憧心

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   唯一の手掛かり、あのカフェ・ノーブルブルーに、彼女は足しげく通った。  幸運なことに、カフェ近くの書店でバイトを募集していた。  大学が終わると彼女は二十二時の閉店時間までバイトをする。二十二時十五分にはあのカフェにいた。  常連となった彼女は、入り口から見える奥の席で彼を待つ。  そうすることがたった五日続いただけで彼と再会できた。 「ああ、この間の」 「こ、こんばんは……」 「ここにはよく来るんですか?」 「近くでバイトをしてるもので……」 「そうなんですね。僕も仕事が終わるとついここに足を向けることが多くて。静かで、ちょっと別世界って感じがするのが気に入ってるんです」 「わ、私も外とは違った雰囲気があるのが好きで」  彼と再会できた。  彼も自分と会話をしてくれている。きっと彼も私を探していたのではないだろうか。  「ご一緒しても?」と言われても、たった二度会っただけで軽薄な、とは思わなかった。  この日、彼女は連絡先を交換した。遠慮し勝ちに聞いて来る彼に、少しだけ躊躇うふりをしながら。    順風満帆な大学生活。  好きな書店でバイトをして、お気に入りのカフェで素敵な男性と出会うことが出来た。  話すごとにカナは聡に夢中になり、彼もまた同じなように見えた。    会話は色気づいたものではない。  大体は本の話をする。そこから少しだけ話題が時事問題に移り、その日彼は急落した株価の話を少しだけした。聞けば彼は投資もしているそうで、まだ学生のカナには少しばかり経済の話は難しかったが、彼は社会人として持ち合わすべき知識と実行力を持ち合わせているらしかった。  「ビジネス書は電子で読んでしまうんだけど」と言って少し肩をすくめるようにして画面を見せてくれた。彼もきっと読書は紙派なのだ。ずらっと並んだビジネス書、自己啓発書の履歴。その間に、カナが今読んでいる恋愛小説があった。 「え、こういうのも読むんですか?」  失礼とは思いながらも、(かた)い書籍の中に出て来る恋愛小説の異質さに思わず聞いてしまう。  彼はやや照れたようにしながら、「カナさんが読んでたから」と小さく言った。 「紙の表紙で読むのはちょっと恥ずかしいけど、これだったらね」  彼はスマホの画面を指先でトンとしながら言った。  画面にあった小説の表紙が開き、読み途中のページが開いた。  目に入ったのは、主人公の女子大生が、密かに想う若い教授と初めて結ばれるシーン。彼は慌ててホームボタンをタップした。  カナも見えていないふりをしたが、思わず彼の表情を盗み見た。    誤魔化すようにアイスコーヒーを飲む彼も、誰かと、この教授が女子大生にしたようなことをするのだろうか。  例えばスマホをポケットに仕舞うあの手で、小説と同じように触れられたのなら、自分も主人公のような悦びを得ることがあるのだろうか。
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