1 Sunny Day 1

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1 Sunny Day 1

「…………クソ暑い」  目を覚ました(イシ)(カワ)(ユウ)()は、室内がやけに暑いことに気づいた。  上半身を起こし、汗でぐっしょりと濡れているTシャツを舌打ちしながら脱ぐ。  天井近くのエアコンに視線を向けると、電源ランプが点滅を繰り返している。明らかにエラーを示していた。  昨夜、午前一時半近くに眠るまではしっかりと冷房が効いていたので、明け方頃に停止したのかもしれない。 「マジかよっ」  七月末になり、(キョウ)()は例年どおりの猛暑を迎えている。  日本の首都が(トウ)(キョウ)から京に移ってはや二十五年。  京都の中でも『シンキョウト』はスマートシティとして開発された都市だが、夏は暑く冬はそれなりに寒い。  そして、エアコンが壊れれば午前七時でも室温は三十度を超える。 『体温、心拍数が上昇しています。初期の脱水症状の恐れがあります。いますぐ水分補給をしてください』  左手首に装着したウェアラブルデバイスが音声メッセージで忠告する。  視線を床に向けると、スポーツ飲料のペットボトルが置かれていた。 「(フウ)()?」  隣のベッドに視線を向けると、いつも自分より遅くまで眠っているはずの弟の姿がない。 「あ――あいつ、まさか」  ひとまずペットボトルの蓋を開けて中身を一気に飲み干してから立ち上がる。  部屋の扉は半分開いており、ドアストッパーで勝手に閉まらないようにされていた。廊下から多少の風は流れ込んでくるが、窓が開いているわけではないので気休め程度だ。 「風雅! いるんだろ!?」  冷房が効いた廊下に出ると、すぐ隣の部屋の扉に向かって叫ぶ。 「(カズ)()! 起きろ!」  隣の部屋の住人の名を廊下に響き渡るくらいの大声で叫ぶと、十秒ほどしてからゆっくりと扉が開いた。 「……おはよう、優雅」  眠そうに目を擦りながら顔を出したのは優雅の隣の部屋に住む()(バヤシ)一哉だ。  シェアハウスsumika(スミカ)で石川兄弟と一番親しいハウスメイトである。 「おはよう。風雅は?」 「いるよ」  あくびをしながら一哉が扉を大きく開ける。  室内からはエアコンの冷気が流れ出てくる。  Tシャツを脱いでトランクス一枚という格好の優雅は、汗で濡れた肌がひんやりと冷えるのを感じた。  遠慮なく一哉の部屋の中に入ると、一哉のベッドの横にマットレスと枕とタオルケットを持ち込んで眠る弟の姿が目に飛び込んできた。 「風雅!」  気持ちよさそうに眠っている弟に腹立たしさを覚えた優雅は足を上げたが、一哉が「僕の部屋での暴力反対」と呟いたので、弟を蹴るのは止めた。 「………………おは」  優雅の怒気で目が覚めたのか、風雅がわずかに瞼を上げる。 「なんでお前だけ一哉の部屋で寝てんだよ!?」  目を吊り上げて優雅が抗議すると、風雅は頭を掻き髪を乱しながら身体を起こした。 「なんでって、本を読んでてそろそろ寝ようかなーって思ったところでエアコンがエラーになって動かなくなったんだよ。一哉に声をかけたらまだ起きてたから、深夜に悪いと思ったけど部屋の隅で寝させてもらうことにしたんだ」  風雅は『部屋の隅』と言ったが、一哉の部屋の中央にマットレスは敷いてある。 「僕は全然かまわないよ。時間を気にせず声をかけてくれて良いし、もし僕が寝てたら勝手に入ってきてくれてかまわないよ。風雅と優雅ならいつでも大歓迎!」  朝から爽やかな人好きする笑顔で一哉が告げる。 「オレも起こせよ! 朝から熱中症になるところだったじゃないか!」 