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1983年 ~大学って夢見るところだろ!~
千葉県にあるのに、東京と呼ばれる夢の国。ほとんどの女性が見かけると、「キャー!」と毛嫌いするネズミがキャラクターなのに、大人気の遊園地がオープンした年、俺、村瀬 祐太郎のキャンパス生活はスタートした。その大学は、東京都内ではあるが、かなり田舎臭のある八王子と多摩の狭間に位置する都内ではあるが二十三区外の山の中にある。見た目は地球防衛軍基地みたいで戦争になったら間違いなく一番に空襲を受けそうな秘密基地めいた大学だった。その学部は、全国的には、そこそこ有名な法学部。おざなりな入学式が終わり、ついに憧れの大学生活が始まった。
ほとんどの大学生が、かかる病だと思うが、学業に勤しむという真摯な姿勢が、楽しいキャンパスライフに負けていく毎日。それに輪を掛けて硬派で通した俺にはコンプレックスがあった。とにかく彼女ができない、そして、まだ童貞。男子校という環境はあったのだが、明らかに俺より不細工な奴に彼女がいるのに、俺はバレンタインデーでさえチョコ1枚ももらったことがない。もともと、テレビの刑事ドラマに憧れて、法学部を選んだようなミーハーな性格。まず大学では、何より女の子にモテたいという気持ちが勝り、その目的に共感した仲間たちとの出会いから話を始めようか。
入学式が終わり、新入生へのオリエンテーションを経て、その翌日から講義が始まった。もともとシャイな性格な俺は授業初日から誰にも話しかけることができず、数日経っても友達らしき輩は現れない。でも、ある日、退屈な授業が終わり一人とぼとぼ駅に向かっていると、180センチ、80キロ、高校時代に柔道部でしごかれた、ごっつい体の俺とは対照的な、背丈は175センチくらいだが鉛筆みたいに細い奴が
「よっ!」
と言って俺の肩を叩いた。こいつが鈴成 卓人、当時流行っていたデザイナーズブランドで身を固めていた。服だけ見れば、ファッション雑誌から抜け出したような奴だった。
仲間は、一人できると次々と増えていくらしい。二人目は、三島 貴。鈴成を多少筋肉質にした感じのアイドルっぽい風貌。小学生の頃まで中東の方で暮らしていた帰国子女なのだが、英語がそれほどしゃべれない。長い付き合いの中、徐々に判明したのだが、外国人に声を掛けられても、ほとんど『ユー、ノウ』しか聞いたことがない。『YOU KNOW?』を調べたら『え~っと』『あの~』や考えている時の『え~何だっけ?』を意味するらしく、この言葉を連発する人は、どちらかというと言語にあまり自信のない人が多いらしい。
そして、その後にアプローチをかけてきた大和田 俊と加藤 肇の二人は、すでに友達になっていたらしく、学食で鈴成、三島と三人で昼飯を食べていた時に声を掛けられた。大和田は、初対面にも関わらず生姜焼きを食べながら、
「サークル、どこ入るか決めた?」
と問いかけてきた。後にきいたのだが、こいつ関東で超有名な暴走族の特攻隊長。自称身長160センチといわれたが、どう見てもそんなに背丈はないように見える。だが、キレると怖いので誰もその話題には触れなかった。俺たちも、サークルはまだ決めておらず、『女子大生と仲良くなりたい!』という動機も一緒だったので、こいつらと夢の大学生活ハッピー大作戦を達成しようとサークル探検を始めたのだった。
「まずは、どこから攻める」
と大和田。鈴成、三島は、ナンパしに大学へ入ったような奴らなので、当たり前のように夏はテニス、冬はスキーというようなミーハーなサークル狙い。大食いなのに逆三角形のカラダを保つ加藤は、唯一の一人暮らし、風呂なしトイレ共同のアパートに暮らす質素な奴なので、なるべく金のかからないサークル希望。ジムにも運動部にも所属せず、腕立て、腹筋、ランニング、そして引っ越しのバイト等、自力でこのスタイルを維持しているらしく、ある意味で凄いと感心していた。最後に俺は、村井祐太郎、高校は柔道部で汗まみれの青春を送ったが、映画、テレビドラマが大好きなので、女の子が多そうな映画研究会、演劇研究会などのサークルから攻めようと決めていた。
ひとつめのサークルの扉を開けた瞬間、一人の女の子が振り向いた。モノクロだった視界がいきなり総天然色に変わり、ベートーベンの運命『ジャジャジャ、ジャーン』が耳元で流れた。いままで生きてきた中でも指折りの衝撃的な出会いだった。彼女も新入生の一人で、すでに入部しているようだった。芯がしっかりしているタイプの女性のようで、同じ新入生の俺にきちんと説明をしてくれた。京都弁の彼女は喋るだけで魅力的で、名前は樋山 栞。特別に美人でもないのにモテるタイプの女の子がいる、何故なのか?その大いなる疑問を解決した瞬間だった。恋は理屈ではなく、ちょっとしたエモーションなのだと。
