4人が本棚に入れています
本棚に追加
「人魚の魔女さま、どうかお願いです。あの人の事を思うと、毎夜苦しくて、切なくて涙がでるのです。どうか私を人間にして下さい」
「そうは言ってもねぇ……」
人魚の魔女は目の前の若い人魚のお願いに頭を悩ませていた。
「どうか、お願いします。この想いをあの人に届けたいのです」
古来より、この手の人間へ想いをつのらせる人魚の恋の相談は受けてきた。
しかしながら、「アンデルセン」の『人魚姫』をはじめ、上手くいった例しがなかった。
大体において人魚は──特に若い娘の人魚は人間と関わると不幸になるものだ。
その事を滔々と語り聴かせるも、そこは恋する乙女、何を言っても聞く耳を持たなかった。
しばらくすれば熱も冷めるだろうと、人魚の魔女はこんな提案をした。
「お前は人魚の涙が真珠になるという伝説を知っているかい?」
「はい、存じておりますが、私の瞳からは一度も真珠が流れた事はありません」
「あれはね、ただ流したんじゃダメなんだ。この──」
そう言って人魚の魔女は後ろの薬品棚から青い壜と赤い壜を持ちだした。
「この『人魚の壜』に涙をためるんだ。そうするとね、この壜を振った時に中の成分と反応して壜から真珠がコロリコロリと出てくるのさ」
「そうだったのですね」
「あんたは、その人間の事を想うと『涙が出て来る』と言ったね、その涙──この両壜に一杯になるまでためられるかい?」
「もちろんですとも!」
「わかった。じゃあやってごらん。一杯になったら青い壜は想い人に、赤い壜は報酬として私が貰おうか」
「わかりました。次の満月までには一杯にしてお届け致しますわ」
──小さい壜といえど、涙をためるのは大変な作業だ。早々に音を上げて諦めてくれるはずさ……。
***
人魚の魔女の優しさとも言える奸計であったが、驚いたことに若い人魚は譲らなかった。やり遂げたのだ。
約束通り、白い大きい満月の夜、再び人魚の魔女のもとに現われた若い娘の人魚は青い壜、赤い壜を共に涙で満杯にしてきたのだ。
「あんたには負けたよ。ほら、脚を人間にしてやった、花嫁衣装がわりに着物もくれてやる。思う存分あんたの想い人に気持ちを届けておいで」
「はい! 人魚の魔女さま。ありがとうございます。」
若い娘の人魚は喜び勇んで思い人──弥吉がいつも夜釣りをしている沖へと向かった。
大きな白い満月が、娘の行く先を照らしていた。
「弥吉さん、弥吉さん」
「うわっ! びっくりした。どうしたんだお前、何者だ? 溺れたのか? とりあえず舟に上がれや」
「ありがとうございます。やはり弥吉さんはお優しい方……」
「うん。脚があるから幽霊じゃねぇな」
「私は幽霊ではありません。人魚です。どうかこの、私の想いのこもった涙の壜を受け取って下さい。真珠が出てきますよ」
だがしかし、弥吉は恋を理解するには幼すぎた。
「う~ん。モノを知らねぇ娘だな。いいか? 真珠ってのは、阿古屋貝からとれるもんだ。それに、ありがてぇが、俺ぁ、こんな小せえ壜もらってもうれしかねぇや」
そう言って人魚の壜を小舟の舳先に置いた。
途端に青い壜にピシリと罅が入り、バランスを失うと海へと落ちた。
割れた箇所からしゅわしゅわと涙と真珠の素が漏れ、小さな壜は波へとさらわれていった。
こうして人魚の初恋は苦い思い出となり、泡と消えたのであった──。
(了)
最初のコメントを投稿しよう!