1984年 ~新歓、そして初舞台へ~

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1984年 ~新歓、そして初舞台へ~

 新学期を迎え、先輩が成し遂げられなかった部員数を増やすために、新入生勧誘が喫緊の大きな課題になった。 『ねぇ、ねぇ、カノジョ』こんな風にナンパするノリで声をかけて振り向く女性は、まず『演劇』といった瞬間、逃げられる。当時、演劇は、まだアンダーグランドの暗いイメージが、まとわりついていたのだ。逆に、根本が不真面目、声色までナンパ体質の俺たちが声を掛けると、真面目な女性たちは逃げていく。八方塞がりになって考えついたのは、ただ声をかけるからナンパに見える、なら、話すキッカケになるストーリーを作りあげれば…。  ということで、『新入生勧誘 ゲリラ演劇大作戦』を敢行した。さりげなく、ハンカチを落としてキッカケをつかむ作戦だ。大学の生協近くで、ハンカチを落とし、声をかけられるのを待った。でも「ハンカチ落としましたー」と声をかけてくるのは、何故か野郎ばかり、たまに女性はいたのだが、申し訳ないが見た目が積極的にお誘いしたくないタイプ。ハンカチは回数をこなすうちに、誰もが拾いたくなくなる無惨な状態になった。結局、俺らではなく、地道に新歓用の出店を出していた栞ちゃんをはじめとする女性たちが、女の子5名、男性2名の新入部員を勧誘したのだった。  以前にも話したが、演劇の練習を舐めてはいけない。マラソン、腹筋、背筋、ストレッチをした後に、丹田(たんでん)と言うへそ下にある体の中心)を意識しながら『あえいうえおあお、かけきくけこかこ・・・』と五十音と濁音を発する、発声と滑舌を鍛える練習、これが実はきつい。そして、肉体がクタクタになった後に、メンタルにきつい台本なしの即興劇で演技を磨くエチュードというプログラムで一日が終わる。このプログラムをそつなくこなす今年の新入部員は優秀だと感心しているうちに次の公演時期がやってきた。  今年の体制は、俺等より2歳年上の同級生、沢野、通称沢ちゃんが部長に、そして加藤が副部長、俺が会計担当になった。沢ちゃんから「今晩、俺のうちで打ち合わせなッ!」と軽い調子で俺を含めた三役に声が掛かった。沢ちゃんの下宿先は、大学から電車で30分、最寄り駅から歩いて30分。畑の間を延々と歩いてやっとたどり着く、東京都とは思えない街灯の少ない道に建つ古びたアパート。  鍵を開け、ギ~ッと鳴る扉を開くと、6畳とわずかな台所のある部屋に通された。途中の畑に無人販売所、いわゆる野菜が置いてあり、提示された料金を箱の中に入れて購入する場所があるのだが、初めて見た俺は『防犯上どうなんだろう』と思いつつも、『これで成り立つなら人間もまだ信じられるな』と思っていた。沢ちゃんは、そこで買った、ジャガイモ、玉ねぎ、ニンジンを切りながら、 「ちょっと待っていろ。うまいカレーライス作ってやるから、食いながら打ち合わせしよう」。そう言って黙々と作り出した。質素な部屋だった。テレビはなく、ラジオ、冷蔵庫、炊飯器のみ。風呂は、ユニットバスというトイレが洗い場にある風呂で、体の大きい俺が入るとかなり狭い。  カレーを煮込みながら、沢ちゃんは割り勘で買った一番安いウイスキーのボトルを開けて、グラスを出した。煮干しをつまみに打ち合わせが始まった。主にキャスティングと台本の選別。未熟でオリジナルの台本まで作成できない俺たちは、市販の台本で春公演を行うことに決めていた。金欠で肉の入っていないカレーが出来上がる頃には主なキャストをリストアップできた。暴走族あがりの大和田を春公演の主役に、部長の沢ちゃんが演出をこなし、二年生はみんな均等に役者に付き、1年生は裏方を担当、カレーライスを頬張りながら、すべてのキャスティングが完成した。腹が減っていたので食えたのだが、量を増やすためか、かなり水っぽいカレーだった。沢ちゃんいわく、これで数日分、晩飯が助かるとのこと。春公演の台本は、サナトリウムを舞台に事件が起こる群像劇だった。舞台を広く使える大学にある多目的ホールで上演することも決まった。  難しく考えていたが、俺たち2年生が仕切る公演は想像していたより平穏に終わっていった。しかし、順調だった春公演の後の夏合宿で悲しい出来事が待ち受けていることを、その時の俺は気づきもしなかった。  本番は、6月の金曜・土曜で、それぞれマチネとソワレで上演する。マチネは昼、ソワレは夜の公演のこと。フランス語由来で、『あれ、マチネって昼だっけ、夜だっけ』と何度も確認しあいながらも、何か、かっこいいので、ミーハーな俺たちは、わかりづらい、この業界用語を使用していた。  