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父を探す
篤史は江戸川乱歩が書いた『D坂殺人事件』を読んでいた。篤史は私立探偵、伊吹の息子だ。
『D坂殺人事件』のあらすじは次のとおりだ。
9月初旬、「私」はD坂の大通りにある白梅軒(はくばいけん)という常連の喫茶店で冷しコーヒーをすすっていた。この店の向かいには古本屋があり、そこの妻が官能的な美人であるため、それを眺めることが目的の一つになっていた。すると、この店で知り合いになった貧乏な書生の青年明智小五郎が通りかかり、彼もこちらに気づいて店内に入ってくる。そこで2人で窓の外を眺めながら会話していたが、その日は目当ての美人の妻は見当たらず、4人目の本泥棒を見るにあたっていよいよ変だと疑い、2人で古本屋へと入ると店の奥の部屋に古本屋の妻の死体があった。私が見たところロープで絞殺されたように見える。警察の捜査の結果、古本屋の主人のアリバイは証明されるが、死体が発見された部屋の出入り口はすべて見張られた状態にあり、いわゆる英米の探偵小説にある密室殺人であって捜査は難航する。
互いに探偵小説ファンである私と明智は興味を持ち、事件について推理する。そこで私はあることから明智が犯人ではないかと疑い、推理を披露する。それを聞いた明智はゲラゲラと笑いながら、自身の推理を話す。古本屋の妻には身体中に生傷があったが、聞き込みの結果、同じ長屋にある蕎麦屋の妻も同様のものがあると明智は知ったという。そこからいくつかの状況証拠を組み立て、明智は実は古本屋の妻は「被虐色情者(マゾ)」で、蕎麦屋の主人は「残虐色情者(サド)」であり、互いの性癖を知った2人は密かに情事を重ねていたと明かす。今回の事件は、それがだんだんと激しくなり、あの日に望んでいない事故が起こってしまったという。そこにちょうど夕刊が届き、社会面を軽く見た明智はこれは奇遇だとして、ある記事を指差して私に見せる。そこには小さい見出しで蕎麦屋の主人が自首したとあった。
篤史は椅子に深く腰掛け、薄暗い書斎の中で『D坂殺人事件』のページをめくっていた。江戸川乱歩の描く世界に引き込まれながら、彼は父親である伊吹のことを思い出していた。伊吹は有名な私立探偵で、数々の難事件を解決してきたが、その背中を追いかけるように篤史も探偵への道を志していた。
本の中で描かれる明智小五郎の推理の鮮やかさに感嘆しつつ、篤史はふと目を上げた。目の前にあるのは、父の仕事机。そこには、父が過去に解決した事件のファイルや、未解決の事件に関するメモが散らばっている。その中には、最近父が受けたある依頼についての資料があった。
「D坂の事件に似ている…」
篤史はその資料に目を通しながら、江戸川乱歩の物語と現実の事件が奇妙に重なり合うのを感じた。依頼内容は、ある商店街で起こった謎めいた殺人事件だった。被害者は小さな骨董品店の主人で、彼もまた密室の中で絞殺されていたのだ。
「これは…偶然じゃない」
篤史の胸は高鳴った。小説の世界と現実の事件があまりにも似通っていることに、彼の探偵としての本能が反応したのだ。篤史は父が事件について何か掴んでいるかもしれないと考え、伊吹に相談しようと立ち上がった。
しかし、部屋を出ようとしたその瞬間、玄関のベルが鳴り響いた。篤史は一瞬戸惑ったが、すぐに玄関へ向かう。扉を開けると、そこには見知らぬ男が立っていた。男は痩せた体つきで、顔には不安そうな表情が浮かんでいた。
「篤史さんですね?」男は声を震わせながら言った。「私は伊吹さんに依頼をした者です。どうか、私の話を聞いてください。父親に連絡がつかないんです…」
篤史は驚きつつも男を招き入れ、話を聞くことにした。男の名前は木下と言い、骨董品店の主人の親友だった。彼は篤史に向かって、ここ数日間で起こった奇妙な出来事を話し始めた。
「事件の日、伊吹さんに助けを求めたんです。主人が何かに怯えていると…でも、その後、伊吹さんは連絡が取れなくなってしまったんです。心配で、こうして訪ねてきたんです」
篤史の心に緊張が走った。父が失踪した?そんなことは今まで一度もなかった。彼は、父に何かが起こったことを直感的に感じた。
「分かりました、木下さん。私がこの事件を引き継ぎます。そして、父の行方も必ず突き止めます」
篤史は決意を固め、父の足跡を追い始めることを決意した。江戸川乱歩の世界に触発されつつ、自らの探偵としての力を試す時が来たのだ。
まずは、父が残した資料を基に、事件の核心へと迫る手がかりを探すことから始めよう。篤史の冒険が、今ここから始まる。
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