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信者が集まる引っ越しの日、信じられないほど荷物が少ない沙菜。ちさとはその場所にやってきた。赤いヴィッツに乗って。部外者だから信者たちに白い目で見られていた。引っ越しのトラックに乗り込む沙菜。
「私、ついてくから」
ちさとは宣言どおりについてきた。トラックの後ろをピッタリマークしているヴィッツ。トラック運転の男性信者はそのうちに変な一般人は諦めて消えるだろうと、沙菜を乗せたまま高速に乗った。揺られているうち、少し冷静になる沙菜。
ちさとが強引に渡してきた分厚いアルバムをめくる。それが届けたいものだったらしい。中にはちさとが沙菜に気づかれないよう隠しどりしていた写真の数々だった。体育祭の沙菜の汗ばんだ背中。鉢巻が黄色。人生の中で一番一生懸命走った記憶が甦る。
卒業式、沙菜が校舎をみて佇んでいる背中の写真。同じ大学に行きたくて勉強を一緒にした時のうたた寝している沙菜。ちさとはお馬鹿さんで沙菜が家庭教師みたいだった。イギリスへ旅立つ成田空港での沙菜の背中。留学先で浴びたシャワーは温度調節が難しくて熱かった、皮のついたままのリンゴ。苦すぎる歯磨き粉を二人で使った。大学の卒業式、沙菜の背中。背中ばっかりだ。ちさとはいつも一歩後ろをついてきたから。
ちさとからみえる沙菜はいつもいつも背中を見せていた。いつの間に撮ったんだこんな写真。こんなに撮るなんてバカだな。ちさとは変わってない。バカ。でもあの頃は嬉しい事がいっぱいあった。それに嫌な事を嫌だと言えていた。自分に正直だった。
沙菜の背中と星空、沙菜の背中と町並み、沙菜の背中と橋、沙菜の背中と行き交う車、沙菜の背中と子どもの乗った自転車、どれだけ撮ってるんだ。ストーカーじゃないか。苦笑いがこみ上げてきた。沙菜の背中はいつだってまっすぐ堂々としていて、沙菜の顔がにこやかなのが背中なのにわかる。
……今は心が鈍麻して嫌な事が分からなくなっている。感じたり考えたりしないようになったのかな、あたし。ロボットみたいだな。蔑まれても当たり前で、厳しい貧しさに耐えるうち特別ではなくなって。あたしにもまだ流せる涙が残っていたんだ。不思議。戻りたいなあの頃に。心、壊れてる。大切なものが神様になって、あたしはそれで良かったんだっけ?
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