夏に告げるさよなら

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 夏が来ると、親友のカンナを思い出す。  黄色のワンピースが良く似合う彼女は、袖から伸びるスラッとした手足が小麦に焼けている。髪はふわふわの髪の毛を雑に三つ編みしており、顔はそばかすを散らした明るい笑顔の女の子だった。シングルマザーの母親と二人暮らしであることや、家庭の事情が島内で筒抜けではあったが、彼女とその母親はみんなに可愛がられており、また本人たちもそれを気にするような家族ではなかった。  対して僕はというと、普段から外で遊ぶのが好きなタイプではなく、家でゲームばかりしていた。おかげで眼鏡レンズは少しばかり厚めだ。あまり外に出ないから焼けていない肌と細い手足が目立つ。夏休みは島に住んでいる祖父の家を訪れることになっていた。祖父が一人しかいない孫を楽しませようと釣りや花火大会に連れて行こうとするが、僕が嫌がり「暑いから」と部屋から出ようとしない。連れ出されても、しぶしぶと言った雰囲気でつまらなさそうにするので、祖父も何となく苦笑いを浮かべて次第に誘うことはなくなった。そんな扱いづらい僕を、彼女は意に介さず祖父の家に帰る度に無理やり引っ張っていき、近くの海に連れ出していた。最初はうんざりしていたが、その内諦めがつき、段々夏休みの恒例行事となった。  とある年の夏。彼女はいつものように冷房の利いた部屋から僕を連れ出した。十五分ほど炎天下の中を歩く。太陽の日差しを一身に浴び、快晴と積乱雲を背景にニカッと聞こえてきそうな笑顔で彼女はこう言った。 「あたし、次の夏にこの島を出るんだ!」  当時小学生五年生だった僕は、何となく「なんで?」とだけ尋ねる。 「新しいパパがね、トーキョーの人なの。ママはパパの仕事についていくから、あたしも一緒に行くの」  カンナは事も無げにそう言うと沈黙した。海のざあ、ざあ、という音やセミの鳴く声だけが僕の耳に届く。 「もう会えないの?」  僕は絞り出した声を、僕が持てる限りの大声で言った。するとカンナはまた笑顔に戻り、こう言った。 「会えるよ!だって、ここよりトーキョーの方がシオンくんも近いでしょ?そしたら夏休み以外も、いーっぱい遊べるよ!」 「……ほんと?」 「うん!約束!」  僕とカンナは汗の滲むその手で指切りをした。うそついたら、はりせんぼんのーますっ!……と、言い合いっこしながら。  あれから七年、僕は高校三年生になった。あれきり彼女には会っていない。いや、正確には一度だけ会った。彼女は言った通り、次の夏に船に乗ってあの島を出て行った。そしてその海を渡る最中、予見できなかった大波に見舞われ彼女とその母親は亡くなった。不幸中の幸いか、遺体は見つかったもののご遺族曰く「遺体は見ない方がいい」とのことだった。葬式での記憶はもうあんまり覚えおらず、ただ彼女と推定される死体が火葬場で燃やされ、遺族が骨を拾っていくのを見送っていた。  彼女が居なくなってから変わったことと言えば、僕は祖父の家に行かなくなった。彼女が居なくなったことがトラウマになったわけではない。次の年に祖父も亡くなったからだ。今はもう僕と関わりのない、知らない人が住んでいる。ただ、お盆が来る度に僕は一人で夜の海へ向かい、砂の上に割り箸を置きライターで火をつけている。送り火の真似事をしながらも、一目でも彼女に会えたらと思い海に来てしまう。火を見つめ、割り箸が焼けていくのをぼーっと見ていると、ふと少女の声がした。僕は思わず肩をびくっと揺らす。周りを見るが、誰も居ない。 (どこから?……もしかして)  呼んでいるのか?  あたりを見渡し、誰も居ないのを確認する。するとまた声が聞こえた。 (なんて言っているのかわからないけど、呼んでいる気がする)  僕は、今度は海の方へ向かって歩き出した。波打ち際へ行き、サンダルに水が浸入する。徐々にその水はくるぶし、すね、膝まで到達すると声はもっと近づいてきた。 (近くにいるんだ!)  早く会いたい、あの笑顔をもう一度見たい、その気持ちだけで僕はまた一歩深く先へ進む。そして、また一歩と左足を進めた瞬間、一番大きな高い声が響いた。 『来ちゃだめ!!』  数秒経って、言葉の意味を理解する。  ……ああ、そうか。 「もう、一緒に居られないんだ」  その時初めて、僕は涙を流した。泣いていると、荒々しい不気味な波の音が突然クリアに聞こえてくる。 (怖い。早く、早く戻らなきゃ)  さっきまで進んでいた足が重たく中々進まない。どうしよう、と思っていると何かに手を掴まれた。 「兄ちゃん、死ぬな!戻れ!」  知らないおじさんが必死の形相で僕を強くにらみ、血流が止まりそうなほど腕をがっしり掴んで浜の方まで僕を引っ張っていった。 「危ないことをするな!親御さんが悲しむだろうが!二度とこんなことするんじゃねえ!」  浜に連れていかれた僕は、おじさんからこっぴどく叱られ、親まで連絡が行き回収された。心配した両親は後日心療内科に行ったらどうかと控えめに言ってきたが、「もう二度としない」と約束することでどうにかことを収めた。まだ不安そうな両親を心配させないため、できるだけ家の中で過ごす。部屋から見えるのは海ではなく、明かりのともったマンションばかりだ。外を眺めて、海で聞こえた声の主のことを思い返す。 (もう僕は、送り火の真似事はしない。彼女と会おうと思わない。だけど、だけど) 「ごめんね、もう心配かけさせたりしないからね」  そう独り言を呟いて僕は部屋のライトを消し、ベッドの中に潜った。
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