「起こそうとしたんだよ? でも、優雅は一度寝入ったら叩いても蹴っても起きないし、一哉がふたりでこっちの部屋まで引きずってでも運ぼうかって言ってくれたけど、夜中に一哉にそんな重労働をさせるのは申し訳ないと思ったし、優雅が起きるまで残り四時間くらいだから熱中症で死ぬことはないかなって思ってさ。ちゃんとベッドの横にスポーツドリンクは置いておいただろ」 「引きずってくれてかまわないから、エアコンのあるところまで連れていってくれよ! 廊下に放置しておくんでも良いからさ!」  エアコンが効かなくなった優雅と風雅の部屋に比べれば、多少なりともエアコンが効いている廊下の方が涼しい。  優雅が廊下の端で寝ていたら他の住人たちは驚くだろうが、熱中症になるよりはずっとましだ。 「一哉。次からは風雅がなんと言おうと、引きずってでもオレを廊下まで運んでくれよ。廊下でいいからさ」 「う、うん。わかった」  優雅の剣幕に驚いた様子で一哉が慌てて頷く。 「いや、それよりオレが起こそうとしたときに優雅が起きてくれれば良いんだよ。まったく、優雅は()(ぎたな)いんだからさ」  風雅は顔をしかめて兄を睨む。 「熟睡してるだけじゃないか」 「地震や火事が起きても目を覚まさなそうで怖いな」 「地震だったら揺れが大きければ起きると思うぞ。起きないと死ぬから、さすがにオレの野生の生存本能が働くと思う」 「どうかなぁ」  風雅は懐疑的だ。 「エアコンが壊れて室温が上がっても起きなかったじゃないか」 「それは、あれだ。死ぬほどの暑さではなかったってことだ」 「死なない程度の熱中症にはなりそうだってのに、起きなかったってことだね」 「ま、まぁ、そうだな」  風雅の理屈に優雅は渋々頷いた。  屁理屈だけなら優雅よりも風雅が上手だ。 「エアコンの修理は、大家さんに連絡しておいたらいいよ。大家さんが業者に連絡してくれるはずだよ。今日中に修理に来てくれるかどうかはわからないけどさ。ふたりとも、今日は仕事は?」  優雅と風雅よりも前からこのシェアハウスで暮らしている一哉が助言する。 「ある」 「オレ、ちょっとシャワー浴びてくるわ。さすがに汗だくのままで服着て仕事には行けないからさ」  職場までは地下鉄を利用しているが、今日の予想最高気温だとシャワーを浴びて汗を洗い流しても最寄り駅まで歩くだけで汗だくになるはずだ。それでも汗臭いまま服に着替える気にはなれなかった。 「それが良いよ。あ、もし今日中に部屋のエアコンが直らないようなら、今夜は僕の部屋で寝てくれてかまわないよ。僕はもしかしたら今日は遅くなるかもしれないけど、勝手に部屋を使っていいからさ」  一哉は自分の私的空間に他人が入ることを嫌がらない。  もちろん親しくない相手が部屋に入ることは拒否するが、優雅と風雅に対しては自由に出入りしてくれてかまわないといつも言ってくれる。  優雅と風雅も、一哉に対してはあまり遠慮しない。  下手に遠慮すると反対に一哉が寂しそうな顔をするのだ。 「とりあえずオレは大家さんに連絡しておくから、優雅はシャワー浴びてきて」  風雅は優雅に告げると、ウェアラブルデバイスに向かって大家へのメッセージを音声で入力し始める。  一哉はクローゼットの扉を開けて自分の着替えを選び始めていた。 「一哉。仕事、忙しい?」  今日は帰りが遅くなるかもしれない、という一哉の言葉が気になり、優雅は尋ねてみた。 「んー、どうかな?」  軽く首を傾げて一哉が考え込む。  探偵事務所で探偵助手をしているという彼がどんな業務を任されているのか、優雅と風雅は知らない。 「どういう状態が忙しいのか、よくわかんないよ」  社畜の台詞だな、と優雅と風雅は心の中で呟いた。  どうやら目の前のハウスメイトは探偵に酷使されているようだ、とふたりは認識した。
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