01.コーヒーの学校

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01.コーヒーの学校

 広瀬妙子といえば、日本のコーヒー業界、特にカフェ経営者や、カフェを経営しようと志す人々で知らない者はいない人物である。  今を遡ること四十年ほど前、留学先のパリからコーヒーの焙煎や抽出の技術はもちろん、カフェ経営のノウハウを日本に持ち帰った。  当時の日本のカフェといえば、いわゆる純喫茶が主流だった時代。もちろん、カフェバーといったような形態の店も出店していたが、それはあくまでも東京や大都市圏中心部の話。それ以外の地域でコーヒーを飲む店といえば、まだまだ純喫茶という時代。  そんな時代に広瀬妙子の持ち込んだカフェは画期的だった。  ヨーロッパ風のシンプルで落ち着いたデザインの外観と内装を施した店で、いわゆる純喫茶よりも安い価格帯のコーヒーを提供し、さらにはコーヒーやサイドメニューをテイクアウトできる形式のカフェを、日本でもかなり最初の方に持ち込んだからだ。  その上、パリのカフェで修行していたという広瀬妙子によるコーヒーの焙煎や抽出の技術もまた、当時の日本ではトップクラスだった。そんな彼女は自身の経営するカフェが軌道に乗ると、自前のコーヒーアカデミーを開いた。  それは焙煎や抽出の技術からカフェの経営までを一貫して学ぶことができる、広瀬妙子のようなコーヒー職人兼カフェ経営者を育成するための「コーヒーの学校」である。  もちろん、全国から希望者が殺到した。けれど、彼女のコーヒーアカデミーは少人数で「入学」までの試験も厳しい。それに卒業するまでにもかなり厳しい修行を経なければならない。  それゆえ、厳しい選抜試験をパスして、晴れてコーヒーアカデミーに入学できても、卒業までの二年間に半数ほどが脱落してしまうほどだった。十人の入学者が卒業の頃には三人しか残らなかったという年もあるという。
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