てことで、半ば強引に他の連中を説得し、みんなを引き連れて入部した。俺たちが入った演劇サークル、大学内では2番手の演劇サークルで、先輩は、わずか3名。それも、すべてが4年生。今年の多くの新入生の入部は奇跡に近い出来事だったのだ。サークル棟の一番西に部室があり、授業が終わると、惚れたあの彼女がいるかドキドキしながら通う毎日だった。
新入部員の内訳は、男子の俺たち5名、うち鈴成は数か月で幽霊部員になってしまうのだが。その他の男子は2名、女子は4名。他の部員は俺たちと違い高校時代に演劇の経験があり、歪んだ動機ではなく真摯に演劇に向き合い入部した方々であった。おおよそ、放課後は、栞ちゃん以外にも邪魔な奴らがいっぱいで、2人きりになるなんてことは奇跡でもない限り起こらない。男子校出身の俺は、軽いナンパ男風に見せかけていたが、今まで彼女も作ったことのない童貞。人前で、惚れた彼女に話しかけられても、気の利いたセリフは返せず、欲求不満に苛まれていた。
でも神様はいた。部室に通って十数日で、その機会はやってきた。その日は、部室はオレンジ色の西日に包まれていた。俺一人でタバコをふかしていると、栞ちゃんは可愛い笑顔で扉を開けた。
「あれ、ゆうさん、今日は早いやん」
夕日でオレンジ色に染まった口元から、俺をクラクラさせるような京都弁が発せられた。
『かわいい』
と俺の心の声が叫ぶ。でも、実際に俺がリアクションした言葉は、
「おつかれ」
と愛想がないこと。彼女は、出会って間もない頃から、俺のことを名字ではなく、『ゆうさん』と呼んでくれる。このサークル内で、なぜだか知らないが、俺だけ、唯一、ホントに…。
『他のやつは名字だぜ、勝ちいッ!』
って感じ。だから何だと言われても、とにかく優位な気持ちにさせてくれている。
二人きりになれたからと言って『君に惚れた』もまだ言えないし、俺の辞書に口説き文句のレパートリーは皆無に等しい。タバコが彼女との間をもたしてくれて世間話し程度の会話が弾むのだが、時間が経てば、当然他の部員が部室の扉を開け、神様がくれた貴重なチャンスはふいに消え去る。『ガチャ』と部室のドアが開き、タバコの煙を吐く息が、ため息に変わった。部室のラジオでは『赤いスイートピー』が流れていた。
その演劇サークルの直近の目標は、春の公演だった。俺ら入部したての素人は裏方に、先輩である部長の浜崎の一人舞台のシナリオが描き上がり、初めての経験ということもあり、感覚的にはアッという間に公演を迎えた。正直なくなる寸前の演劇サークルの先輩の一人舞台を素人の俺たちは馬鹿にしていたのだが…。先輩は受験勉強でも覚えられないような莫大なセリフを覚えるだけでなく演技も交えながら、入場料を払って観に来る観客に文句を言わせない出来栄えの舞台に仕上げた。女性目的で入部した俺たちをまさに本気にさせる出来事になった。
そして、エリマキトカゲが注目を浴びた、その年、卒業公演を最後に先輩たちは引退し、俺たちは、わずか1年足らずで、この演劇サークルの最上級生になっていた。
演劇って文化部だからラクそうと思っていた柔道部出身の俺の考えは大きく間違っていた。平均ひと舞台1時間以上の長丁場で演技をするために、体力を養うマラソンは欠かせず、後ろの席の観客にも届く発声を養うために腹筋も欠かせない。すでに毎日アルコールに親しむ身としては、かなりきつかった。
さらに演劇というのは、人的な役割で見ても、ご存知の役者、演出を筆頭に、舞台監督、衣装、音響、照明、広報…。いろいろな役割があり、一人でも欠けたら成立しない。当然、お金も必要な訳で、ハコと言われる役者が演技をするステージも、大学内の多目的ホールを利用すれば安く済むが、民間や公営の演劇用のステージを借用するケースもあり、いずれにしてもお金はかかる。そのお金は芝居に参加する役者やスタッフがチケットノルマとして負担するのだ。稀に知り合いに売りさばければプラスに転じるケースもあるが、ほとんどが自己負担。そのためにきついバイトに身を投じる演劇関係者は後を絶たない。そんな逆境も、好きな女の子のためだからと、恥ずかしい下心は、果てしないパワーに変わっていった。
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