演劇は、前にも話したがご存じの役者、演出以外に、舞台監督、照明、音響、衣装・小道具という裏方のチカラも大切になる。2日前から全スタッフが、公演場所に全員集合した。舞台監督と役者、手の空いたスタッフは、舞台用語で『なぐり』と呼ばれる『金槌』で釘を打つ。この大工用具を片手に役者が演じる舞台を組み立てるのだ。  照明スタッフは、各照明器具に色とりどりのカラーフィルターを取り付けている。低予算の学生演劇でよく使われる手法で、カラーフィルターを取り付けた照明を舞台奥のホリゾント幕に当てることで場面展開を表現する。つまりホリゾントライトから照射された光はホリゾント幕の布に反射し、その幕そのものを染めてくれるのだ。晴れた日の抜けるような青空、夕暮れの茜色、さらには季節や天候、時間の経過など…。照明スタッフにとって大きな見せ場になる。   また、演劇の舞台には、キャットウォークと呼ばれる客席や舞台の天井裏などでスタッフが歩くための細い通路がある。照明位置などを調整するための場所で、演出上の理由で裏方が小道具を吊ったりすることに使用することもある。どの俳優にどの場面でどの角度の光を当てるか、観客に芝居の良さを伝えるために不可欠な場所だ。幅は大人がやっとひとり通れる程度で、時には這いつくばらないと行けない場所もある。床から五メートル近く上にあり、安全のために必要最小限の手すりが付いている。照明スタッフの後輩は平気で上がっていくのだが、高所恐怖症の俺も呼ばれて一度は上がったものの、その後は、俺の中では立ち入り禁止区域にしてしまった。  一方で、音響スタッフは。複雑な配線と悪戦苦闘を続け、アンプやスピーカなどの機材を組み立て、芝居のBGMや効果音となるサウンドのチョイスも任される。この辺は、テレビドラマと同じで演技のバックでどんなサウンドが流れるのかによってドラマタイズのされかたが大きく変わってくるのだ。また、先輩から教えられたのだが、役者のセリフに被るBGMは、日本語が歌詞の曲は避けた方がいいらしい。役者のセリフより、日本語の歌詞の方に耳を傾けられるからだ。  そして、衣装・小道具・メイク。こちらは、低予算なので、なるべく自前の服を用意する。ただし、魔法使いや悪魔のような空想の人物が登場する場合、布を用意してミシンをかけて衣装担当がつくる。俺たちと同学年だが、三年浪人した最年長の大川 実さんが、その担当。男子ながら服をつくるのが趣味で、なぜ服飾系の学校ではなく文学部に入ってきたのかわからない謎の人物だった。化粧品を触ったこともなかった俺も、メイクも兼任する大川さんに仕込まれ一年も経つと、高校を卒業したばかりで、まだ化粧慣れしていない一年の女子たちより上手にメイクができるようになっていた。男性諸君、やってみるとわかるがメイクってかなり楽しい、当時はかなりハマったものだ。  俺の役は、サナトリウムで起こった事件を解決するために現れるのだが、事態をどんどん悪化させる探偵役でコメディ要素の多いキャラクター。最初の登場シーンに長セリフがあり、ピンスポットと呼ばれる大砲みたいな照明器具を俺の動きに合わせて当ててくれるのだが、個人的にはこの強力な光を当てられると、芝居を辞められなくなる気持ちがわかった。『イマジン』の曲を効果的に使ったラストシーンは、今でも忘れられない。  芝居が終わると、カーテンコールのサウンドが鳴り響き、演出、役者、裏方スタッフが舞台に登場して紹介される。そのまま、出口付近に陣取り、『客出し』つまりお客さんを見送るのだ。ここで、知り合いではない、初対面のとにかく可愛い女性から花束をいただいた。うれしかった、女性に花束を贈ったことはあっても、入院もしたことのない俺は、かつて花束をもらったことはなかった。当時は、携帯電話なんて存在していなかったので必死に鉛筆を探し、アンケート用紙に自宅の電話番号を書きなぐって彼女に渡した。でも、彼女の電話番号を聞き出すほどの勇気はなかった…。後日談になるのだが、うちの大学の駐車場で、昔アニメで大ヒットした巨人の星の星飛雄馬のキザなライバル花形満が乗っていたようなリッチなオープンカーにセレブな野郎と乗り込む彼女を見かけた。  初日のマチネ、昼の公演が終わり、遅めの昼飯を食いながら、演出による『ダメだし』という儀式がはじまる。次の舞台を良くするための反省会だ。それを四回繰り返し、最後の舞台は立見の出る満席。二日間、合計四回公演で、二百人超え。会場の収容人数を考えると、大盛況に終わった。
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