
エリネは椅子から立ち上がって大声で怒鳴ってみせた。
「違う! 私の名前はエリネ・ヘイムだ! ペトラ・ゼレニスなんて、記憶も無い時の名前、私のものじゃない。私の記憶はお父様に会った日からだ。私はその日に生まれた! ペトラの時の記憶はもう無い。ペトラ・ゼレニスはもう死んでるんだよ!」
大声に反応したのか、テリスは扉を少しだけ開けて覗いている。
「ヒィッ……」
オリディアは椅子から崩れて倒れ込んだ。
「ごめんなさい……ペトラ……ごめんなさい……情けない母親で……。許して……やっと掴んだささやかな幸せなの……」
オリディアは錯乱状態となって、すでにエリネを見ていない。
ダリオはオリディアを起こして部屋の外に連れて行き、寝室に寝かせた。
「テリス、ママを診ててやってくれ」
「うん! ママ、ぼくがついてるからね。あんしんして」
オリディアはベッドの上に登ってきたテリスを抱きしめた。
「ありがとう、テリス」
ダリオはエリネの待つ部屋に戻ってきた。そして、すぐに頭を下げた。
「失礼なことを言って、本当に申し訳ない」
「もういいですよ。でも、私がペトラだったんだとしても、もういない」
「あぁ、分かってる。だが、君じゃなかったとしても、聞いてもらいたい」
ここで帰るのも後味が悪い……
「分かりました」
エリネが椅子に座ると、ダリオも椅子に着いた。
最初のコメントを投稿しよう!