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大切なもの
テルモさんとの訓練を終えて特別禁錮室に帰ると、すぐに寝てしまった。少しは気が紛れたのかもしれない。
翌朝になり、廊下側からノックされた。エリネがのぞき口のカバーをずらすとヴァレリアが立っていた。
「お祖父様!」
「こんにちは、エリネちゃん。入ってもいいかな?」
「はい! どうぞ」
この部屋は内鍵と外鍵が開いて初めて扉を開けることができる仕様になっている。
エリネが急いで内鍵を開き、サトゥールが外鍵を開けると、ヴァレリアが靴を脱いで部屋に入ってきた。
ヴァレリアが入って来るやいなやエリネは頭を下げ、その場に硬直した。
「お祖父様、申し訳ございませんでした。お祖父様のためになりたいと思っているのに、迷惑ばっかり……」
「違うよ、迷惑をかけているのは私の方だ。君だけは絶対に失いたくないんだ。何よりも大切だから……」
ヴァレリアはエリネを肩を起こして、両腕で抱きしめた。エリネは抱き返すこともできずに真っ直ぐに立ったままだった。
「迷惑って……なんですか? 陛下に迷惑をかけられたことなんて……」
ヴァレリアはエリネの質問に答えることもなくエリネの頭を撫でた。
「私は君を愛している。それだけは忘れないでいてくれ」
ヴァレリアはエリネの両肩に手を置いた。
「ありがとう……ございます……」
「今の私にはエリネちゃんしかいない。ゼルビアも今は少しばかり忙しくて私の側にはいられない。私自身、いつ死ぬのかも分からない。エリネちゃんにだけは、どんな時でも無事でいて欲しいんだよ」
「お祖父様が死ぬなんて……そんな怖いこと……」
「私はこの国の王だ。国民の命は何よりも大切なものだ。私がいなくては守れない命も私一人の命で守れる命もある。私の命一つで守れるのなら、私の命なんてたやすく捨てられる」
「その時は私がお祖父様を守ります」
「そんなことさせないよ」
ヴァレリアは軽く安心を顔に浮かべている。ヴァレリアはエリネのなめらかな髪を柔らかく撫で下ろしている。
「それじゃ……私のいる意味は……。私は命を懸けて戦うからこそ私が価値があるのに……。これ以上、私の大切な人を失いたくない」
エリネはエレスリンネを抱きしめた。エリネの目はやけに光ってしまっている。
「お父様が死んで、人って本当に死ぬんだな……って思いました。今までも、全ての生物はいつか死ぬって分かってはいたのに、分かってなくて……。美味しいものを食べて振り返っても、そこには誰もいなくて……。洗濯物もすごく少なくなった……。洗濯物を2階に干して、お父様の洗濯物を干し忘れたと思って1階に降りてもお父様の洗濯物はどこにもなかった……。一人で暮らしていくのに慣れた頃、お父様の死が現実になった……。こんな思い、もうしたくない」
エリネはヴァレリアの方を向き、じっと見つめた。
「失うくらいなら……私が守って死にます」
「だめだよ。エリネちゃん、君は私の大切な孫だ。そして、仮にも君は犯罪者なんだ。戦うことは許されない」
「何で、そんな残酷なことを……」
「君には君の幸せを見つけてもらいたい。君はまだまだ若い。何だってできる。いずれ好きな人とか……」
「私にとって大切なのはお父様とお祖父様だけです。それ以外の人は私には必要ありません」
ヴァレリアは軽くため息をついた。
「そう……か……。私のことを大切に思ってくれるのは何で?」
エリネは恐る恐る口を開く。
「……お祖父様は、私の家族で……お父様が何よりも大切にしていたことだから……」
「分かった。……家族の縁を切ろう。王である以上、国民の規範とならなければならない。身内に犯罪者がいることは許されない。君はもう私の家族ではない。好きに生きればいい」
エリネは面を食らい、ヴァレリアの腰に縋りついた。
「え? いや……いやです。私はお祖父様のために生きています。これからだってお祖父様のために──」
ヴァレリアはエリネの頭を撫でようとしたが、手を引いた。
エリネからは、ヴァレリアからの視線が哀れんだような視線に見えてしまう。エリネは立ち上がり、少し離れて俯いた。
「ご迷惑をかけて……申し訳ございませんでした。……陛下、今までありがとうございました」
エリネの足元のカーペットは液体を吸い込み、染みができてしまっている。
「さようなら、エリネ・ヘイム」
ヴァレリアはそう言いながら扉を開けて出て行った。
ヴァレリアは階段を下りながら大きく息をついた。
「これでいいんだ……。無茶苦茶ではあるが、これでエリネちゃんはやっと自分の幸せを掴める……。これでいい……これでいい……これで──」
何度も唱え、自分を納得させる。
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ただ一人残されたエリネはその場に崩れ、へたり込んだ。
「私はまだお父様の娘でいいのかな……。お父様が何よりも優先していたお祖父様に縁を切られてしまった今、お父様も私との縁を切るかもしれない。本当に孤独になっちゃった……」
エリネはエレスリンネを抱きしめられず、テーブルの上に置いた。鎧も脱ぎ、床にうずくまった。
「んぐっ……うぇぇぇぇ……」
サトゥールは関わることもできず、ただエリネの泣き声を聞くだけだった。
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