憧心

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 カフェには二人客がいた。  一人は女性で、奥の二人席でノートPCを広げている。水色のブラウスにグレーのスーツ。髪は一本も逃すことのないよう、きっちりと後ろに纏められている。知的な眼鏡のレンズにモニターの画面が反射していて、表情はよく分からない。  だがその雰囲気からは今日の仕事を明日へ残さない、キリっとした現代的で理想的な働く女性像が見て取れた。  もう一人は男性で、窓際のゆったりした席で文庫本を開いていた。  髪は短めで、染めている様子はない。  服装は半そでのシャツに軽い素材のテーラードジャケット。  良かった。Tシャツにデニムパンツなんて、この店には合わない。  薄い黄色のワンピースに、透かし編みのニットを着ているカナは、先客から点で結ぶと正三角形になりそうな通路側の席に座った。  メニューを広げるがすぐ閉じる。  同時に店員が注文を取りに来たので、彼女は温かいミルクティーを頼んだ。  外は暑いが、温かい飲み物で心を休めたかった。    窓際の男性のように、彼女も文庫本を広げる。  実家では本屋が遠く電子書籍が多かったが、やはり紙の方が好きだった。  画面下部に読破率を表示されるより、右手で押さえるページが増えていくのが読んでいるという確かな手ごたえがあるからだ。  一ページ読んだところでティーポットとカップ&ソーサーが置かれた。  一度本を置いて、カップに紅茶を注ぐ。立ち上る香りはダージリンで、彼女はミルクを注ぐ前にそのまま一口ストレートで飲むのが常だった。  次の一杯にはミルクと少量の砂糖を加えたところで、また本を開く。  いつの間にか夢中になり、カップのお茶は半分減っていたようだがすっかり冷めていた。  チリンと音がして、あのPCを開いていた女性が退店していくのが見えた。  時計は二十四時を回り、あと四十分で終電。  自分もそろそろ帰る時だろう。  実家とは違い、まだ電車は三本くらいあるはず。  彼女は読書を止め、冷めきったミルクティーを飲み干し、まだポットに残るお茶をカップに半分ほど注いだ。  もう冷めて砂糖は溶けないので、ストレートで口の中をさっぱりしてから行こう。  カタンと音がして、窓際の男性が帰るらしいことが分かった。  彼はカナの座る通路を静かに歩き、会計へ向かう。  だが、カナが鞄を置いた椅子がやや通路側に出ていたせいか、彼の手にしていたビジネスバッグが当たってしまった。その拍子にカナの鞄が床に落ち、男性は「すみません!」と謝ると慌てて鞄を拾ってくれた。
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